** * はじめに ***
この記事では、
1185年に京都で発生した「元暦の大地震」の様子を、方丈記の第二十一段、第二十二段、第二十三段を読みながら辿り、“天災がもたらす災害の無常の悲しさ ” を味わってみたいと思います。
方丈記(作者:鴨長明)には、歴史上の大きな出来事に関する記述がいくつも存在し、歴史的な資料として評価されるくらい価値があるのをご存じでしょうか。
それらの記述は、当時の様子が現代のニュース記事を読むような感覚で、そして頭の中に映像が視覚的に浮かんでくるような写実的な表現で、それぞれ書かれています。
各々の記述に表題はついていませんが、記事の概要と書かれている段落は以下のとおりです。
鴨長明は、これらの出来事を並べて記述することにより、世の中の無常を伝えたかったのだと思われます。どの出来事も、住居が消失したり、多くの人の命が奪われたり。そこには「はかなさ」がつきまとっています。
:安元の大火/ 1177年/第五段~に記述
:治承の竜巻/1180年4月/第八段~に記述。
:福原遷都/1180年6月/第十一段~に記述。
:養和の飢饉/1181~82年/第十五段~に記述。
:元暦の大地震/1185年/第二十一段~に記述。
・各々の出来事の内容は「方丈記Wikipedia」に解説がありますので参考にして下さいませ
〔「元暦の大地震」という名称について〕
方丈記には「大地震ふること侍りき」という記述であり、地震の名称は書かれていません。
後世において、元暦2年7月9日に発生したので「元暦の大地震」と呼んだようです。
ただ、その天地変動を受けて、縁起が悪いとでも考えたのでしょうか・・・翌月には元号の名称が「元暦」から「文治」へと変更されています。このことを鑑みて、後々には「文治地震」という呼ばれ方もされているようです。(参考:「文治地震wikipedia)
目 次
(画像はイメージです/出典:photoAC)

第二十一段
また、同じころかとよ
※長文であること、また読みやすさを優先するため、以下の工夫をしたこと、ご了承下さいませ。
・二つつのブロックに分けて記載しました。
・適時、改行をおこないました。
第二十一段-1(原文)
※読みやすくするため、句点毎に改行しております。
*
また、同じころかとよ。
おびただしく大地震ふることはべりき。そのさま、世の常ならず。
山は崩れて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり。
土裂けて水涌き出て、巌割れて谷にまろび入る。
なぎさ漕ぐ船は浪にただよひ、道行く馬は足の立ちどをまどわす。
都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟、ひとつとして全からず。
或いはくずれ、或いは倒れぬ。
塵灰立ちのぼりて、盛りなる煙のごとし。
地の動き、家のやぶるる音、雷に異ならず。
家の内に居れば、たちまちにひしげなんとす。
走り出づれば、地割れ裂く。
羽なければ、空をもとぶべからず。
竜ならばや、雲にも乗らん。
恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそおぼえ侍りしか。
*
〔語句の意味〕
「同じころかとよ」:同じころだったと思います。
・この大地震の件は第二十一段ですが、第十五段から前段の第二十段まで「養和の大飢饉(1181~82年)」について記述しています。つまり「その大飢饉と同じ頃」という意味です。
・ただ、実際には、大地震は1185年のことなので、飢饉から三年後の話です。鴨長明にとって、記憶の中では、数年の差など関係のない同時期のものだったのでしょう。
「大地震ふる」:「ふる」には複数の同音異義語があります。
①触る ②震る ③旧る、古る ④降る ⑤ 振る
「はべり」:「侍り」
「侍り」には ①謙譲語 ②丁寧語の使い方があります。
① 目上、身分の高い人へお使い申しあげる場合に「あり」や「をり」ではなく「侍り」
② 「あり」や「をり」を丁寧に言う場合「ございます」「あります」の意味で「侍り」
・ここでは②丁寧の意味で使われています。
・鴨長明はこの大地震の件だけでなく、他にも天災が起きた時の様子の描写に「侍り」を多く使っています。鴨長明は自然現象に対する畏敬の念のようなものを感じて、丁寧に「はべり」と書いたのかもしれませんね、と私は思っています。
「まろびいる」:「転ぶ(まろぶ)」/転がっていった。
「足のたちど」:「立ち処(たちど)」/立っている所。
「都のほとり」:「辺(ほとり)」/付近。そば。
「在々所々」:「ざいざいしょしょ」/あちらこちら。
「堂舎塔廟」:「だうじゃたふめう」/神仏を祭る建物など。
「全からず」:「全く(またく)」/完全に/「全からず」は完全ではないの意味。
「ひしげなんとす」:「拉ぐ(ひしぐ)」/押されてつぶされる。
「とぶべからず」:飛ぶことができない。
「べからず」は「~してはならない」「~することができない」などの意味。
「べからず」=「べし」は推量の助動詞「べき」の未然形+打消しの助動詞「ず」。
・正確には「飛ぶことができないだろう」というニュアンスでの解釈が好ましいと思われます。
第二十一段-1(現代語訳)
〔※より分かりやすくするために、言外に含まれるであろう事柄も含めて「意訳」しました〕
同じ頃だったと思います。
巨大地震が発生したのです。大地が鳴動するその恐ろしい様子は、この世のものとは思えませんでした。
山は崩れてその土砂が河を埋めてしまい、海は傾いて津波が陸に押し寄せたのです。
地割れが起きてそこから水が噴き出し、大きな岩は割れて谷底へ転がり落ちていきました。
海岸の付近を航行していた船は大きな波にもまれ、道行く馬はどこに立っていればいいのかわからずウロウロするばかりの有り様です。
都の近くのあちらこちらにある神社は仏閣などは、どれひとつとして損壊していないものはありませんでした。
ある建物は崩れ落ち、ある建物は倒れていたのです。
塵と埃が辺り一面に立ち昇っていき、そのもうもうたる様子は街中が煙で覆われているようでした。
大地が鳴り響く音、家々が崩れ落ちていく音、それらはまるで雷鳴が鳴り響く音と同じです。
もしも家の中にいたら、一瞬のうちに押しつぶされて死んでしまうでしょう。
かといって、もしも走って外に出たら、地割れの中に落ちて死んでしまうかもしれません。
空へ逃げようと思っても、人間には羽がないので空を飛んで逃げることはできないのです。
もしも竜だったら、雲に乗って逃げることができるでしょうけれども・・。
こんなに恐ろしい大地震の光景を目の辺りにして、世の中の恐ろしいものの中でも、とくに恐ろしいものはやはり地震だと、改めて感じた次第でございます。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
第二十一段-2(原文)
※読みやすくするため、適時改行しております。
*
その中に、ある武者のひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、
築地のおほひの下に、小家を造りて、はかなげなるあどなしごとをして、遊び侍りしが、
にわかにくづれ埋められて、跡形なく、平にうちひさがれて、二つ目など一寸ばかりづつうち出だされたるを、父母かかえて、声を惜しまず悲しみあひて侍りしこそ、あはれに悲しく見侍りしか。
子の悲しみには、たけき者も恥を忘れけりとおぼえて、いとほしく、ことわりかなとぞ見侍りし。
*
〔言葉の意味〕
「武者」:「むしゃ」/武士。
「築地」:「ついぢ」/土塀のこと。
「築地のおほひの下」とあるので「屋根のある土塀」を指しています。
「あどなし」:子供っぽい。たわいがない。あどけない。
「いとほしく」:①つらい。心苦しい。②気の毒だ。かわいそうだ。ふびんだ。③かわいらしい。いじらしい。いとしい
第二十一段-2(現代語訳)
〔※より分かりやすくするために、言外に含まれるであろう事柄も含めて「意訳」しました/以下同じ〕
大地震のその中にあって、こんな光景を目にしました。
ある武士に、年の頃、6歳か7歳くらいのひとり息子がおりました。
その子は、屋根のある土塀の下に小家を造って、たわいのない子供らしいことをして、遊んでおりました。
そこを大地震が襲い、土塀は崩れて、その子はたちまち見る影もなくなってしまったのです。
掘り起こし、やっと助けただしたものの、その子は崩れた土塀に落ちつぶされていて、二つの目玉は三センチほども飛び出していました。
両親は我が子の遺体を抱きかかえ、声をあげて泣き叫んでいました。
私は、その無残な様子を悲しい思いで見つめるしかありませんでした。
たとえ勇猛な武士だとしても、愛する我が子を亡くした悲しみというものは耐えられるものではなく、周りの目など一切気にしないで感情を露わにしてしまうことは、無理のないことだと思いながら、私はただ見守るしかありませんでした。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
〔解説〕
無常の悲しさを伝える
表現の工夫
鴨長明はこの大地震による災害の記述の中で「これが無常だ」「ああ悲しい」と述べているわけではありません。
ただ、災害によって人が死に、住処が無くなっていく様子を写実的に記録し、そこに少しの感想を述べているだけです。

「今有ったものが」⇒「失われてしまう」ことを記述することによって、そこに世の中の無常を感じてほしいと思っていたのかもしれません。
そして、読む人に分かってもらうのが記述の目的ですから、表現には工夫が伴います。
この大地震の件では「自然界の無常」を前半に、「人間界の無常」を後半にと、分けて記述しています。
また、前半部分では、対句を多用していることも特徴的です。
<自然の無常、そして人間の無常>
前半に登場する生き物は馬だけで、人間は描かれていません。人間の苦しみについては後半に描かれています。このように、前半は自然描写、後半は人間描写と分けることによって、状況がとても分かりやすくなっています。自然の無常はこうだ、人間の無常はこうだ….と言いたかったかのようです。
自然はその形を変え、人間ははかなくも死んでゆく、そこに無常を感じていたのだと思われます。
<対句の多用>
山崩れて~ 海傾き~
土裂けて~ 巌割れて~
なぎさ漕ぐ船~ 道行く馬~
・・・以下、同じような表記をとっています。
このように、対句を多用することによって、各々の悲惨な事象が印象に残りやすくなっています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
第二十二段(原文)
※読みやすくするため、句点毎に改行しております。
*
かく、おびたたしく震ることは、しばしにて止みにしかども、そのなごり、しばしは絶えず。
世の常、驚くほどの地震、二、三十度震らぬ日はなし。
十日、廿日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或いは四、五度、二、三度、もしは一日まぜ、二、三日に一度など、おほかたそのなごり、三月ばかりや侍りけん。
第二十二段(現代語訳)
このような、とても強い揺れはしばらくして止みましたが、その余震はしばらくの間止むことはありませんでした。
余震とはいえ、驚くような大きな揺れです。それが、一日に二、三十回、揺れない日はないくらいあり、毎日揺れるのがあたりまえのようになっていました。
それでも、十日が過ぎて、二十日が過ぎて、だんだんと揺れなくなっていきました。
そして、一日に四、五回、それが二、三回へと減っていき、もしくは一日おきに、そして二、三日に一度など、おおよそ余震は、三か月ほど続きました。
〔解説〕
鴨長明は
ノンフィクション作家?
この描写は、2011年2月11日に東北沖を震源として発生した「東日本大震災」の余震の有り様と似ていますね。
そして、第二十一段も、この描写も、現代のニュース記事にしても通用すると思われる臨場感です。
ただ、第二十一段には海の様子も山の様子も、そしてあちらこちらにある神社仏閣の様子も書かれています。このことから・・「はて、作者は海にも行ったのか? 地震の時、いったいどこにいて、その大きな揺れを体感したのだろう」・・という疑問が生じます。
当時のことですから移動はもちろん徒歩です。

なので、おそらく、海の様子は伝聞であったのではないかという推測が成り立ちます。
ということは、第二十一段も、この第二十二段にも、伝聞によるものがいくつか含まれている可能性があります。
鴨長明は、自分の目で確認したことも、伝聞(取材)したことも、それらを、自分がその場にいたように記述しているわけです。
鴨長明は、自分の脚で歩いて見聞するし、取材もする。
現代風に生きていれば、ノンフィクション作家として活躍していたかもしれませんね。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
第二十三段(原文)
※読みやすくするため、句点毎に改行しております。
*
四大種の中に、水、火、風はつねに害をなせど、大地にいたりては異なる変をなさず。
昔、斉衡のころとか、大地震ふりて、東大寺の仏の御首落ちなど、いみじきことども侍りけれど、なほ、この度には如かずとぞ。
すなはちは、人皆あぢきなきことを述べて、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日かさなり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし。
*
〔語句の意味〕
「四大種」:「しだいしゅ」「四大(しだい)」も同じ意味/
〔仏教語〕万物のもとになる、地、水、火、風の四つの元素。
・私の手元にある古語辞典には、丁度、方丈記のこの部分が例として記載されていました。
「斉衡」:「さいこう」/日本の元号。854~857年。文徳天皇の時代。
「いみじ」:① 良い意味、場合に用いて「たいしたものだ」「すばらしい」「りっぱだ」
② 悪い意味、場合に用いて「たいへんだ」「恐ろしい」「情けない」「ひどい」
「なほ」:①もとのとおり。やはり。依然として。②その上にまた。ますます。いっそう。③再び。また。
「あぢきなし」:①手の施しようがない。どうしようもない。②無益だ。かいがない。つまらない。③おもしろくない。にがにがしい。
第二十三段(現代語訳)
仏教で考えられている、万物の元になる、地・水・火・風のうち、水と火と風は、水害や火事や台風といった災害の元になりやすいものです。
でも、地についていえば、大地が驚くほどに揺れるなどという、大異変を起こすことなど思いもよらず、地震は人々の関心の中にはありませんでした。
昔のことですが、斉衡の時代の頃に(854~857年)大きな地震があって、東大寺の大仏様の首が転がり落ちるという大変なことがありました。
でも、やはり、この度の大地震の凄さにとは比べることはできないと思います。
結局のところ、人々は皆、地震は自然が起こすものだから、人間の力ではどうしようもないことだと語り、欲望などに振り回されるような心の濁りというものは、少し和らいだことだろう。
でも、月日が過ぎて、何年も経った頃には、地震で味わった苦しみや世の中の無常というものを口にする人はいなくなってしまいました。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
〔解説〕
忘れさられる無常
思い出される無常
その昔、大仏の頭が地震によって転がり落ちたことがあるということがわかります。仏様の頭が転がり落ちたのですから、世の中はさぞかし騒がしかったことと思います。
でも、その時の地震よりも、鴨長明は自分が体験した地震の方が凄いと書いています。客観的な比較はできないと思うのですが、体験した身としては「今回の方が凄い」と感じざるおえないのでしょう。
そして、人々の心から大地震のことが薄れていく様子を、
「そうやって、大変だ大変だといいつつも、自然のことだからしょうがないと思い・・・そして、月日が経ったら、当時の悲惨さと、そのとき感じた無常さを忘れてしまっている」
と書いています。
ここで、この最後の一文(原文)、
「月日かさなり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし」は、
世の中への批判なのでしょうか、
それとも、
人間の性質とはそういうものだという諦めなのでしょうか。

この次の第二十四段の冒頭を読むと、
「すべて、世の中のありにくく、我が身と栖との、はかなく、あだなるさま、またかくのごとし」
(訳:この世の中を生きていくことは難しいものだ。自分と自分の住処にしても、先の大地震で世の中が一変したように、はかなくて、もろいものだ)
・・・というように、「はかなく」「あだなるさま(もろい様子)」と書いているところからすると、「諦め」のように思えます。
ただ、方丈記がこのあと、人間ひとりひとりの無常について語り、そして自分自身の無常さにも言及していくことを考えると、先の記述は無常を追求する姿勢の通過点であり、

「無常は、忘れさられるものでもある」そして「無常は、思い出すものでもある」ということもまた、無常のひとつの特性なのである。
ということを、鴨長明は「無常の真理」として伝えたかったのではないか・・、私はそんなことを考えています。これは、ひとつの発見です。
いずれにせよ、天災は昔も今も変わらずにやってきているということを、私たちは常日頃から意識して真剣に自覚していないといけませんね。
倒壊する家屋などは耐震構造という対策防止策により減らすことができるのですから、もしもそれらを怠っていて被害が広がれば、それは人災です。
人災が広がる理由は油断、つまり無常さを忘れてしまうことです。くわばら、くわばら・・。
*
【参考:直近の記事、他】
第四段、第二十四段、第二十五段を記載、解説しております。
・方丈記/人は無常な世の中、無常な人生をどのように生きたらよいのか

以下は、今までに書き連ねた、他の記事の一覧です。