浦島太郎/原文要点解読/亀・乙姫・竜宮城・玉手箱・お爺さん/教訓


(画像はイメージです/出典:photoAC)

この記事では、

「浦島太郎の原文」と「現代に伝わる浦島太郎」を読み比べていきます。

〔1. テーマと目的〕

【 テーマ 】

日本の有名な昔話「浦島太郎」について、

〔浦島太郎の原文〕を解読して、

〔現代に伝わる浦島太郎〕との差異を読み比べてみようと思います。

・浦島太郎の原文については、江戸時代の初期に刊行された「渋川版 浦島太郎」を取り上げて、既に以下の記事にて解読を試みました。

御伽草子/浦島太郎の源流・渋川版原文/教訓/かりそめでも夫婦明神

・上記の記事で解読している原文と、この記事で使用する原文は、同じ「渋川版 浦島太郎」です。

【 目 的 】

二つを読み比べて、何がどのように異なっているのかを知ることにより、物語を鑑賞する ”面白さや楽しさの可能性が広がっていく” だろうと考えたからです。

〔2. 浦島太郎の原文の出所〕

「御伽草子」とは、鎌倉時代末から江戸時代にかけて成立した、それまでにない新規な主題を取り上げた短編の絵入り物語(参照:「御伽草子」wikipediaより)です。

そして「渋川版 御伽草子」とは、江戸時代の初め頃に、大阪の渋川清右衛門という人が23編の話を「御伽文庫」「御伽草子」として刊行したものを指しています。(同 wikipediaより)

実は、その23編の中に「浦島太郎」の話があるのです。

そして、ありがたいことに、その翻刻されたものが岩波文庫から出版されているのです

〔※翻刻(ほんこく)/古文書・古典籍・石碑などに残された古い時代の文字を読み取り、活字化(テキスト化)すること(参照「翻刻」wikipediaより)

〔参考資料は以下の通りです〕

「御伽草子 (下)」市古貞次 校注 /発行:㈱岩波書店、2007年発行:第26刷

「角川 必携古語辞典 全訳版」/発行:角川書店、平成 9年発行:初版

※私が使用している古語辞典です。

〔画像は岩波文庫/右の絵は亀を釣った時の様子/筆者撮影〕

〔3. 現代に伝わる浦島太郎〕

この歌は、とても簡潔に分かりやすく構成されていて、尚且つ人口に膾炙しているからです。

この歌の歌詞は、明治44年(1911年)に、当時の文部省より小学2学年用の唱歌として編集公刊された、尋常小学校唱歌のひとつだそうです。

さあ、歌ってみましょう!

♪ むかし むかし うらしまは♪

♪たすけた亀に連れられて♬

♪竜宮城へ来てみれば♬

♪絵にもかけない美しさ♪

(以下略)

〔4. 読み比べる事柄〕

読み比べる事柄については、

浦島太郎という昔話を象徴する事柄である、

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

〔5. 読み比べする手順〕

「浦島太郎の童謡」の歌詞を1番から読んでいきます。

そして、「亀」「竜宮城」「乙姫様」「玉手箱」「おじいさん」・・というように、物語に登場する順番に、各々を〔浦島太郎の原文〕と読み比べていきます。

そして最後に、全体を見渡して、得られる「教訓」についても考えてみたいと思います。

「現代に伝わる浦島太郎」の代表として、以下より引用させていただきました。

(引用元/「世界の民謡・童謡」浦島太郎 うらしまたろう:動画もあります)

浦島太郎の童謡/歌詞

* * *

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

現代に伝わる浦島太郎〔童謡の歌詞1番〕

浦島太郎の原文

昔丹後国に、浦島といふもの侍りしに、その子に浦島太郎と申して、年齢二十四五の男有りけり。明け暮れ海のうろくづをとりて、父母を養いけるが、ある日のつれづれに、釣をせんとて出でにけり。

浦々島々、入江々々、至らぬ所もなく、釣をし、貝を拾い、みるめを刈りなどしける所に、ゑしまが磯という所にて、亀を一つ釣り上げる。

浦島太郎此亀にいふやう、

汝、生あるものの中にも、鶴は千年、亀は万年とて、命久しきものなり忽ちここにて命をたたん事、いたはしければ、助くるなり。常には此恩を思ひ出すべし

とて、此亀をもとの海へかへしける。

〔中略〕

かくて浦島太郎、其日は暮れて帰りぬ。又次の日浦の方へ出でて、釣をせんと思ひければ、はるか海上に、小船一艘浮べり。怪しみやすらひ見れば、美しき女房只ひとり波にゆられて、次第に太郎が立ちたる所へ着きにけり。

【語句の意味】

うろくづ/①うろこ ②魚

みるめ/「海松布」/海藻の名。濃緑色で、浅い海の岩に生える。食用。

いたはし/①骨がおれる。苦労だ。 ②(病気にかかって)痛い。苦しい。 ③苦しいほど心にかかる。大事に思われる。

やすらひ/①ためらう。 とどまる。足をとめる。滞在する。

「怪しみやすらひ見れば」⇒ 不思議に思い、足を留めて見ていると、

女房/にょうぼう/①宮中に仕える高位な女官。 ②貴人の家に仕えている女性。 ③妻。④婦人。女性。

【読み比べ】

  

原文には・・昔、丹後の国に浦島家があり、その子に二十四五歳の「浦島太郎」という男がいた・・と書かれています。「むかしむかし 浦島は♪」という出だしは、原文の冒頭部分が要約されています。

※この一行に含まれる話題を、個々に探ってみましょう。

  

1.亀との出会い

原文:「(浦島太郎は)ゑしまが磯という所にて、亀を一つ釣り上げる」

・渋川版の挿絵にも描かれているように、亀は釣り竿の先にぶら下がっている程の、小さな亀です。

・現代の浦島太郎の絵本に見られるような、背中に人が乗れる大きな亀ではありません。

2.亀を助ける

原文:「忽ちここにて命をたたん事、いたはしければ、助くるなり

・助けたということについては、原文と現代版とは一致しています。

・ただ、その時の亀は「釣った亀」なのです。おそらく魚を釣ろうとしていて、亀が釣れたのでしょう。浦島太郎としては、父母の元へ持ち帰り、亀鍋にして亀を食べることは選択肢にあったと思われます。

・でも、その時、浦島太郎は理由を述べて、亀を海へ戻します。つまり、亀の命を助けたのです。

助けた理由〔訳例〕:

3.亀に連れられて

原文には「亀に連れられて」という記述はありません。

・読み進めていくと、浦島太郎を竜宮城へ誘導した女房が、実は浦島太郎に命を助けられた亀の変身した姿であったことが判明します。でも、この段階では「女房=亀」は明らかにはなっていません。

なので「亀に連れられて」という表現は、時系列で把握しようとした場合は、原文と異なります。

でも、結局は「女房=亀」だと判る時が来るので、時系列を考えなければ「亀に連れられて」は、結果として原文の通りだということになります。

4.美しき女房只ひとり

原文:美しき女房只ひとり波にゆられて、次第に太郎が立ちたる所へ着きにけり」

・「美しき女性」が、一人小さな船に乗り、沖合に現れました。

・そして、その「美しき女性」は浦島太郎に助けを求めました。

・「乗っていた船が難破してひとりぼっちになってしまいました。私を故郷へ戻して下さい」と。

・浦島太郎が、その申し出を受け入れて「美しき女性」に案内されるまま船を漕いで十日間。

・到着したところが竜宮城だったのです。

・「竜宮城」という名称は、女房との会話の中で、女房が教えてくれます。

* * *

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

現代に伝わる浦島太郎〔童謡の歌詞1番〕

浦島太郎の原文

さて船より上り、いかなる所やらんと思へば、銀の築地をつきて、金の甍をならべ、門をたて、いかならん天上の住居も、これにはいかで勝るべき。此女房のすみ所、ことばにも及ばれず、中々申すもおろかなり。

〔中略〕

さて女房申しけるは、「これは竜宮城と申す所なり。此所に四季の草木をあらはせり。入らせ給へ、見せ申さん」とて、引き具して出でにけり。

【語句の意味】

築地/ついぢ/①土塀。 ②公卿の異称。

中々/なかなか/①中途半端に。 なまじっか。 ②かえって。③(下に打ち消しを伴って)とても。どうしても。

【読み比べ】

  

<浦島太郎の視点>

原文:「さて船より上り、いかなる所やらんと思へば」

(訳例:さて、船から上がり、ここはいったいどのような所かと思って眺めてみると・・)

<浦島太郎の感想>

原文:「いかならん天上の住居も、これにはいかで勝るべき

(訳例:どんなこの世の住居も、この様子に勝るものはないだろう)

<浦島太郎の感想>

原文:「ことばにも及ばれず、中々申すもおろかなり」

(訳例:言葉では言い表すことはできない、言葉で表すなんて、かえって愚かしいことだ)

<女房の言葉>

原文:「これは竜宮城と申す所なり」

竜宮城の様子を形容して「美しい」という言葉は使われていませんが、

「いかならん天上の住居も、これにはいかで勝るべき」

「ことばにも及ばれず、中々申すもおろかなり」

この表現はまさしく、

「筆舌に尽くしがたい」ことであり、

つまり

と変換されたようです。

* * * 

【七五調が持つリズムの良さ】

 

ところで、「絵にもかけない美しさ」で気が付いていただけましたでしょうか。

浦島太郎の童謡は、七五調で創られています。

言葉が同じ音調で繰り返されることによって、そこに無意識のうちに安心が生まれます。おそらく、脳が一定のリズムを心地よく感じるからでしょう・・と私は思っています。一定のリズムは、覚えやすいものでもあります。

この浦島太郎の童謡が当時の小学校唱歌として刊行されたのは明治44年。

詩歌の時代変遷を紐解くと、

七五調、五七調の定型詩から、「口語自由詩」が新たに登場して、詩の形式は多様化へと移っていく、ちょうど過渡期にあたります。

大正時代に入り、輩出した口語自由詩の詩人としては/例:高村光太郎 例:室生犀星などがあげられます。

〔ex:道程/僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる。ああ、自然よ、父よ~〕

※何故このような事柄を話題にしたかというと、

浦島太郎の物語を口語自由詩で書き起こし、たとえばラップ調で歌ったら、物語としての完成度は高いので、いいラップに変換できるのではないかと思ったからです。

【七五調の例】

島崎藤村(1872年/明治5年生~1943年/昭和18年没)

 ex:代表作「初恋」(1896年/明治29年)は、きれいな七五調で書かれています。

与謝野晶子(1878年/明治11年生~1942年/昭和17年没)

 ex:代表作「君死にたまふことなかれ」(1904年/明治37年)も、きれいな七五調で書かれています。

「君死にたまふことなかれ」については、私はYouTubeで紹介させて頂いております。ご視聴いただければ幸いでございます)

 ※浦島太郎の原文には、五七調の和歌が五首、詠まれています。

〔浦島太郎が竜宮城を離れる場面〕

<女房の歌>

日数へて 重ねし夜半の 旅衣 立ちわかれつつ いつかきて見ん

(ひかずへて かさねしよはの たびごろも たちわかれつつ いつかきてみん)

<浦島返歌>

別れ行く 上の空なる 唐衣 ちぎり深くは 又もきて見ん

(わかれゆく うはのそらなる からころも ちぎりふかくは またもきてみん)

〔浦島太郎が故郷へ帰る波路の途中に〕

かりそめに 契りし人の おもかげを 忘れもやらぬ 身をいかがせん

(かりそめに ちぎりしひとの おもかげを わすれもやらぬ みをいかがせん)

〔浦島太郎が故郷へ降り立ち、父母の墓の前で〕

かりそめに 出でにし跡を 来てみれば 虎ふす野辺と なるぞ悲しき

(かりそめに いでにしあとを きてみれば とらふすのべと なるぞかなしき)

〔エピローグにて/世間が受け入れた浦島太郎の例/これは恋歌です〕

君にあふ 夜は浦島が 玉手箱 あけてくやしき わが涙かな

(きみにあふ よはうらしまが たまてばこ あけてくやしき わがなみだかな)

日本語には、七五調や五七調がよく合いますね。

歌の解釈については、以下の記事に書きました。参照をお願いいたします。

御伽草子/浦島太郎の源流・渋川版原文/教訓/かりそめでも夫婦明神

* * *

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

現代に伝わる浦島太郎〔童謡の歌詞2番〕

【読み比べ】

  

そして、原文には「美しき女房」が乙姫様であるという記述はありません。

※原文での「美しき女房」の登場シーンは以下の通りです。

 ・浦島太郎が釣った亀を海へ返した、その翌日。

 ・浦島太郎がその日も釣りをしようとしていたら、はるか海上に小さな船一艘。

 ・浦島太郎は、その船の上に「美しき女房」を見つけました。

浦島太郎の原文

「はるか海上に、小船一艘浮べり。怪しみやすらひ見れば、美しき女房只ひとり波にゆられて、次第に太郎が立ちたる所へ着きにけり」

やすらひ/「やすらふ」の連用形/①ためらう。躊躇する。 ②とどまる。足をとめる。 ③(近世:「休む」の「やす」に引かれての誤用)憩う。休息する。

女房/にょうぼう/①宮中に仕える高位な女官。 ②貴人の家に仕えている女性。 ③妻。④婦人。女性。

・ここでは「女性」と訳してよいと思います。

※その女性は、以下のように身の上を浦島太郎に話します。

 ・乗っていた船が難破しました。

 ・私はこの船に乗せられて、海上に放たれました。

 ・ここで貴方(浦島太郎)に会えたのは、貴方と私には前世での御縁があるからです。

そして、

 ・「私をどうか故郷へ返して下さいませ」と泣きながら懇願したのです。

  

・原文に「ご馳走」は出てきません。

「鯛」「ひらめ」も登場しません。

「舞い踊り」もありません。

・そもそも、竜宮城は海の中ではありません。

※原文での竜宮城の様子は、「四方に四季の草木」を表す所、として紹介されています。

(*以下の冒頭部分は、先に「竜宮城」のブロックで記した原文と同じものです)

浦島太郎の原文

さて女房申しけるは、「これは竜宮城と申す所なり。此所に四季の草木をあらはせり。入らせ給へ、見せ申さん」とて、引き具して出でにけり。

まづ東の戸をあけて見ければ、春の景色と覚えて、梅や桜の咲き乱れ~

 (中略)

南面を見てあれば、夏の景色とうち見えて、春をへだつる垣穂には、卯の花や、まづ咲きぬらん~

 (中略)

西は秋とうち見えて、四方の梢も紅葉して~

 (中略)

さて又北をながむれば、冬の景色とうち見えて、四方の木末も冬がれて~

 (後略)

上記の全文と現代語訳については、私の以下の記事におさめました。

御伽草子/浦島太郎の源流・渋川版原文/教訓/かりそめでも夫婦明神

私がこの記事を書いているのは6月、新緑が青々としている日本では初夏の季節です。

春を思えば、春はついこのあいだ過ぎ去りました。

冬を思えば、冬は、もうとっくに過去のことです。

これから夏がやってきて、その先は秋。そしてまた冬がやってきます。それは未来のことです。

過去と未来の真ん中、現在に私たちは生きています。

過去には戻れません。

未来は予定、又は想像です。

でも、竜宮城では、一か所に居ながら、過去も未来も一同に見ることができるのです。

竜宮城のこの部屋は、まさしくタイムマシンなのかもしれません。

不思議な所です。

  

※原文には以下の記述があります。

浦島太郎の原文

かくておもしろき事どもに、心を慰み、栄花に誇り、明し暮し、年月をふる程に、三年になるは程もなし

程に/「程/ほど」+「に/格助詞」/~すると。~するうちに。

程もなし/「程無し/ほどなし」/①間がない。少ししか時がたたない。 ②年若い。 ③狭い。小さい。 ④低い。

訳例:このように心浮かれて楽しく過ごし、ときめいて日々暮らしながら年月を送っているうちに、三年があっと言う間に過ぎてしまいました。

これらの表現は、まさしくこの原文の記述を元にしていると思われます。

* * *

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

※「現代に伝わる浦島太郎の童謡」では、三番と五番に歌われています。まずは三番から。

現代に伝わる浦島太郎〔童謡の歌詞3番〕

【読み比べ】

 

「遊び」と歌われています。

現代に伝わる浦島太郎は、竜宮城で遊んでいたという認識で書かれています。

「かくておもちろき事ごもに、心を慰み、栄花を誇り」という状態ですから、それを「遊び」と言い換えても、全く異なるものではありません。

ただ「浦島太郎の原文」には、

書かれています。

そこに、「浦島太郎の原文」と「現代に伝わる浦島太郎」との、大きな差異があります。

1.女房から浦島太郎への求愛

〔原文〕

さて女房の申しけるは、

「一樹の陰に宿り、一河の流れを汲むことも、皆これ他生の縁ぞかし。ましてや遥かの波路を、はるばると送らせ給ふ事、ひとへに他生の縁なれば、何かは苦しかるべき、わらはと夫婦の契りをもなし給ひて、同じ所に明し暮し候はんや

と、こまごまと語りける。

〔訳例〕私は、私のもうひとつの記事「御伽草子/浦島太郎の源流・渋川版原文/教訓/かりそめでも夫婦明神」の中で、以下のように意訳してみました。

意訳例

・浦島太郎は女房に結婚してほしいと口説かれたのです。

・その口説き文句に、女房が使ったのが「他生の縁」

・「ご縁を大切にしましょう」というメッセージが読み取れます。

浦島太郎は、竜宮城に連れていってくれた女性の申し出を承諾して、結婚しました。

(この時、故郷に残してきた父母のことは、そっちのけです。全く言及されていません)

(お伽話だから‥と云ってしまえばそれまでですが、社会通念上の常識はここでは無視されています)

交際期間は、浦島太郎の故郷から竜宮城への波路、たったの十日間でした。

それでは・・・、

夫婦となった二人の結婚生活はどのようなものだったのでしょうか。

その内容が次に続く原文なのですが、

2.二人の仲睦まじき夫婦生活

〔原文〕

さて偕老同穴の語らいも浅からず。天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝とならんと、互いに鴛鴦の契浅からずして、明し暮させ給ふ。

偕老同穴比翼の鳥」「連理の枝」「鴛鴦の契

これらは全部、男女の仲、夫婦の仲の良いことのたとえです。

これだけの賛辞で形容される夫婦生活なのです。

どれだけ仲睦まじかったのか、それはこの世の最大級のものと云ってよいと思います。

見方を変えれば、実に「お伽話らしい」表現なのかもしれません。

・「比翼の鳥」「連理の枝」は、中国の詩人である白居易の「長恨歌」の最後から3行目と四行目に詠われているのが、その語源です。

・「鴛鴦の契」は、「鴛鴦(えんおう)=オシドリ」の夫婦仲の良いところからきています。

意訳例

  

浦島太郎が女房へ「故郷へ帰らせてほしい」と申し出る場面は以下とおりです。

浦島太郎の原文

浦島太郎申しけるは、

われに三十日の暇をたび候へかし。故郷の父母を見すて、かりそめに出でて、三年を送り候へば、父母の御事を心もとなく候へば、あひ奉りて、心やすく参り候はん」

と申しければ、

女房仰せけるは、

「三年が程は、鴛鴦の衾の下に比翼の契りをなし、片時見えさせ給はぬさへ、とやあらん、かくやあらんと心をつくせ申せしに、今別れなれば、又いつの世にか逢ひ参らせ候はんや。二世の縁と申せば、たとひ此世にてこそ夢幻の契にてさぶらふとも、必ず来世にては、一つ蓮の縁と生れさせおはしませ」

とて、さめざめと泣き給ひけり。

・浦島太郎は、

「両親のことが心配だから、三十日の暇がほしい」と女房に伝えます。

・女房は、

「今別れたら、いったいいつ逢えるというのですか? もう逢えないのではありませんか? 夫婦は現世と来世にまたがった強い縁で結ばれているのですから、来世でまたお逢いしましょう」

と泣きながら言い返したのです。

浦島太郎の原文

又女房申しけるは、

「今は何をか包みさぶらふべき。自らは、この竜宮城の亀にて候が、ゑしまが磯にて、御身に命を助けられ参らせて候、その御恩報じ申さんとて、かく夫婦とはなり参らして候。また是は自らがかたみに御覧じ候へ

とて、左の脇よりいつくしき箱を一つ取り出し、

「あひかまへてこの箱をあけさせ給ふな」

とて渡しけり。

いつくしき/「いつくし」の連体形/①荘厳である。おごそかだ。 ②すぐれていて、立派である。 ③美しい。かわいらしい。

・ここでは①か③に解釈するのが適当と思われます。

あひかまへて/ ①〔接頭語〕心にかけて。気を配って。 ②〔副詞〕(下に禁止・命令の語を伴って)決して。必ず。

・ここでは「決して、この箱を開けないようにして下さいませ」

「玉手箱」という表現は使われていません。

箱は、女房の「かたみ」であり、「いつくしき箱」なのです。

「かたみ」を渡すということは、もう二度と逢えないという覚悟の現れです。

浦島太郎は三十日間の暇を下さいと言っただけなのに、一生逢えないという展開へと物語は運ばれるのです。

「玉手箱」という表現は、物語の原文のずっと後の方・・

浦島太郎が開けないでと言われていた箱を開けて、中から出てきた三筋の紫の雲に当たって変わりはててしまった後・・・この物語のエピローグに当たる部分にて、次の歌に詠まれています。これは恋歌ですね。

君にあふ夜は 浦島が 玉手箱 あけてくやしき わが涙かな

訳例:浦島が玉手箱を開けて、あっという間に年月が過ぎていってしまったように、あなたに逢う夜は、あっという間に明けてしまい、私は悲しくて涙をこぼしてしまいます。

・・・浦島太郎のお話は、このような歌にも詠まれるくらい、世間に知られるようになりました、というエピローグでの紹介です。

  

※原文には、浦島太郎が自分の故郷へ帰る途中に、箱の中身が「楽しみだ」とか、箱が「土産である」と認識するような表記も、その箱を「玉手箱」と呼ぶような表記もありません。

故郷へ帰る波路は以下のとおりです。浦島太郎は波路の途中で歌を詠みます。

浦島太郎の原文

さて浦島太郎は、互いに名残りを惜しみつつ、かくて有るべきことならねば、かたみの箱を取り持ちて、故郷へこそ帰りけれ。忘れもやらぬ来し方、行末の事ども思ひ続けて、遥かの波路を帰るとて、浦島太郎かくなん。

かりそめに 契りし人の おもかげを 忘れもやらぬ 身をいかがせん

訳例/以下のように意訳してみました〕

さて、浦島太郎は、お互いに別れの余韻に後ろ髪を引かれながらも、そのままじっとしているわけにはいかないと思い、女房のかたみの箱を手にして、故郷への波路を帰っていくのでありました。

浦島太郎は、故郷への長い波路を船に揺られながら、忘れもしない”あの日から今日までのこと”、そして” これから先々の事ことなど” あれこれといろいろ考えながら、その思いを歌に託しました。

偶然ではあったけれども、夫婦の契りを結んだあの人の面影を、私はすっかり忘れることはできない。ああ、この辛い思いをいったいどうしたらいいのだろう。

* * *

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

現代に伝わる浦島太郎〔童謡の4番と5番〕

【読み比べ】

この童謡の歌詞、4番の内容は、ほぼそれに該当する以下の原文があります。

〔原文〕さて浦島は、故郷へ帰り見てあれば、人跡絶えはてて、虎ふす野辺となりにけり。浦島これを見て、こはいかなる事やらんと思ひ・・・

・・・原文には「路に行きあう人々」「顔も知らない者ばかり」の記述はありませんが、原文の「人跡絶えはてて、虎ふす野辺」が故郷の荒廃し殺伐とした景色を物語っています。そして浦島に「こはいかなる事やらんと思ひ」という疑問が生じさせています。

このくだり、詳しくは、以下の私のもうひとつの記事を参照下さいませ。

御伽草子/浦島太郎の源流・渋川版原文/教訓/かりそめでも夫婦明神

それでは、5番の歌詞を探求してみましょう。

ここには、3番で登場した「玉手箱」が再度登場します。

この価値の変化は、この物語の要点です。

そして「たちまち 太郎は おじいさん」・・・ここを語らずして、浦島太郎の物語は帰結しませんね。

<玉手箱>

せっかく故郷へ帰ったものの、700年という時間が過ぎていました。

浦島太郎は途方に暮れて、一本の松の木の木陰に立ち寄ります。

浦島太郎の原文

さて浦島太郎は、一本の松の木陰に立ち寄り、呆れはててぞ居たりける。太郎思ふやう、亀が与えしかたみの箱、「あひかまへてあけさせ給ふな」といひけれども、今は何かせん、あけて見ばやと思ひ、見るこそくやしかりけれ。

〔訳例〕

浦島太郎は一本の松の木の木陰に立ち寄り、茫然自失していました。

浦島太郎は思いました。

・・あの亀は「決して開けないで下さいませ」って言っていたけれども、今となっては、そんなこと関係なくなってしまったなぁ・・

・・開けてみようかな。ああ、この箱、見るたびにいろいろなことが思い出されて、今こうなってしまったことが残念でならないよ・・

<価値の変化/物語の吸引力>

原文では、

童謡の歌詞3番では、

「かたみ」⇒「もう、かたみではない」へと変わる、

「楽しみ」⇒「心細さ」へと変わる、

「みやげ」⇒「悔しき」へと変わる、

このように物語の中の大切な事柄について、その価値に急激な変化を与えることは、今日では物語を面白くする常套手段として知られています。

なぜなら、読者は「なぜ?」と思って、その理由を知りたくなるからです。その理由を知りたくなるから、その先へと読み進めていくのです。

原文の作者に、そのような意図があったかどうかは別としても、技法といえば技法であり、浦島太郎の物語が今日まで長く生き続けてきた理由のひとつとして、この構図「〇〇だったのに・・△▽になってしまった」を位置付けてよいと思います。

少し戻って、時系列で追ってみましょう。

・浦島太郎は故郷へ帰り着きますが、故郷は人跡の無い荒れた野原でした。

・浦島太郎が不思議に思い、辺りを探っていると、ひとりのお年寄りと出会います。

・そのお年寄りは、浦島太郎に以下のように伝えて、浦島家の墓を教えてくれました。

〔原文〕「その浦島とやらんは、はや七百年以前の事と申し伝へ候」

・浦島太郎は茫然自失となり、一本の松の木陰に立ち寄ります。

そして、童謡の歌詞の5番、

へとつながります。

浦島太郎の原文

※【変りはてにける】の解釈

・分解=「変り」+「はてに」+「ける(詠嘆)」

・「はつ(果つ)」の意味は、

 ①終わりになる。窮まる。なくなる。

 ②死ぬ。

 ③(他の動詞の連用形に付いて)すっかり~してしまう。~し終わる。

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

「はてる」に「終わりになる」「なくなる」「死ぬ」という意味が含まれていることを考えると、ここは「あっという間に高齢になり、あっという間に死んで、あっという間に骸骨になってしまった」という解釈が相応しいかなと、私は思っています。

ただ、童謡は小学校の唱歌として用意したものです。

死んで骸骨になってしまっては、それを読む子供たちにとって、あまりにもショックな出来事に映ってしまう、いう判断があったのでしょう。

なので「”おじいさん” になってしまいました」という結末にしたのだと推察できます。

原文の「紫の雲」が、童謡では「白けむり」と変わっています。

ここは、

①雲は空に浮かぶ雲を連想してしまうのでよしとしない。

②七五の音調に整える必要がある。

という二つの理由から「白けむり(しろけむり)」としたのだと思われます。

「現代に伝わる浦島太郎」はここで終わりですが、原文にはまだ続きがあります。

ここが、けっこう重要です。

* * *

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

※「エピローグ」という把握は、エピローグという理解をした方が分かりやすいだろう、という私の判断によるものです。ご了承下さいませ。

この部分の冒頭は、

浦島太郎が鶴になり、大空へと飛び立っていく所から始まます。

このことからも、

と解釈するのが、物語としては綺麗だと思います。

そのように想像した方が、

・老いぼれたヨレヨレのおじいさんが、浜辺や野原をフラフラしているよりも、

・松の木の下で死んだままのおじいさんに、カラスがやってきて死体を突いたりしているよりも、

・おじいさんが、なんらかの方法で鶴に変身して空へ飛んでいくよりも、

分かりやすいと思います。

・・・と思うのは、私たちは現代において、インディージョーンズなどの特撮映画を観慣れているからでしょうか・・もしかしたら、そうかもしれません。

途中に恋歌が一首、紹介されています。

そして物語の最後は、

で結ばれています。

ここは、全文を転記しましょう。

読みやすくするために、原文にはない改行をしていること、ご了解くださいませ。

浦島太郎の原文/エピローグ

扨浦島は鶴になりて、虚空に飛び上りける。

そもそも此浦島が年を、亀がはからひとして、箱の中に畳み入れにけり。

さてこそ七百年の齢を保ちける。

あけて見るなと有りしを、あけるこそ由なけれ。

 君にあふ夜は 浦島が 玉手箱 あけてくやしき わが涙かな

と歌にもよまれてこそ候へ。

生有る物、いづれも情を知らぬといふことなし。

いはんや人間の身として、恩をみて恩を知らぬは、木石にたとへたり。

情深き夫婦は、二世の契と申すが、寔にありがたき事どもかな。

浦島は鶴になり、蓬萊の山にあひをなす。

亀は甲に三せきのいわゐをそなへ、万代を経しと也。

扨こそめでたき様にも、鶴亀をこそ申し候へ。

只人には情あれ、情のある人は行末めでたき由申し伝へたり。

その後浦島太郎は、丹後国に浦島の明神と顕れ、衆生済度し給へり。

亀も同じ所に神とあらはれ、夫婦の明神となり給ふ。

めでたかりけるためしなり。

※寔に/まことに/実に。ほんとうに。

*上記原文の一部の語句の意味については、

私のもうひとつの記事「「御伽草子/浦島太郎の源流・渋川版原文/教訓/かりそめでも夫婦明神」にて、解説と現代語訳をしております。ご参照下さいませ。

また、以下の〔訳例〕は、その記事からの転記です。

〔訳例〕

さて、浦島太郎は鶴となって、大空へ飛んでいきました。

浦島太郎が今日まで生きてこられた700年という年月が、亀のはからいによって、最初から箱の中に畳み込まれていたのです。

だからこそ、浦島太郎は700年もの年月を生きることができたのです。

女房である亀から「開けないでくださいませ」と言われていたのを、開けてしまったから、このようなことになってしまいました。

この物語は、たとえば、

というように、歌にも詠まれるくらい、世間に知られるようになりました。

生きとし生きるものは全て、情けを知らないということはありません。

誰もが皆、情けというものを心得ています。

ましてや、人として、恩を受けたのに知らぬ存ぜぬでは、木や石コロと同じこと。

情けが深い夫婦というものは、二世の契りと言って来世でも夫婦の契りを結びます。

これはとても素晴らしいことです。

その後、浦島太郎は鶴となって、蓬莱山で暮らしています。

亀は甲羅に、過去、現在、未来、全ての祝い事を備えているので、万年の命を生きることができるのです。

このように、鶴と亀は、おめでたいことの象徴として知られるようになりました。

人というものは、ただひたすら情けをもって生きるべきです。

情けを持って生きていけば、先々において幸せになれるのです。

その後、浦島太郎は、丹後の国の明神様となって祭られ、世の中の多くの人々を救うようになりました。

そして、亀も同じ場所に明神様となって顕在し、鶴と一緒に「夫婦の明神様」となって祭られて、世の中の人々のためになっているのです。

めでたいお話の、ひとつでございます。

子供に童話を読み聞かせた後に「〇〇ちゃん、だからね、〇〇しましょうね」と言い聞かせることは、大人としての役割だと思う人もいらっしゃると思います。

なので、少しだけですが触れておきたいと思います。

浦島太郎の話から得られる教訓は、世間でいろいろ知られています。

 :浦島太郎が、いじめられている亀を助ける場面より(原文にはない話)

 ※これも、亀を助ける場面から得られる教訓です。

 :原文では「いたわしければ、助くるなり」と云って、亀を海へ返しています。

 :亀を助けるという行為についていえば、原文も「現代に伝わる浦島太郎」も、同じですね。

 :1,2,からは、以下の教訓も導くことができます。

 ⇒ 横暴な者を挫き、弱いものを助けましょう。

 ⇒ 弱いものいじめはいけません。

 ⇒ 誰かがいじめられていたら助けましょう。

※言葉を変えれば「恩義に報いましょう」とか「借りは返しましょう」となります。

 :「現代に伝わる浦島太郎」では、亀が”助けてくれたお礼”に浦島太郎を竜宮城へ案内しています。

 :「浦島太郎の原文」においても、亀であることを明らかにした女房は、「御身に命を助けられ参らせて候、その御恩報じ申さんとて、かく夫婦とはなり参らして候」と、助けたくれたお礼に結婚をしたのだと述べています。

 :エピローグの部分では「恩をみて恩を知らぬは、木石にたとへたり」と書かれています。

※「浦島太郎が乙姫様の言う通りにしていれば(玉手箱を開けなければ)お爺さんにはならなかった。約束を破ったから、罰が当たったのです。約束は守りましょう」とう教訓です。

そもそも、浦島太郎は「はい、絶対に開けません」と約束してはいません。

「箱は開けないでください」は、あくまで相手方のお願いです。

故郷へ帰ったら、人跡は無く野原をなり、両親は他界し、700年もの時が過ぎていた・・となれば、誰だって正常ではいられません。

その証拠に、原文では女房のことを「亀があたえしかたみの箱」と云うように、亀と呼んでいます。

つまり、その時点で、浦島太郎にとって、竜宮城ので出来事は全くの夢物語であった、すっかり過去のことになってしまったと思われます。

浦島太郎にとって「女房のかたみ」という価値は、見いだせなくなってしまったのです。

そのように考えれば、

「おじいさんになってしまったのは、約束を破って玉手箱を開けた罰です」

と言い切ることは、酷な話だなぁ・・、教訓を無理やり作り出そうとしているようにしか思えません。

もしも言い換えるのであれば

という教訓を得るべきではないでしょうか・・・と、私は思っています。

そして私は、上記と併せて、以下の二つの教訓を加えたいと思います。

・そもそも浦島太郎は、漁をして父母を養っていたのです。その父母を三年間もほったらかしにしておくなんて、信じられません。竜宮城に女房(乙姫様)を送り届けたら、直ぐに帰って、出直せばよかったのです。

・まあ、ここはお伽話なので、そこがお伽話たる所以でもありますが。

・楽しいことも、いつかは終わりが来ます。たとえ700年生きたとしても、死ぬのです。・・という無常観は根底にあると思われます。

〔渋川版 浦島太郎の刊行は江戸の初期。そこから700年を遡れば平安時代、平家全盛の頃。そこから貴族の没落、平家は源氏にとって代わられ、鎌倉~室町~戦国時代・・そして江戸時代。仏教思想の浸透もある中で、諸行無常が世の中の常であることは、人々の身に沁みていたと思われます。〕

・浦島太郎が竜宮城を後にする場面では、

「会者定離のならひとて、会うものには必ず別るるとは知りながら~」という一文もあります。

・でも、最後に、浦島太郎は鶴となって神社に祭られて、衆生済度のお役にたつのです。

そして、亀も同じ所に神として顕れ、その神社は夫婦の明神となるのです。

・・・つまり、永遠です。

なぜ、そうなったのかと云えば、浦島太郎が亀を「いたはしければ、助くるなり」と云って、助けたことが因となっています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

読んでくださり、ありがとうございました。

以下も併せてお読みくださいませ。

・渋川版原文をただ愚直に現代語訳にして、そこから得られる感慨を大事にしました。

御伽草子/浦島太郎の源流・渋川版原文/教訓/かりそめでも夫婦明神

・浦島太郎と乙姫様の関係を「男女の出会いと別れ」という視点で探りました。

浦島太郎と乙姫様の出会いと男女の心/情有る人は行末めでたき鶴亀