
介護の詩|Yesterday|老人ホーム生活の高齢者の様子|詩境
仕事は大工さんでした。数々の建築現場で活躍されたようです。その方が認知症になって老人ホームで暮らし始めました。その方は、ある日、ベランダを乗り越えました・・その方にとっては「当たりまえ」のことでしたが、施設管理側にとっては重大な違反行為でした。認知症はそうして理解されないまま、押さえつけられてしまいました。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
仕事は大工さんでした。数々の建築現場で活躍されたようです。その方が認知症になって老人ホームで暮らし始めました。その方は、ある日、ベランダを乗り越えました・・その方にとっては「当たりまえ」のことでしたが、施設管理側にとっては重大な違反行為でした。認知症はそうして理解されないまま、押さえつけられてしまいました。
老人ホームでの高齢者の体調の急変~救急搬送は珍しいことではありません。スタッフには対応マニュエルが用意されております。想定内なのですね。とはいえ、スタッフも人の子。動揺と不安に包まれることだってあります。この詩は、救急搬送時の救急車のサイレンの音に動揺してしまったときの様子を詠っています。
老人ホームでは”生き長らえている”人がいます。でも忘れない下さい。毎日一生懸命に”生きている”人もいるのです。家族がたまに来て「まだ大丈夫」と思うことがあっても、口にしていい言葉ではないと思います。この頁では老人ホームで介護士として働きながら感じた感慨を詩にしてお伝えしています。
【車止めで一息】 ペーシング 老人ホームで暮ら している 、お爺ちゃん、お婆ちゃんのこと、気になりませんか? たとえ混濁した記憶でも、その記憶はその人のもの。その人自身なのです。介護する者は目線を合わせ、呼吸を合わせ、そして話す内容にもペーシングをします。…
長年連れ添った奥様にご主人が「ありがとう」と言った瞬間の、その感慨を伝えたいと思いました。人生は「ありがとう」で終わらせれば美しいと思います。美しい記憶がそのまま残るからです。:老人ホームでの出来事を詩にしました。高齢者様の息遣いと命の灯をお伝えしたいと思います。ご自身の老後の、イメージ作りの参考になれば幸いです。
「生きているのか死んでいるのか、わからなくなっちゃったんですよ」:空虚な心は不安の塊です。その時、煎餅をかじる内耳に伝わる音さえも、生きているという安心のひとつだったのかもしれません。高齢者様の死への不安と対峙するとき、介護の本当の意味が見えてくるように思いました。老人ホームでの感慨を「詩」でお伝えしております。
介護拒否はスタッフを悩まします。ご本人様の思いなので、しかたがありません。でも、そのままでは介護の意味がないのです。この頁では、老人ホームでの出来事、感じたこと、発見や再発見、それら高齢者様の息遣いと命の灯を「詩」にして伝えています。今回は「入浴拒否」がテーマです。この場合、方便は使わざるおえません。
老人ホームで介護職に就き始めて、まだ数か月の頃。私は介護職の継続に、実は逡巡していました。そんなとき、胃ろうの女性に出会いました。そしてその時、ADLと同時にQOLのことにも強く関心が向くようなりました。老人ホームでの出来事、感じたこと、発見や再発見、それら高齢者の息遣いと命の灯を「詩」にして伝えています。
老人ホームでの出来事、感じたこと、発見や再発見。それら高齢者の息遣いと命の灯を「詩」で伝えています。この作品は前作、前々作からの続きです。食べることは生きること、そして口は食欲の正面玄関。口には、口だけ別の命が宿っているようです。前作、前々作と併せて読んで頂ければ幸いです。
老人ホームでの出来事、感じたこと、発見や再発見、それら高齢者の息遣いと命の灯を「詩」にして伝えています。これは前回の続きで、ここでも視野の真ん中は口の動きです。日に三度の食事は一日の中のイベント、生活の基本は食事を中心に回っていきます。人生という時間軸への深慮遠謀、老後の生き方へのヒントになれば幸いです。