目 次
(画像はイメージです/出典:photoAC)

◇この記事の内容
・この記事は、日本の有名な昔話である「浦島太郎」を取り上げています。
・この記事で扱う「浦島太郎」は、江戸時代の初期に刊行された「渋川版 御伽草子」の翻刻されたもの(出典:岩波文庫)を題材にしています。
・以下、これを「原文」と呼びます。
⇩
・この記事は、 ”浦島太郎と乙姫様の関係” を ”男女の出会い” と捉え、”二人の心の動き” を記事にしています。
・・・なぜなら、
原文での浦島太郎と乙姫様は ”夫婦の契り” をして、三年もの間一緒に暮らしていたのに別れることになるのですが、その心の動きを追うことは「男女の出会いと別れ」という因果を如実に語っているからです。
・・・そしてさらに、
原文での ”夫婦の契り” は「他生の縁」を根拠としていながら、一方では「かりそめの契り」でもあるとしています。「他生の縁」なのに「かりそめ」・・・これはいったいどういうことなのでしょうか?
⇩
・「浦島太郎」の物語は、所詮は御伽話です。
なので、興味深く楽しく読めれば、それでいいのです。
物語としての是非を問うことに意味はありません。
・ただ、創られた物語というものは、時代背景、世相、そこに生きていた人々の思いや生き方などを映し出した鏡でもあります。そのような考えの元に読めば、物語の中に読み取れる様々な事柄は、その全てがこの世に起こりえる類似型なのです。
そして類似型であるからこそ、深刻にはならずに、お伽話として楽しめて、かつ、なんとなく参考にもなるのです。
・浦島太郎と乙姫様の ”男女としての出会いと別れ” を、時には自分事のように、時には他人事のように・・思い考えながら、楽しんで読み解いてみましょう。
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<浦島太郎と乙姫様の関係>
日本の有名な昔話「浦島太郎」
その原文を紐解くと、現代に伝わる浦島太郎とは異なる部分があります。
その最大の差異は、
浦島太郎と乙姫様は、結婚して夫婦生活を営んだことです。
えええええ!
人が亀と結婚!?・・・
と、みなさん思うでしょう。
浦島太郎の原文を紐解くと・・・、
助けた亀は、
美しい女性の姿をして、浦島太郎の前に現れました。
まさか、その美しい女性が、昨日助けた亀だなんて、浦島太郎には分からないのです。
※ 原文では
〔亀を助けた後、そしてその翌日のこと〕
「かくて浦島太郎、其日は暮れて帰りぬ。又次の日浦の方へ出でて、釣をせんと思ひ見ければ、はるか海上に、小船一艘浮かべり。怪しみやすらひ見れば、美しき女房只ひとり波にゆられて、次第に太郎が立ちたる所へ着きにけり」
※女房(にょうぼう)/①宮中に仕えて、一室を与えられていた高位の女官。②貴人の家に仕えている女性。③妻。婦人。女性。
・ここでは「女性」と訳してよいと思います。
*
〔お断り〕
・「乙姫様」という呼び名は原文では使われていません。明治時代以降の現代語訳にて「乙姫様」という訳し方がされたようです。
・「乙姫様」という呼び名は馴染みがあると思われるので、この記事のタイトル及び記事の冒頭部分では「乙姫様」を使いました。
その女性は、
”私と貴方には他生の縁があるのだから夫婦となりましょう” と浦島太郎を口説きます。
浦島太郎は、
その申し入れを承諾しました。
そして二人は、
竜宮城で三年の月日を一緒に過ごしたのです。
※その女性について、次のブロックからは原文のまま「女房」と記します。

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<別れのとき>
<かたみの品に玉手箱>
しかし、世の中の会者定離の習いのごとく、二人には別れの日がやってきました。
竜宮城で三年が過ぎたころ、
浦島太郎は故郷に残してきた父母の身を案じて「三十日の暇がほしい」と、女房に伝えます。
すると女房は、
「実は、わたし、あのとき助けていただいた亀なのです」
と浦島太郎に告白をするのです!
そして女房は、
別れたら今度はいつ会えるのですか?
もしや逢えないのではないですか?
たとえ逢えなくても、来世でお逢いしましょう。
・・・と云いながら、
さめざめと泣いたのでした。
そしてさらに、
「これは私の ”かたみの品” でございます」と云いながら、
厳かで美しい箱をひとつ取り出し、
「決して開けないでくださいね」と云って、浦島太郎に渡したのです。
これが、後に玉手箱と呼ばれる箱です。
この時点で、原文に「玉手箱」とは書かれていません。
妻から太郎への「かたみ」なのです。
一方、浦島太郎は・・というと、
女房が、
「いつかきて見ん(いったいいつお逢いすることができるのでしょうか?」と、泣いて訴えて歌に託しているというのに、
そして、
それは自分たちのことだというのに、
浦島太郎は、
「契り深くは又もきて見ん(愛が深ければ、逢えるかもしれないね)」と、
どこか他人事のような感想を述べた返歌をするのです。
そしてさらに、
自分の妻を「かりそめ」と形容して、
「かりそめに契りし人」と歌に詠んだのです!
一見、真面目に返答しているように見える浦島太郎ですが、
実は、とても ”つれない” 対応をしているのです。

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<この記事で探るテーマ>
さて、二人は(実は人間と亀)
〔1〕どのように出逢ったのでしょうか?
そして、
〔2〕お互いをどのように思っていたのでしょうか?
二人の関係は、
〔3〕どれくらい仲がよかったのでしょうか?
そしてさらに・・・
二人はいったい、
〔4〕どのような行く末をたどったのでしょうか?
☆ 以上四つの事柄を ”浦島太郎の原文” に求めて明らかにする。
☆ 二人の ”男女としての出会いと別れ” を、時には自分事のように、時には他人事のように・・思い考えながら、楽しんで読み解いてみる。
☆ そうすることによって、この物語の鑑賞の幅(もっと楽しく、もっと面白く感じること)を広げていく。
・・これがこの記事のテーマです。
【使用した資料】
◇「御伽草子(下)」 :市古貞次校注/発行:㈱岩波書店、2007年10月 第26刷発行
・これは江戸時代の初期に刊行された「渋川版 御伽草子」の翻刻されたもので、この中に「浦島太郎」が収められています。
※引用する原文については、読みやすくするために適時改行をおこない、行間を空けております。
※ 原文の「訳例」は私によるもので、どちらかと云えば「直訳」ではなく「意訳」寄りです。
現代語訳には意訳を含めて、様々な記述があります。それらはネット上で検索してすぐに知ることが できます。なので、私の訳は多くの訳の中のひとつという意味で、ここでは〔訳例〕と表記しました。
※また、別途、以下の記事では、原文の全てを現代語訳しました。参照下さいませ。
(この記事の一部/〔訳例〕の部分は、下記記載の内容と一部重複しておりますこと、ご了承下さいませ)
御伽草子/浦島太郎の源流・渋川版原文/教訓/かりそめでも夫婦明神
◇「角川 必携古語辞典 全訳版」/発行:角川書店、平成9年初版発行
※私が使用している古語辞典です。語句の意味はここからの引用です。

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〔1〕二人の出逢い
・現代版の浦島太郎では、浦島太郎が海岸で子供たちに虐められていた亀を助けると、亀は助けてくれたお礼に、浦島太郎を竜宮城へ案内します。
・原文では、浦島太郎は海で釣った亀を「かわいそうだから」と海へ返します。
・亀は翌日、「美しき女房」という姿で浦島太郎の前に現れます。
※原文では・・
昔丹後国に、浦島といふもの侍りしに、その子に浦島太郎と申して、年の齢二十四五の男有りけり。明け暮れ海のうろくづをとりて、父母を養いけるが、ある日のつれづれに、釣をせんとて出でにけり。
浦々島々、入江々々、至らぬ所もなく、釣をし、貝を拾い、みるめを刈りなどしける所に、ゑしまが磯という所にて、亀を一つ釣り上げる。
浦島太郎此亀にいふよう、「汝、生有るものの中にも、鶴は千年、亀は万年とて、命久しきものなり。忽ちここにて命をたたん事、いたはしければ、助くるなり。常には此恩を思ひ出すべし」とて、此亀をもとの海にかへしける。
*
※うろくづ/①うろこ。 ②魚
※みるめ/海藻

亀を釣ったのです。
「さあて、今日は亀鍋にしよう。おやじもおふくろも喜ぶぞ」という選択肢が浦島太郎にはあったかもしれません。
でも、浦島太郎は、
「忽ちここにて命をたたん事、いたはしければ、助くるなり」と云って、亀を海へ返します。
「常には此恩を思ひ出すべし(いつも、この恩を忘れてはいけないよ)」とまで云うのは、こういうのを「恩着せがましい」と言うのでしょうか。
云われた亀の方としては「これは大変だ。お返しをしなければいけない」と思ったのかもしれません・・・
翌日になって、亀は「美しき女房」という姿で、一艘の小さい船に乗って浦島太郎の前に現れたのでした。
「美しき女房」が亀だと分かるのは、二人が竜宮城へ行き、結婚をして、三年が経過してからです。亀は三年もの間、ずっと人間の「美しき女房」であり続けました。

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<美しき女房の訴え/口説き方>
「さめざめと泣きにけり」
・浦島太郎が女房に「なぜ、一人で小舟に乗っているのですか?」と問えば、
・女房は、船が難破してしまい、この小舟に乗せられて海へ放たれたと証言します。
そして「私を故郷へ返してほしい」と浦島太郎に訴えました。
この時の、女房は浦島太郎に対して、二つの口説き方をおこなっています。
① 私と貴方との間には「御縁」があるから、今このように逢うことができたのです。なので、この縁を大事にしていきましょう。
②浦島太郎に対して、さめざめと泣きながら訴えました。

①では理屈に訴え、②では感情に訴えています。
これが意図的だとすれば、なんと優れたコミュニケーション能力なのでしょうか。
※ 原文では・・
女房いひけるは、「さればさる方へ便船申して候へば、折ふし波風荒くして、人あまた海の中へはね入れられしを、心ある人有りて、自らをば此はし船に乗せて放されけり。悲しく思ひ鬼の島へや行かんと、行方知らぬ折ふし、ただ今人に逢ひ参らせさぶらふ。此世ならぬ御縁にてこそ候へ。されば虎狼も、人を縁とこそしさぶらへ」とて、さめざめと泣きにけり。
*
※縁を持ち出す所が、①理屈に訴えています。
※泣くところが、②感情に訴えています。
※此世ならぬ御縁/ この世ではないご縁、つまり「前世」
※されば虎狼も~/虎や狼などの獣でも、人に会うのは縁なのです。
・浦島太郎としては、美しき女房に「私と貴方様は、前世からつながる縁があるのです」「虎や狼のような獣でも、人に会うのは縁だというのですから、私と貴方様との縁は、もっと強い結びつきがあるのです」というようなことを言われ、しかも泣かれてしまっては、ただ見ているわけにはいきません。
・浦島太郎は、冷たい心の持ち主ではないので、女房のことを「あはれ」と思い、女房が乗っている小舟を、手元に引き寄せました。
※ 原文では・・
浦島太郎も、さすが岩木にあらざれば、あはれと思ひ、綱を取りて引き寄せにけり。
・さらに、美しき女房は、以下のような説得術を使って浦島太郎を口説きます。

・ここで云う「説得術」とは、女房の浦島太郎への口説き方が、現代の心理学やコミュニケーションテクニック、又は営業トーク・・などで解説されている「説得術」に当てはまるという意味です。
・この説得術は「もしも~」「IF~」「When~」がポイントです。
たとえ、これらの言葉を用いていなくても、文脈で「仮定条件」が読み取れれば、この構文に当たります。
:「◇◇して下さい。もしも~〇〇したら、▼▲になるので、あなたは今、◇◇するべきです」
・◇◇には、相手にして欲しいことを伝えます。
・〇〇は、◇◇とは反対の事柄です。
・▲▼には、そうあってはほしくない不幸な未来を伝えます。
〔例:「これを買って下さい。もしも買わなかったら、あなたは今晩にでもきっと後悔しますよ。なので、あなたはこれを買った方がよいのです」という営業トークと同じです。〕
※ 原文では・・
さて、女房申しけるは、
「あはれわれらを本国へ送らせ給ひてたび候へかし。これにて捨てられ参らせば、わらはは何処へ何となりさぶらふべき。捨て給ひ候はば、海上にての物思ひも、同じ事にてこそ候はめ」
と、かきくどきさめざめと泣きければ、
*
※ ば /接続助詞:①活用語の未然形について、順接の仮定条件を表す/~たら。 ②活用語の已然形について、順接の確定条件を表す/~ので。~から。
「~参らせば」:①の仮定条件。
「~候はば」:①の仮定条件。
「~泣きければ」:②の確定条件。
〔訳例〕
さて、女房が述べるには、
「どうかお願いでございます。ああ、私を本国へ帰らせてくださいませ。このまま、もしも捨てられるようなことになりましたら、私はいったい何処へ行って、どんなふうになってしまうのでしょうか。もしも捨てられてしまったら、海の上で彷徨い悲しんでいたときと、同じことでございます」
と、くどくどと繰り返しながら、さめざめと泣いたので、
・女房の思惑としては、
「だから、貴方様は、私を助けて、私の希望を聞き入れた方が良いのです」と浦島太郎に言いたいのです。そして、浦島太郎は、女房の思い通りに行動してくれます。
※ 原文では・・
浦島太郎もあはれと思ひ、同じ船に乗り、沖の方へ漕ぎ出す。かの女房の教へに従ひて、はるか十日余りの船路を送り、故郷へぞ着きにける。

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・そして、着いた所が竜宮城なのです。
・現代風に言い換えれば、下衆な言い方にはなりますが、女は男を自分のマンションに連れ込むことに成功したのです。
・ただ、その理由は、浦島太郎が自分の命を助けてくれたからです。
亀としては、その恩に報いるために、なんとしてでもお礼をしたかったのだと思います。
・そして、そこには「縁」がある、
しかも「此世ならぬ縁(前世の縁)」がある・・・と、
二人を縁で結びつけることによって、次の行動への根拠が固ったのです。
・つまり、女房の浦島太郎への求婚です。
その理由も、元はといえば、浦島太郎が命を助けてくれたからなのです。
⇩

これらの事柄から、以下を導くことができます。
・「情け」は人間関係を紡ぐ契機や動機となる。
・それが男女間だと恋愛に変わる場合がある。
世の中に伝わる物語は、その時々の世相を反映していると云われています。
なので、物語を世相の鏡だとするならば、「情けを大事にすること」は人々の間で尊び、求められた行為であると想像できます。
そして「情けを大事にすること」は、いつの時代にも変わらない、人として大切なことなのでしょう。

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〔2〕お互いの気持ち
💛 女房の ⇒ 浦島太郎への思い
・誰かに何かを求めたりお願いをするとき(ここでは求婚)、理由を明確にして相手に伝えることは大事なことです。相手は、その理由の内容によって受け入れるか否かを判断するからです。
・女房は、その理由に「他生の縁」を持ち出しました。
・女房は、自分と浦島太郎との間には「他生の縁」があるのだと力説して、浦島太郎を口説きます。
※ 原文では・・・
さて女房の申しけるは、
「一樹の陰に宿り、一河の流れを汲むことも、皆これ他生の縁ぞかし。ましてや遥かの波路を、はるばると送らせ給ふ事、ひとへに他生の縁なれば、何かは苦しかるべき、わらはと夫婦の契をもなし給ひて、同じ所に明し暮し候はんや」
と、こまごまと語りける。
*
〔訳例〕
ところで、その女性が言うには、
「見知らぬ者同士が、1本の木陰に涼を求めて身を寄せたり、同じ川の水を汲んで咽喉の渇きを癒すことがありますが、それだって前世から続く縁があるからなのですよ。
ましてや、貴方様は私を船に乗せて、この海をはるばるこんな遠くまで送ってくださいました。これはひとえに、私と貴方様との間には、他生の縁があるからでございます。
考えてみてくださいませ。私と貴方様との間に他生の縁があって、いったいどんな不都合がございますでしょうか。
お願いでございます。どうか、私と夫婦になることを約束させていただき、そして、私と一緒に毎日を暮らしていただけませんでしょうか」
と、言葉数多く仔細に渡って語ったのでした。

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💛 浦島太郎 ⇒ 女房への思い
さて、浦島太郎は、女房が他生の縁を理由に「夫婦の契り」を求めてきたことに対して、どのように応えたのでしょうか。
原文には、浦島太郎の心の葛藤は何も書かれておらず、ただ一言「なんとでも、貴女のおっしゃることに従いましょう」と女房に伝えただけです。
※ 原文では・・
浦島太郎申しけるは、「ともかくも仰せに従うべし」とぞ申しける。
*
※ともかくも/①どのようにでも。なんとでも。②(下に打消の語を伴い)どうとも。なんとも。
原文は、この後、夫婦仲はとても良いこと、そして竜宮城の様子について、記述されています。
そして、浦島太郎が竜宮城から故郷へ帰るときになって、やっと少しだけ、浦島太郎の心の中が見てとれる記述が三か所に書かれています。
① ひとつは、
浦島太郎が女房に「故郷へ帰るので三十日の暇がほしい」と申し出た場面です。
※ 原文では・・
かくておもしろき事どもに、心を慰み、栄花に誇り、明し暮し、年月をふる程に、三年になるは程もなし。
浦島太郎申しけるは、「われに三十日の暇をたび候へかし。故郷の父母を見すて、かりそめに出でて、三年を送り候へば、父母の御事を心もとなく候へば、あひ奉りて、心やすく参り候はん」と申しければ、
*
※かりそめ/①一時的なさま。その場(時)限りだ。間に合わせだ。 ②これといった根拠がないさま。偶然だ。ふとしたことだ。 ③軽はずみなさま。いいかげんだ。
〔訳例〕
このようにして、浦島太郎は楽しいことを沢山経験しました。そして、人生最高の時間を過ごしながら、日々明け暮れしているうちに、三年もの年月が経っていました。
浦島太郎は女房に伝えました。
「私に三十日間の暇をください。故郷の父母を見捨てて、ほんの一時のつもりで出てきた私ですが、さすがに三年も過ぎると父母の事が心配でなりません。父母に会って、父母の無事を確認して、安心したいのです」
と言うと、
・浦島太郎は、三年もの間、竜宮城に住んで女房の世話になっています。
・浦島太郎は働くことはなく、楽しいことを沢山経験させてもらいました。
・原文の「かくておもしろき事どもに、心を慰み、栄花に誇り、明し暮し」という表現からは、浦島太郎は「有難き幸せ」であったと想像できます。
なのに、浦島太郎には、女房への感謝の気持ちは見えません。
そして、女房と出逢い、そして竜宮城へ来たことについては「かりそめに出でて」と平気で口にしています。
確かに、最初は「かりそめ」であったでしょう。
でも、三年も一緒に暮らしているのです。
三年間も女房に世話になっているのです。
出逢いは「かりそめ」だったけれども、
こんなにお世話になったのですから、
浦島太郎は女房へ「ありがとうございます」ではないでしょうか。
しかも、三年間の間、父母をほったらかしにしておいて、今さら「父母の御事を心もとなく候へば(父母のことが心配でならないので」と、よく言えたものだ・・・と私は思います。
そのような不義理な浦島太郎に対して、女房は密かに浦島太郎を懲らしめてやろうろ考え、玉手箱という「一気に年をとって死んでしまう仕掛け」を企んだのかもしれない・・・玉手箱は、感謝を忘れた浦島太郎への復讐なのだ・・と、御伽草子の読者の一人として思っても不思議ではありません。
女房(亀)は命を助けてもらって結婚までしたのに、浦島太郎はいい思いをしただけで、女房に対してなんの感謝もないのですから。

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②さらに、
浦島太郎は冷たい言葉を女房に発します。
浦島太郎が竜宮城を後にして故郷へ帰るとき、女房は浦島太郎へ歌を贈ります。
そして、浦島太郎は返歌をします。
その返歌の内容がとても冷たいのです。
少し長くなりますが、
・女房が自分が亀であることを明かし、
・箱(玉手箱のこと)を ”自身のかたみ” です・・・と言って渡す場面から、
追ってみましょう。
※ 原文では・・
女房申しけるは、
「今は、何をか包さぶらふべき。自らは、この竜宮城の亀にて候が、ゑしまが磯にて、御身に命を助けられ参らせて候、その御恩報じ申さんとて、かく夫婦とはなり参らして候。また是は自らがかたみに御覧じ候へ」とて、左の脇よりいつくしき箱を一つ取り出し、「あひかまへてこの箱をあけさせ給ふな」とて申しけり。
会者定離のならひとて、会ふものは必ず別るるとは知りながら、とどめ難くでかくなん、
日数へて 重ねし夜半の 旅衣 立ち別れつつ いつかきて見ん
浦島返歌、
別れ行く 上の空なる 唐衣 ちぎり深くは 又もきて見ん
*
〔訳例〕
さらに、女房は太郎に申すのでした。
「今となっては、何を包み隠しておく必要があるでしょうか。いいえ、ございません。実は、わたくし、この竜宮城を住まいとする亀なのでございます。びっくりなさらないでくださいませ。わたくしは、あの時、ゑしまが磯にて、貴方様に命を助けていただいた亀なのでございます。わたくしは、貴方様から頂いた御恩を忘れるわけにはいきません。なので、その御恩に報いたく思い、このように夫婦の契りを結ばせていただきました。
・・それから、これは私から貴方様への、わたくしの形見の品でございます」
と言って、左の脇から、厳かな美しい箱をひとつ取り出し、
「決して、お開けならないでくださいませ」
と言って、その箱を太郎に渡しました。
会者定離という言い伝えの通り、全ての出会いには必ず別れが待っているという定めを知ってはいるものの、女房は溢れる涙を止めることもままならぬまま、太郎に歌を贈りました。
日数へて 重ねし夜半の 旅衣 立ち別れつつ いつかきて見ん
〔何日も何日も、旅衣を身にまとい寝床を重ねてきた貴方様、私と別れたその後には、いつ逢いに来てくださるのでしょうか。〕
浦島太郎は返歌を詠みました。
別れ行く 上の空なる 唐衣 ちぎり深くは 又もきて見ん
〔貴女様の元を去ろうという今、私の心はざわざわして落ち着いていません。私は思います。貴女との契りが深ければ、唐衣を着ていらっしゃる貴女様に、またお逢いできると思います。〕
ここで、これを読んで下さっている皆さまにお伝えしたいことは、ただひとつ。
浦島太郎の女房への対応の冷たさです

女房は「またいつお逢いできるのでしょうか?」と、心配して浦島太郎に尋ねているです。
なのに、浦島太郎は、
「ちぎり深くは又きて見ん(貴女との契りが深ければ、又お逢いできると思います)」と、ぬけぬけと云っていることです。
「ちぎり深くは(貴女との契りが深ければ)」・・・
自分のことなのに、まるで他人事のような言い方ではないですか!
ここに私は、浦島太郎の心の冷たさを感じています。

亀を「いたはしければ、助くるなり」と言って海へ返した、”情け深い浦島太郎”。
なのに、竜宮城での「おもしろき事どもに、心を慰み、栄花に誇り」に感謝の気持ちを示していない、”女房には冷たい浦島太郎”。
このことは、人間が持っている二面性を暗に示すことによって、人間の心というものは複雑奇々怪々なものであることを伝えたかったという想像もできます。
それは、大昔からこの渋川版浦島太郎が刊行された江戸時代に至るまでの、人が起こした様々な歴史上の出来事を物語ろうとしていることなのかもしれません。

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③そしてもう一度、
浦島太郎は女房への返歌の中で「かりそめ」を使います。
女房との契りを「かりそめの契り」だと歌に詠んだのです。

この言い方は、あまりにも、ひどい!
もしも「かりそめの契り」という言い方をするのであれば、
それは ”二人のなれそめ” です。
夫婦の契りを交わし、三年もの月日を一緒に明け暮れした間柄において使う言葉ではないはずです。
女房に対して失礼な言い方です。
・・・と、私は感じました。
浦島太郎は、随分と身勝手な男です。
※ 原文では・・
さて浦島太郎は、互に名残を惜しみつつ、かくて有るべきことならねば、かたみの箱を取り持ちて、故郷へこそ帰りけれ。忘れもやらぬ来し方、行末の事ども思ひ続けて、遥かの波路を帰るとて、浦島太郎かくなん、
かりそめに 契りし人の おもかげを 忘れもやらぬ 身をいかがせん
*
〔訳例〕
さて、浦島太郎は、お互いに別れの余韻に後ろ髪を引かれながらも、そのままじっとしているわけにはいかないと思い、女房のかたみの箱を手にして、故郷への波路を帰っていくのでありました。
浦島太郎は、故郷への長い波路を船に揺られながら、忘れもしない”あの日から今日までのこと”、そして” これから先々の事ことなど” あれこれといろいろ考えながら、その思いを歌に託しました。
かりそめに 契りし人の おもかげを 忘れもやらぬ身をいかがせん
その場限りと思って夫婦の契りを結んだあの人の面影を、私はすっかり忘れることはできない。ああ、この辛い思いをいったいどうしたらいいのだろう。
「浦島太郎が女房をどのように思っていたのか?」という視点に対しては、
① 「かりそめに出でて」
②「ちぎり深くは」
③「かりそめの契り」
以上のとおり、原文三か所の表現より推察してみました。

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〔3〕二人の仲の良さは?
二人の仲の良さについては、とても明解に、慣用句を使いながら、端的に述べられています。
※ 原文では・・
さて偕老同穴の語らひも浅からず。天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝とならんと、互いに鴛鴦の契浅からずして、明し暮させ給ふ。
*
※偕老同穴(かいろうどうけつ)
※鴛鴦の契(えんおうのちぎり)

これらの四字熟語・慣用句は、全て「夫婦仲や男女仲の良いことのたとえ」です。
もしもこの物語を講談調に喋れば、これら慣用句のオンパレードによって、聴いていて楽しい、身体がリズムに乗れる、ボルテージが上がり一番勢いづく場面になると思います。
二人はとても愛し合って、日々暮らしていたのですね。
浦島太郎は人生最高の悦びを感じていたことでしょう。
人生の悦びはとても重要で、浦島太郎物語の重要な部分だと思います。
〔訳例〕
さて、二人の仲の良さは偕老同穴という諺の如く深いものでありました。
その仲の良さは、たとえば比翼の鳥の如く、たとえば連理の枝の如く、そしてさらに、鴛鴦の契りが如く、二人の愛は深く深く、お互いを大事にして一心同体となり、毎日毎日仲良く暮らし続けるのでありました。
・次の原文は、〔2〕お互いの気持ち / 💛浦島太郎 ⇒ 女房への思い・・でも取り上げました。
・この記述の視座は作者ですが、浦島太郎の気分になったつもりで描写しているように思われます。
・この三年間というものは、浦島太郎が人生を謳歌した期間だといえますね。意味深いと思います。
※ 原文では・・
かくておもしろき事どもに、心を慰み、栄花に誇り、明し暮し、年月をふる程に、三年になるは程もなし。
*
〔訳例〕
このようにして、浦島太郎は楽しいことを沢山経験しました。そして、人生最高の時間を過ごしながら、日々明け暮れしているうちに、三年もの年月が経っていました。
・女房が感じていて、浦島太郎との日々の暮らしの中の思いは、以下の原文から読み取れます。
・いよいよ浦島太郎が竜宮城を後にするとき、女房はそれまでの三年間の暮らしを振り返り、浦島太郎への愛情をここに開陳します。
※ 原文では・・
女房仰せけるは、
「三年が程は、鴛鴦の衾の下に比翼の契りをなし、片時見えさせ給はぬさへ、とやあらん、かくやあらんと心をつくし申せしに、今別れなば、又いつの世にか逢ひ参らせ候はんや。二世の縁と申せば、たとひ此世にてこそ夢幻の契にてさぶらふとも、必ず来世にては、一つ蓮の縁と生れさせおはちませ」
とて、さめざめと泣き給ひけり。
*
※二世の縁(にせいのえん)/現世だけでなく、来世にも繋がっている縁。
・古語辞典には「二世の契り(にせいのちぎり)」という言葉で解説されています。/(意味)来世までもという、夫婦の約束。
※一つ蓮の縁(ひとつはちすのえん)/蓮(はちす)は仏像の台座です。仏教では極楽往生した者はその上に座るとされています/・ここは「極楽浄土でお逢いする」と訳してみました。

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〔訳例〕
女房が浦島太郎に申し上げることには、
「三年の間、私と貴方様とは、鴛鴦が描かれたふすまのある部屋で、同じ床に寝て夫婦の約束を交わし続けてきました。そして、私は貴方様の姿が少しでも見えないと、どうしたのかしら、貴方の身にいったい何があったのかしら・・と、貴方様に心を尽くしてきました。なのに、今別れてしまったら、次に会えるのは、いったいいつの日になるのでしょうか。
夫婦というものは、現世だけでなく来世にも繋がっております。なので、たとえこの世での私と貴方様との夫婦の契りが、夢や幻の契りであったとしましても、来世では極楽浄土でお逢いできるように、どうかお生まれになっていただきたく思います」
と言って、さめざめと泣かれるのでありました。

この台詞は、憎々しいくらい、とても愛くるしく、じ~んときます。
最高の愛情表現だと思います。
嗚呼、私も、こんなふうに言われたかった・・・そんなふうに感じています。
好きな人のことは、いつもまでも好きなのですね。
〔4〕二人の行く末は?
現代に伝わる浦島太郎では・・
さて、土産に玉手箱をもらい、故郷へ帰った浦島太郎を待っていたのは、何百年もの時の経過と両親の死でした。
(原文では、浦島が生きていてのは「七百年以前の事」と記述されています)
茫然自失となった浦島太郎は、ふらふらと松の木の根元に腰かけて、乙姫様から「開けないでくださいね」と云われていた玉手箱を開けてしまいます。
・・・・・
すると、あらまあ、びっくり!
中から煙が出てきて、その煙を浴びた浦島太郎は、たちまちお爺さんになってしまいました。
この様子は、浦島太郎の歌にもなっていて、よく知られている結末です。
この部分、原文では、以下のように書かれています。
注目したいのは、女房のことを「亀」と表現していることです。
作者としては、竜宮城も女房も、浦島太郎の心の中ではみんな過去の産物になっていることを明らかにしたかったと思われる記述です。
※ 原文では・・
さて浦島太郎は、一本の松の木陰に立ち寄り、呆れはててぞ居たりける。
太郎思ふやう、亀が与へしかたみの箱、
「あひかまへてあけさせ給ふな」といひけれども、今は何かせん、あけて見ばやと思ひ、見るこそくやしかりけれ。
此箱をあけて見れば、中より紫の雲すぢ上りけり。
是を見れば、二十四五の齢も、忽ちに変りはてにける。
*
〔訳例〕
〔※ここは情感が求められる場面です。なので意訳を多く含めて訳しました〕
浦島太郎は一本の松の木の木陰に立ち寄り、茫然自失していました。
浦島太郎は思いました。
・・あの亀は「決して開けないで下さいませ」って言っていたけれども、今となっては、そんなこと関係なくなってしまったなぁ・・
・・開けてみようかな。ああ、この箱、見るたびにいろいろなことが思い出されて、今こうなってしまったことが残念でならないよ・・
浦島太郎は、溜息をつきながら、そっと箱の蓋をとりました。
すると、箱の中から、三筋の紫色した煙がポワーっと立ち昇ってきました。
その紫色の煙を見ていた浦島太郎。
みるみるうちに、二十四五歳の身体は老体へと変わり、そしてさらに、みるみるうちに、白骨化してしまったのです。
辺りには、ただ穏やかな風が吹いているだけでした。
ボロボロになった太郎の着物の端々は、風に舞って消えていきました。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
故郷の荒れ果てた様子、両親の墓、時の経過・・、
竜宮城も女房も、全てがすっかり過去のものとなってしまいました。

女房が「是は自らがかたみに御覧じ候へ」と渡してくれた箱も、
女房が「あひかまへてこの箱をあけさせ給ふな」と言っていたことも、
浦島太郎にとって、
みんなみんな、無価値なものになってしまったのです。
だから、浦島太郎にとって、箱を開けることに躊躇いはなかったと思います。
浦島太郎の心理の変化は、ごく自然なことであり、責められるものではないと思います。

女房は、
すっかり、
過去の女になってしまったのです。

そして浦島太郎自身もまた、
「忽ちに変わりはてにける」ことで、
すっかり過去の男になってしまいました。
*
現代版の浦島太郎では、
「開けるなという約束を破ったから、お爺さんになってしまいました。約束を破ってはいけませんよ」という教訓として使われています。
ただ、そもそも浦島太郎は約束をしていませんし、浦島太郎が置かれた状況を鑑みれば、箱を開けたことを責めるのは酷なことだと思います。
・・・というのが、原文における、私の感想です。
むしろ、ここで感じなければいけないことは「価値の変化に伴う無常感」だと思います。
竜宮城に行き、女房という存在によって、浦島太郎は人生を謳歌しました。
でも、竜宮城も女房も、時を経て、その価値は過去のものになってしまったのです。
諸行は無常なのです。
原文には、浦島太郎が竜宮城を去る時の場面で、
「会者定離のならひとて、会うものには必ず別るるとは知りながら~」という一文があります。
会者定離は仏教由来の言葉であり観念ですが、この言葉が浦島太郎の物語に使われているということは、物語の背景には会者定離の考え方があるということです。
そして、会者定離は諸行無常なわけですから、浦島太郎の物語を無常感と切り離すことは考えにくいことなのだと思います。
そのように考えると、何百年も生きていた浦島太郎でも、最後は死んでしまうのだということに納得がいきます。

現代版の浦島太郎は、太郎がお爺さんになってしまい、そこで終わりです。
でも、原文の浦島太郎では、太郎が「忽ちに変りはてにける」となったあと、もう少しだけ、お話が続きます。
物語の構成としては、エピローグにあたります。
そして、そこでは、太郎と女房が今度は本当の夫婦となり、未来永劫、世の中のために生き続けています。
もう、無常ではありません。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
<二人は夫婦明神となりました>
※ 原文では・・
君にあふ夜は 浦島が 玉手箱 あけてくやしき わが涙かな
と歌にもよまれてこそ候へ。
生有る物、いづれも情を知らぬといふことなし。
いはんや人間の身として、恩をみて恩を知らぬな、木石にたとへたり。
情深き夫婦は、二世の契と申すが、寔に有りがたき事どもかな。
浦島は鶴になり、蓬莱の山にあひをなす。
亀は甲に三せきのいわゐをそなへ、万代を経しと也。
扨こそめでたき様にも、鶴亀をこそ申し候へ。
ただ人には情けあれ、情の有る人は行末めでたき由申し伝へたり。
其後浦島太郎は、丹後国に浦島の明神と顕れ、衆生済度し給へり。
亀も同じ所に神とあらはれ、夫婦の明神となり給ふ。
めでたかりけるためしなり。
*
※蓬莱の山にあひをなす/この「あひをなす」の意味は不明でした。ここでは文脈の流れから「暮らしています」と訳しました。
※三せきのいわゐ/この語句も、その意味は不明でした。「三」はおそらく仏教用語に関連しているものと思われます。仏教では例えば「三途の川」とか「三界」とか「三」が多く使われているからです。
ここでは文脈から「過去、現在、未来」、「いわゐ」は「祝い」と訳しました。
・竜宮城は四季を見ることができます。これはまさしく「過去、現在、未来」を眺められるわけで、そこには、「人生を包括した運命という曲線」「苦労も幸せもあるのが人生」というような意味を、見出すことができます。このようなことからも、上記の訳を選びました。
〔訳例〕
君にあふ夜は 浦島が 玉手箱 あけてくやしき わが涙かな
〔浦島が玉手箱を開けて、あっという間に年月が過ぎていってしまったように、あなたに逢う夜は、あっという間に明けてしまい、私は悲しくて涙をこぼしてしまいます。〕
というように、浦島太郎のお話は歌にも詠まれるくらい、世間に知られるようになりました。
生きとし生きるものは全て、情けを知らないということはありません。誰もが皆、情けというものを心得ています。
ましてや、人として、恩を受けたのに知らぬ存ぜぬでは、木や石コロと同じこと。
情けが深い夫婦というものは、二世の契りと言って来世でも夫婦の契りを結びます。これはとても素晴らしいことです。
その後、浦島太郎は鶴となって、蓬莱山で暮らしています。
亀は甲羅に、過去、現在、未来、全ての祝い事を備えているので、万年の命を生きることができるのです。
このように、鶴と亀は、おめでたいことの象徴として知られるようになりました。
人というものは、ただひたすら情けをもって生きるべきです。
情けを持って生きていけば、先々において幸せになれるのです。
その後、浦島太郎は、丹後の国の明神様となって祭られ、世の中の多くの人々を救うようになりました。
そして、亀も同じ場所に明神様となって顕在し、鶴と一緒に「夫婦の明神様」となって祭られて、世の中の人々のためになっているのです。
めでたいお話の、ひとつでございます。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
二人は、
情けをもって無常に抗い、
永遠を得ることができました。
つまり、
「情けの有る人は行末めでたき」
これが、
浦島太郎物語の本質ではないかと、
私は思っています。

以上が、浦島太郎と乙姫様の出逢いを男女の出逢いと捉え、心の変化を考察したときの推察でございます。いろいろ思うことはありますが、”全ては「情け」が凌駕する” ということでしょうか。時代は「情け」を尊び求めていたようです。いつの時代でも同じですね。
※以下も参考にしてみて下さいませ。
※原文の全文を現代語訳しました。
御伽草子/浦島太郎の源流・渋川版原文/教訓/かりそめでも夫婦明神
※要点を絞って現代版と原文を比較してみました。
浦島太郎/原文要点解読/亀・乙姫・竜宮城・玉手箱・お爺さん/教訓
読んでくださりありがとうございます。