日本の有名な歌集「百人一首」に収められている和歌の中から、「月」を詠んでいる和歌をご紹介いたします。
百人一首/第八十六番歌
嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな
(画像はイメージです/出典:photoAC)
「月前恋」というお題で詠まれた歌
既存の解説書を読むと、この歌は「月前恋」という題で詠まれた恋歌であることが分かります。この歌が元々載っている「千載集」の詞書に、そのように書かれているそうです。
お題に沿って詠んだ歌ですから「歌合せ」の場面で詠まれたのかもしれません。
この歌、いろいろな解釈を理解した上で何度声に出して読んでみても、私は、なかなか感慨を得る心境にはなれませんでした。そして、今も感慨を得ることはできません。私のような素人には理解が及ばない、とても高尚で奥深い和歌なのかもしれません。
・・・というのが、私の素直な感想です。
こんな調子だから、高校生の時に古文を好きになれなかったのかもしれないな…なんて、今さらながら思ったりもします。
ともかく、
「月の前の恋」というお題ですから、いずれにせよ、この歌は恋歌なのです。
百人一首には恋歌が43首あるというのが定説ですが、そのうちの一首なのです。
恋歌だと知れば、「嘆け」とか「涙」という語句や、”月を見て物思いにふける様子” とかによって、「なるほど、うまくいっていない恋を嘆いているのだな…」という状況が推察されます。
和歌には、このように「詞書」という解説を読まないと、その内容が分かりづらいものが多々あるのですが、そのことが和歌への理解、強いては古典への理解のハードルを高くしているのかもしれませんね。
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「詩歌はそれを構成する言葉がその詩歌の命の全てであり、解説を添えないと伝えられない詩歌はいい詩歌ではない」と私は常々思っています。
なので「詞書」によって「ああ、そういう意味だったのね」とわかる歌には、本文において言葉の発露が十分に発揮できていないのではないか…という意味において、正直なところ少しつまらなさを感じてしまいます。
直訳を読んでみる
詞書とセットで鑑賞が必要な歌だからでしょうか。直訳を読んだとき、読んですぐに沸き立つ情感や、すっーっと心に入ってくる情景のようなものが、この歌には少ないように私は感じました。
以下に三つの直訳をご紹介いたします。
直訳例
・嘆けといって、月が私に物思いをさせるのか、いやそうではない。それなのに、月のせいだと言いがかりをつけるように、流れ落ちるわが涙である。
・「嘆け」と言って、月は私に物思いをさせるのだろうか。いや、そうではないのに、月のせいにして流れる私の涙よ。
・嘆けといって、月がもの思いをさせるのだろうか、いや、そうではない。それなのに月のせいにして、こぼれ落ちる私の涙であることよ。
〔出典〕
上段:「百人一首」/ちくま文庫/2010年 8月第十五刷発行
中段:「眠れないほどおもしろい百人一首」/三笠書房/2019年12月第二十五刷発行
下段:「一冊でわかる百人一首」/成美堂出版/2015年 3月発行
語句の意味
嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな
「とて」/「嘆けとて」の「とて」
・格助詞「と」+接続助詞「て」
・原因、理由を表す。~だからといって。~というわけで。~というので。
「やは」/「月やは」の「やは」
・反語を表す係助詞。
・~だろうか…、いや、そうではあるまい。
「かこち」/「かこち顔なる」の「かこち」
・動詞「かこつ(託つ)」の連用形
① 他のせいにする。口実にする。言いわけをする。
② 不満な気持ちを述べる。恨み事を言う。嘆く。
※現代語の「かこつける(託ける)」(あることをするために、直接には結びつかないことを口実にする。
さらに、同じ現代語の「かこつ(託つ)」(ぐちを言う。嘆く)へと繋がっていると思われます。
他の恋歌も
詠んでみましょう
よ~くよく読んでみて思うことは、この「嘆けとて~」という恋歌は、なんと控えめな恋愛感情なのでしょうか、ということです。
何に控え目なのかといえば、恋愛感情を持っている自分のその気持ちを好きな相手に伝えようとする気持ちの部分において、控え目なのです。
百人一首の中の他の恋歌と比べてみると「嘆けとて~」の控え目さがよく分かります。
いくつかの恋歌を例に出してみましょう。
解釈については、ネットをググればすぐに手に入りますので、ここは他にはあまりみられない【意訳】をしてみました。
【意訳(Free translation)】は、ひとつひとつの語句の意味の理解と全体の直訳をしっかりとおこなった上で作者の心情に入り込み、言葉には表現されていない部分を推察して鑑賞する技です。意訳は詩歌の楽しみを増やしてくれる世界だと、私は常々思っています。おそらく、AI には苦手な部分だと思います。
恋歌の事例/百人一首より
〔四十三番歌〕男性⇒女性へ
逢ひみての 後の心に くらぶれば 昔はものを 想はざりけり
〔意訳〕お逢いした後の貴女様へのこの気持の高まりを、なんとお伝えしたらよいのでしょうか。お逢いする前にも勿論思っていたのですが、今思えば、お逢いする前の貴女様への思いなど何も思っていなかったと思えるくらい、今の貴女様への気持ちは高ぶっているのです。
〔五十番歌〕男性⇒女性へ
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
〔意訳〕私は、貴女様のためなら私のこの命など惜しくはありません…と思っていました。でも貴女様にお逢いした今、その命が惜しいのです。なぜなら、私は貴女様とできるだけ長く長く一緒にいたいからです。死んでしまったら一緒に居られません。どうか末長く一緒に生きていってください。
〔五十六番歌〕女性⇒男性へ
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな
〔意訳〕私は、もうすぐこの世を去ります。もう治らないのです。ああ、あの世へ持っていくこの世の思い出を、私にください。ああ、貴方様と今一度お逢いして、一夜を共にさせて下さい。私は、貴方様との逢瀬を胸に抱き思い出にして、あの世へと旅立ちたいのです。ああ、貴方様に逢いたい、逢いたい・・。
※古語の「逢ふ」には ”男女が関係を結ぶ” という意味もあり、「逢瀬(あふせ)」という言葉には ”男女が二人だけで密かに会う” という意味があります。
この五十六番歌の「逢うこともがな」は、「お逢いして一夜を共に過ごせたらいいのになぁ…」というように ”ただ会うだけではない、愛しあいたい!” という解釈をした方が、この歌により強い命を吹き込めるのではないと思います。
さらに・・
さらに、この記事のテーマでもある「月」を取り上げて、”月を題材に使っている恋歌” も読んでみましょう。
月は時間とともに変化するものです。その「月の変化」に「時間の経過」を物語らせていて、そこに「待ち続ける心苦しさ」を伝えようとしています。
月を詠んだ恋歌/百人一首より
〔二十一番歌〕女性⇒男性へ
今来むと いひちばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
(意訳)貴方は直ぐに行くよって言ったじゃあない。だから私はこうやって毎日毎日待っていたのよ。・・なのに貴方は来ない。とうとう9月の有明の月が出てしまったわ。いったいいつまで私を待たせるつもりなの!
(画像はイメージです/出典:photoAC)
〔五十九番歌〕女性⇒男性へ
やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな
(意訳)私はね、躊躇しないでとっくに寝ていましたよ・・貴方が来ないと分かっていたらね。でもね、やっぱり来るかもしれない、来てほしい・・って思っているのですから、待たないわけにはいきませんでしょう。ほら、見てごらんなさい。貴方を待っているうちに夜はとっくに更けてしまい、お月様があんなに傾いてしまったわ・・もうすぐ朝よ。・・ああ、悲しい。
(画像はイメージです/出典:photoAC)
嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな
恋愛ですから、成就したいですよね。
でも、現実はなかなか上手くいかない。
その時、そこにほとばしるエネルギーはとても強く、とても熱いものだと思います。
そういう思いが、だいたいの恋歌には表現されています。
でも「嘆けとて~」は、上手くいかない恋を既に諦めてしまい、ただひとりシクシクと悲しんでいるように感じます。
とても弱々しい心のようです。
その理由は、作者の心の性質や恋愛に対する姿勢によるものなのかもしれません。
それとも、当時の月に対する認識として ”月を前にして恋心を語るときは、物思いにふけって涙を流す” という態度が定石だったのでしょうか・・。
そんなことを考えさせてくれる、この恋歌の控え目さです。
第八十六番歌/意訳
嘆けとて 月やはものを 思はする
かこち顔なる わが涙かな
〔読み方〕
なげけとて つきやはものを おもはする
かこちがほなる わがなみだかな
(画像はイメージです/出典:photoAC)
【意訳(Free translation)】
あ~あ、恋なんていうものは、なかなか上手くはいかないものだなぁ…。
上手くいかないから、悲しくなって涙が出てきた。
私のそんな弱気な気持ちに比べて、月のなんと立派なことだろう。
夜空を見上げれば、月は煌々と輝きながら大地を照らしてい,,,美しいなぁ…。
月をじーっと見ていると、
月は、まるで、わたしに、
「辛いなら嘆いてみれば? 嘆いていいんだよ。さあ、嘆きなさい!」って、言っているようだ。月は、それくらい、煌々と自信を持って輝いている。いいなあ~、月は。
・・・・・
そうだ、この涙は、恋が上手くいかないという辛さから流れた涙じゃあない、
月があんまりにも美しいから感動して流れてきた・・・そういうことにしよう。
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読んでくださり、ありがとうございます。
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