月を詠んだ恋歌/百人一首59/傾く月/やすらはで寝なましものを


日本の有名な歌集「百人一首」に収められている和歌の中から、「月」を詠んでいる恋歌をご紹介いたします。

百人一首/第五十九番歌

・・と多くの解説書が恋歌に分類しています。

恋の歌であるのなら・・・

・・この二つの事柄が、この記事のテーマです。

やすらはで

「やすらはで」は「やすらふ」?・・「やすらふ」の意味は現代語の「休む」と同じなのかな?・・と思いそうです。私は最初、そう思いました。でも、「やすらふ」は「休む」とは無関係の言葉で、意味は以下のとおりなのです。

① ためらう。躊躇する。

②とどまる。足をとめる。滞在する。

③(近世においては)「休む」の「やす」に引かれて誤用され、”いこう” ”休息する” という意味にも使われるようになった。

寝なましものを

」+「(完了の助動詞「ぬ」の未然形)」+「まし(以下の通り)」+「ものを(以下の通り)」….と分解できます。

:”反実仮想”の助動「まし」の連体形。事実に反する、又は実現しそうにない状態を仮に想定して、その場合に起こる事柄を想像する意を表します。⇒ 「(もしも A だったら)… B だろうに」

〔語句の意味:「角川 必携 古語辞典 全訳版/平成9年初版」を参照しました:以下も同じ、古語の意味解説は全てこの古語辞典を頼りにしています〕

なので・・・

「やすらはで 寝なましものを」は、次のような意味/現代語訳が相応しいと思います。

 

(画像はイメージです/出典:photoAC)

”迷っていたもの” を追求すると、そこに “恋歌の理由” が見えてきます。

そして ”迷っていたもの” を明らかにする語句が「小夜更けて、かたぶくまでの月」なのです。

小夜更けて かたぶくまでの月

「小夜」「小(さ)」は接頭語です。:名詞、動詞、形容詞に付いて、語調を整える役割をしています。

「更けて」/「更く(ふく)」は「深し」と同じ語源です。

①深くなる。たけなわとなる。②特に、夜が深くなる。深夜になる。③年をとつ。老いる。

「かたぶく」/現代語の「傾く」の意味の他に、①月や日が沈みかける ②不審に思う。考え込む。③勢力が衰える。敗れる。④末に近づく。年老いる。などの意味があります。

〔解説〕

「夜が更けて、月は傾く」・・つまり、時間が経っています。

しかも、夜中です。月は傾いているのですから、時期によっては、もうすぐ陽が昇ろうとする時間かもしれません。”月が傾くまで待ち続けた(それぐらい、諦めきれない思いだった…” ことが、ここで強調されます。

夜の間、ずっと待ち続けているその思いとは?・・いったい何があるのでしょうか?

それは、ずばり! 

彼や夫が自分の家に来てくれて、逢瀬を楽しむことなのです。

平安時代の男女の付き合い方/参考:妻問婚

① 男性は女性に和歌(恋文にあたる)を贈ります。

当時は、直ぐに会うことはできませんでした。なので、気持ちを歌に託したのです。

※ 女性の外見を見るためには、のぞき見をするしか手段はなく、その行為は「かいまみ(垣間見)」という言葉でつたえられています。 

 例:「我にかいまみさせよとのたまへ」〔源氏物語/空蝉〕 訳:私にのぞき見させよとおっしゃるが。

 例:「この男かいまみてけり」〔伊勢物語/一〕 訳:この男は、のぞき見してしまった。

 ⇩

② 贈られた和歌は、女性の両親や、御付きの女房(女官)により、内容が確認されます。

身内の者は、相手の男性の資質や教養の程度を、その男性の詠んだ和歌より読み解くのです。

 

③ 両親の許可により、本人同士が和歌を重ねてコミュニケーションを繋いでいきます。

 

④ 気持ちが高まれば、日を決めて、男性は女性の家へ逢いに行きます。

 

⑤ 男性が女性の家へ、三日間連続で通う(夜通し逢う)ことにより、二人は夫婦として認められることになります。(その後、現在の披露宴にあたる儀式をおこなって、世間に知らしめます。

※ 平安時代の結婚は一夫多妻制であり、夫が毎晩同じ妻の家へ通うとは限りませんでした。女性は、常に不安と嫉妬心に悩まされていたようです。

第五十九番歌/意訳

〔読み方〕

やすらはで ねなましものを さよふけて

かたぶくまでの つきをみしかな

(画像はイメージです/出典:photoAC)

これについては、推測するしかまりません。この5つの語句から読み取れることは、

① 待ち続けているけど、相手は来ない。

② ハッピーな感情は表現されていない。

③ かといって、悔しいとか、地団駄を踏むような表現でもない。

そもそも、起きて待っていることに迷いがあった(期待と否定の交差)。

月は傾き、もうすぐ朝。彼は来ないことが分かった(失望と落胆)。

月を眺めている。落ち着こうとしている、健気な心(受容と諦観)。

?以下のような疑問がわいてきます。

 ⇩

私は、

だとしたら・・、

この歌は、西の空に傾いた月を眺めて情景描写で締めくくり、感情表現を抑えていることから、悲恋にありながらも、諦観する気持ちも持ち合わせており、そして、気持ちをしっかり持とうとしている ”気丈な女心” がうかがえます。

Q:「どのような恋なのか?」と追われたら・・・

A:失恋なのでしょう。

現代なら時計を見て「これだけ待って来ないのだから、来ないのね」と判断する状況だと思われます。「来ない」という判断を、自然の情景の変化の中に求めて、それを歌に詠む。古典ならではの表現のように感じられますが、こういう感覚は今の時代にあっても美しいものだと思います。

月以外にも、時計ではなくて時間の経過を教えてくれるものが私達の身の回りには多々あります。そのようなものは詩歌の素材に活かせそうですね。

読んでくださり、ありがとうございます。

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