閃輝暗点/芥川龍之介「歯車」の症状は、私の閃輝暗点とほぼ同じでした


(画像:私がクレヨンで描いた、私の閃輝暗点発症時の瞼の内側)

1.閃輝暗点とは

(1)閃輝暗点(せんきあんてん)

みなさん、「閃輝暗点」をご存知でしょうか。目に現れる疾患の名称です。

私の目には、時々「閃輝暗点」の症状が出現します。初めての発症から20年経過しました。

閃輝暗点と言っても、殆ど知られていないので周囲に話しても素通りされてしまいます。家族や友達に話しても「医者に行って診てもらったら?」と言われるだけ。共感を得ることはなかなかありません。症状を話しても想像しにくいからだと思います。

そして眼科に行っても、「閃輝暗点ですね。症状が頻繁に出るようなら、また来て下さい」と言われる他は、今のところ、原因と治療への明確な判断を得ることはできません。

ネットで検索をすると、脳梗塞の前兆かも?とか、眼科だけでなく脳神経外科で診てもらうことをお勧めします・・というような記事を読むことになり(参照:「閃輝暗点 脳梗塞」)、「閃輝暗点」の診断を受けた方は、深刻な思いにみまわれると思います。

(2)閃輝暗点の症状

「閃輝暗点」を発症すると、10分~30分位の間(私の場合)、視界の中に「ギザギザした歪んだ歯車のようなもの」が視界の中に浮かび上がってきます。目を閉じれば、それは瞼の中に映ります。この記事の最初に掲出した画像がそれです。

「暗点」という表現になっていますが、目の前が暗くなるわけではありません。視界は良好なのですが見たい対象が、焦点が合わないようになって「見えない状態」になります。「暗点」とはそういう意味です。 

症状が現れたら車の運転は絶対にできません。本や新聞を読んでいる、仕事中で資料を読んでいる、スマホやパソコンの作業中・・であるならば、文字も画像も映像もきちんと読むことはできません。なので、作業は中断しないといけません。

(3)「閃輝暗点」を記事にした理由

この「閃輝暗点」について、いろいろ調べてみると、発症している本人様からの情報発信が少ないこと、あっても詳細ではないこと・・がわかりました。

なので、ここに「閃輝暗点」の一般的な理解を紹介すると共に、私の発症事例を紹介することによって、「閃輝暗点」で悩んでいる人への情報提供となれれば幸いです。

そしてさらに、

あの芥川龍之介が「歯車」という遺稿の中で「閃輝暗点」の症状を詳しく書いているので、その内容を”引用”によって紹介いたします。そうすることによって、「閃輝暗点」を知っている人にも知らない人にも、「閃輝暗点」への理解が深まると考えたらからです。

実は、小説「歯車」の中に「閃輝暗点」という理解も表現もありません。

さらに、昭和時代の初期であることからも、芥川龍之介は、その症状(「歯車」の中に書いている目の異常な症状)について、それが「閃輝暗点」であるということは、おそらく知りません。

その症状(同)が「閃輝暗点」だと云うのは、『「歯車」の中の登場人物に起きている目の症状は「閃輝暗点」だと思われます』という一般的な理解に基づくものです。私はこのことをNHKの健康番組で知りました。

そして、翌日直ぐに「歯車」を本屋で立ち読みしました(もちろん、購入)。

そうしたら・・・・。

芥川龍之介が「歯車」で書いている ”目の異常な症状” は、まさしく、私が経験している ”目の異常な症状” とほぼ同じだったのです。

(画像:私が写真を撮り、そこにクレヨンで描いた、私の症状の一例です)

上の画像は、目を開けている時の症状の一例です。ギザギザで囲まれている部分について、実際には「なんとなく」しか認識できません。つまり暗点なのです。

2.閃輝暗点の一般的な理解(引用:Wikipedia)

「閃輝暗点(Wikipedia)」で理解をしてみたいと思います。以下、網掛け部分が抜粋です。

閃輝暗点(せんきあんてん)とは、片頭痛の前兆現象として現れることが多い一過性の視覚の異常である。

芥川龍之介の小説『歯車』のなかで、龍之介が激しい頭痛と共に目にしたと記述している「歯車」はこの閃輝暗点とも言われている[1]

(中略)

症状が治まった後、引き続いて片頭痛が始まる場合が多い。ただし、特に40歳以降になると頭痛を伴わずに前兆のみが認められることがある[4]

芥川龍之介の「歯車」の中では、”頭痛がある”と書かれています。でも、私の場合には頭痛はありません。

芥川龍之介は35才で他界(自殺)、私の初めての症状は45才頃ですから、Wikipediaの「特に40歳以降になると頭痛を伴わずに~」のとおりです。

そして「閃輝暗点」の具体的な症状について、Wikipediaでは以下のように解説しています。

典型的なパターンとしては、ジグザグ形のような幾何学模様稲妻のようにチカチカしながら広がっていき(陽性兆候)、これを追うようにして見えにくい部分が広がっていく(陰性兆候)[3]。これらの視覚的症状は徐々に進行し、通常1時間以内には収束する。この症状は目を閉じていても起きる。「閃輝暗点(せんきあんてん)もしくは閃輝性暗点(せんきせいあんてん)とは、片頭痛の前兆現象として現れることが多い視覚の異常で、定期的に起こる場合が多い」

私の症状は、この通りです。発症時間については、私の場合おおよそ15分~30分位です。

Wikipediaには「定期的に起こる場合が多い」と書かれています。私の場合、初めての発症から約20年間、数か月に1度位の割合で起きています。その間隔は必ずしも一定ではありませんが、20年間もの間発症が時々あることから、定期的といっていいのかもしれません。

Wikipediaでは、原因について、以下のように解説しています。

閃輝暗点は、古くは脳血管の収縮による脳虚血症状であると解釈されていたが、現在では脳の大脳皮質拡延性抑制(cortical spreading depression, CSD)と関連しているとみられている。

この説明はとても専門性が高くて、私にはよく分かりません。また「関連しているとみられている」という推測の域です。眼科医から明確な言葉を得られないのは、現代の医学で原因は明確になっていないからのようです。

そこで、私が有している”私の長年の発症経験”を活かしたいと思います。

「閃輝暗点」が、私の場合どのような状況の時に発症してきたのか・・? 長年の経験により、なんとなく分かってきた事柄があるので、次の頁で記します。

3.閃輝暗点、私の症状

私に「閃輝暗点」の症状が初めて出現したのは45歳頃です。私は今65歳なので、もう20年「閃輝暗点」とつきあっています。

実は、私は38歳の時に網膜剥離を患ったことがあります(手術にて回復)。その後、眼科医には半年に1度程度、定期健診で行っていました。なので、目の中に突然出現する「歯車」については、早いうちから「閃輝暗点」というものであるということを知ることができました。

(1)初めての発症

初めて発症した時は、会社でパソコンを使って文章を作成していた時でした。左目の下の方に何かチカチカする輝く何かが出現して、変だなと思っているうちに、その輝くチカチカはどんどん大きくなって、歪んだ歯車のようになって目の真ん中を支配しました。その時、パソコンの画面は視界の中にあるのですが、文字を打ち込もうと思っても、そこに文字が無いのです。見えないのです。明るさに変わりはありません。打ち込みたい文字の周囲は視界に入っていて、文章が書かれていることは判別できます。でも、歯車の中は上手く認識できないのです。この症状が暗点と呼ばれる所以だと思います。

私は驚いて、何かの難病にでも罹ったのかと思いながら、トイレへ行き、そして会社の中を少し歩き回りました。丁度、お昼直前であり、昼休憩の時間になると直ぐに会社を飛び出して、街の本屋に行きました。そして医学書を調べました。

20年前です。当時はまだ、PCやスマホで検索して調べるという日常はありませんでした。

その時は、もちろん「閃輝暗点」という病名は知りません。そして、医学書のどこを見ても何の病気なのかは分かりませんでした。・・・気が付くと、いつの間にか、目の中の歯車は消えていました。もしも難病だったら・・いろいろなことを考えてしまい、私は同僚や家族にも言わず、私は不安なまま数日を過ごしました。

その日までの自分の人生の中で自死を考えたことはあり、その時は原因が明確でした。でも、目の中に輝く歪んだ歯車のようなものが突如出現して、しかも焦点が合わない・・この事実により私は「何とも言えない漠然とした生への不安」を抱くことになりました。

そしてその後、目の定期健診の時に眼科主治医に話をして、歯車の出現が「閃輝暗点」であることを知ったのです。

(2)二度目の発症

二度目の症状は、それから2年後です。休日の前日です。仕事を終えて電車に乗り、もう何年ぶりかで高校時代の友人たちに会いにいく時でした。吊革につかまり、旧友たちのことを想像していると、左目の下辺りから、キラキラ輝く歯車のようなものが出現したのです。「あっ!閃輝暗点!久しぶりだ!」

その時、私は結構冷静でした。私は目を閉じて、瞼の裏に広がって大きくなっていく歯車のようなものを観察していました。歯車は少しずつ大きくなって、そして少しずつ小さくなって消えていきました。それは20分ほどの時間でした。

その後、2~3か月に一度くらいの割合で(出ない時は半年位の間、何も起きません)「閃輝暗点」が出現するようになりました。それは今でも続いています。具体的な治療は何もありません。眼科医は「頻繁になるようなら来て下さい」と言ってくれています。

(3)具体的な様子

以下の画像は、私が自分の症状を思い出して、色紙に黄色いクレヨンで描いたものです。最初は目の端に現れます。私の場合は左下が多いです。そして、それが大きくなっていきます。

① 歯車の出始めは、目を閉じると、このような感じです。左目右目の区別はありません。感覚では左目のような気がするのですが、片目を閉じたりしながら探ってみても、左目右目の区別は無いようです。

(画像:私がクレヨンで描いた、私の症状の一例です)

② そして、2~3分の間に、大きくなっていきます。歯車のようなギザギザは歪んでいて、キラキラ輝いています。ジーっと眺めていると、綺麗な輝きでもあります。

(画像:私がクレヨンで描いた、私の症状の一例です)

③ 目を開けていたら、どう見えるのかというと・・・私は空を撮影したその写真に「閃輝暗点」の症状が出現した時の様子を、黄色いクレヨンで描いてみました。こんな感じです。

そして、この歯車の中は暗点部分であり、目を凝らしても、よく認識することができません。

(画像:私が写真を撮り、そこにクレヨンで描いた、私の症状の一例です)

(4)発症時の共通項(私の場合)

長年「閃輝暗点」と付き合ってきて、いろいろな医学情報と、私の発症時の状況・環境などによって、私が得た原因と「閃輝暗点が発症する条件」は以下のとおりです。

◇目の周囲の血流に急激な変化が起きているらしい。

◇その変化の原因は精神がリラックスした時である。

これは、あくまで、私の場合であり、かつ推測です。

【直近の事例】

実は、昨晩のこと、久しぶりに「閃輝暗点」の症状が現れました。これが、この記事を書く大きなモチベーションになったことも事実です。

〔状況〕私の次男はこの4月から大学4年生。昨晩、大学から3年次の成績表が親である私宛に郵便で届きました。内容を見ながら私は思いました。私には個人的にいろいろな事情があり「ああ、あと1年。よくここまで来られたな」という思いでいっぱいになりました。

そして、次の瞬間、閃輝暗点の症状が現れたのです。

その前の発症は、昨年の秋のことでした。

〔状況〕私はコロナ陽性となり自宅療養を経験しました。そして大きな病変はなく回復して自宅療養の最終日、保健所の方から電話で「もう大丈夫ですよ」と言われた時です。

次の瞬間、「閃輝暗点」の症状が現れたのです。

【発症状態/環境の考察】

私の「閃輝暗点」の発症時に共通しているのは、心身が解放された時です。但し、特徴的なのは、その時、心は解放を自覚していないことですつまり、無意識だけれどリラックスした状態、そういう時に発症しやすいということです。

そのような発症の共通項を、私は3年程前から自覚していました。

なので私はいつしか、閃輝暗点の症状が出現すると、今自分の心身はリラックスしたんだ・・よかった・・と思うようになりました。

閃輝暗点の症状が出現することによって、今自分はリラックスしたんだということが分かるという理屈です。

人間の身体というのは神秘のかたまりだと思います。心と身体は表裏一体であり、外界からの刺激への反応は常に表裏一体のまま出現するのだと、閃輝暗点から実感するようになりました。

それでは、次の頁では、芥川龍之介の「歯車」に表現されている「閃輝暗点」の様子を確認してみたいと思います。

「歯車」は芥川龍之介が自身の心象風景を語った私小説です。参照:「歯車/Wikipedia」

芥川龍之介は「歯車」を書いたとされる1927年の同じ年に、服毒自殺によってその命を落としました。「歯車」を読んでみて残念に思うのは、芥川龍之介が自身の身体に起きる不調すなわち「閃輝暗点」「不気味な幻視」と捉えて、生への不安を益々高めていった原因のひとつと感じていたと思われることです。

この部分に私はとても共感します。私も、自分の目の異常が「閃輝暗点」だと分かるまでは「漠然とした生への不安」を感じていました。

「歯車」の中では、芥川龍之介が眼科医に診察してもらっている様子がうかがえます。もしも、芥川龍之介が今の時代に生きていたら、「それは閃輝暗点ですね」と眼科医から説明を受けて、決して「不気味な幻視」という認識にはならなかったと思います。でも、昭和初期の医学水準では残念ながら、芥川龍之介が納得する診断ではなかったようです。以下に、芥川龍之介が眼科医に診せたことがあると分かる記述を「歯車」から抜粋します。

眼科の医者はこの錯覚(?)のために度々僕に禁煙を命じた。しかしこういう歯車は僕の禁煙に親しまない二十前にも見えないことはなかった。

(出典:「歯車」岩波文庫 2020年12月4日第60刷発行、40頁中頃)

それでは、芥川龍之介が自覚していた閃輝暗点の症状について「歯車」に書かれている内容をここに紹介したいと思います。その様子は、医学書やネット情報に書かれている説明よりも、より具体的で簡潔明快です。とても分かりやすい記述となっています。出典元は上記と同様、岩波文庫からです。以下にその表紙を載せます。

「歯車」岩波文庫 2020年12月4日第60刷発行

 

4.閃輝暗点、芥川龍之介「歯車」の中の症状(引用:「歯車」)

※閃輝暗点の症状を具体的に表している箇所については、私が太字にしました。ご了承くださいませ。

「僕はそこを歩いているうちにふと松林を思い出した。のみならず僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?ーというのは絶えずまわっている半透明の歯車だった。僕はこういう経験を前にも何度か持ち合わせていた。歯車は次第に数を殖やし、半ば僕の視野を塞いでしまう、が、それも長いことではない、暫くの後には消え失せる代わりに今度は頭痛を感じ始める、ー それはいつも同じことだった。」

(以上、「歯車」岩波文庫の40頁より抜粋)

僕はまたはじまったなと思い、左の目の視力をためすために片手に右の目を塞いで見た。左の目は果して何ともなかった。しかし右の目の瞼の裏には歯車が幾つも回っていた。(中略)ホテルの玄関へはいった時には歯車ももう消え失せていた。が、頭痛はまだ残っていた。

(以上、「歯車」岩波文庫の40頁~41頁より抜粋)

「僕の右の目はもう一度半透明の歯車を感じ出した。歯車はやはりまわりながら、次第に数を殖やして行った。

(以上、「歯車」岩波文庫の61頁より抜粋)

「そこへ半透明な歯車も一つずつ僕の視野を遮り出した。僕はいよいよ最後の時の近づいたことを恐れながら、頚すじをまっ直ぐにして歩いて行った。歯車は数の増えるのにつれ、だんだん急にまわりはじめた。同時にまた右の松林はひっそりと枝をかわしたまま、丁度細かい切子硝子を透かしてみるようになりはじめた。僕は動悸の高まるのを感じ、何度も道ばたに立ち止まろうとした。」

(以上、「歯車」岩波文庫の85頁より抜粋)

「三十分ばかりたった後、僕は二階に仰向けになり、じっと目をつぶったまま、烈しい頭痛をこらえていた。すると僕の瞼の裏に銀色の羽根を鱗のように畳んだ翼がひとつ見えはじめた。それは実際網膜の上にはっきりと映っているものだった。僕は目をあいて天井を見上げ、勿論何も天井にはそんなもののないことを確かめた上、もう一度目をつぶることにした。しかしやはり銀色の翼はちゃんと暗い中に映っていた。

(以上、「歯車」岩波文庫の85頁~86頁より抜粋)

私の症状と異なるのは二つ、ひとつは右目左目の区別があること、もうひとつは頭痛の存在。この二つを除けば、私の症状と全く同じです。

「銀色の羽根を鱗のように畳んだ翼がひとつ見えはじめた」(上記の引用より)

ああ、文学になると、こんな豊かな表現になるんだなあ・・と感心しながら、実は昨今「閃輝暗点」の発症を心の中では歓迎して楽しんでいる私です。

なぜなら、その時、心身はリラックスしているからです。

もちろん、症状が頻繁に起きるようになった時には脳神経外科を受診するつもりでいます。