【車止めで一息】
コーラが飲みたい

老人ホームで暮らしている、お婆ちゃん、お爺ちゃんのこと、気になりませんか?

欲を満たそうとするのが生きること。最後くらい満たされたいものです。
私は、老人ホームで介護士として働いています。
そして、人々が老いていく様子のその中に、日々様々な人生模様を見る機会をいただいております。
介護/老人ホーム
私は、そこで見て感じた様々な人生模様を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。
なぜなら、「老人ホームではこんなことが起きているんだ」と知ることによって、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀を深める手助けになるだろうと思ったからです。
それは、おせっかいなことかもしれません。でも、老後の生き方を考える”ヒント”になるかもしれないのです。
伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。
詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。
【車止めで一息】
車止めで一息 07
コーラが飲みたい
「母にコーラを飲ませてください、好きなんです」
「トロミをつけて、スプーンでさしあげてみますね」
「そんなの、コーラじゃあ、ありません!」
「もしも誤飲されて肺炎になったら、命にかかわりますよ」
面会の度にコーラを持参する娘七十八歳。
部屋の冷蔵庫の中は赤と黒とでいっぱいになった。
はみ出た赤と黒はチェストの上にも並んでいる。
百歳の母に誤嚥性肺炎は、命取りだ。
「母はコーラが飲みたいって、言っているんです」
「お母さまの食事はミキサー食。飲み物には全てトロミを付けるのが約束です」
「最後ぐらい、自由にしてあげたいんです。一生懸命に生きてきたんです」
「お母さまは今も一生懸命に生きていらっしゃいます。お手伝いする私達も一生懸命です」
・ ・ ・ ・ ・
娘は冷蔵庫から冷えたのを取り出して、そして独りで飲んだ。
口の中、咽喉、そして身体中、手足の先々まで渦巻く黒い炭酸。
娘は全身を震わせて黒い炭酸の快感に酔い、そして思った。
・・私が母さんだったら。
・・子が親の分身なら、親も子の分身。
小さい目を閉じて、
すやすやと眠っている母独り。
いつも独りで寂しそう。
もしも、逝く前に、望みを叶えてあげられたら・・・
もしも、逝く前に、この快感を味わえたら・・・
最後の望みかもしれない。
最後の快感かもしれない。
母は、嬉しい。
娘はコントローラーを手にした。
そして、
ベッドの上体を上げるボタンに親指を当てた。
静かなモーターの音。
ボタンを押し続ける力の入った親指。
母の上体は、
ゆっくり ゆっくり、
斜め四十度へ近づいていった。
・・母さん、気持ちよくなってね。
・・母さん、おいしいって感じてね。
・・母さん、母さんが飲みたいって云っていた、
コーラだよ。
*
〔注釈1〕トロミ:飲み物に粘度をつけることにより、食道へ流れやすくして、気管への誤嚥を防ぐためのもの。
〔注釈2〕誤嚥性肺炎:飲み物、食べ物が気管に入り、肺に炎症を起こしてしまうこと。
※この詩の最後の部分は願望として書いたフィクションです。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
詩 境

誤嚥性肺炎は高齢者にとってリスクの高い疾病です。私の父(享年89歳/認知症/要介護5)の最期はこれが遠因となりました。
加齢は身体の機能が衰えることであり、嚥下機能もまたしかりです。高齢者に誤嚥性肺炎は多い疾病なのです。つまり老衰のひとつという理解でもあるのでしょう。
認知症でもあった私の父は、誤嚥性肺炎を患ってから2週間で他界しましたが、その死因は認知症でもなく誤嚥性肺炎でもなく”老衰”でした。
御入居者様のご家族の中には、お爺ちゃんやお婆ちゃんに好物を食べさせたいという思いが強くあります。でも高齢者の場合、食形態には制限がある場合があります。すると、ご家族は「食べさせてあげたいんです」と訴えることになります。
もしも私が、あと何日も生きられない状況だったとしたら・・
好きな飲み物や食べ物を口にして死んでいくことを嫌だとは思いません。そばにいてくれるであろう家族に、のませてほしい・・と懇願するかもしれません。そんなことを思って、この詩を書きました。
でも実際は、そういうことをしたら間接的にせよ死期を早めるだけだということは、知っておいてほしいです。
*
ミキサー食を常用とされている高齢者の場合、トロミをつけない飲料を口に含ませることができたとしても、実際には飲みこむことはできません。おそらく激しく咳き込むでしょう。咳き込むことは苦しいことですから、その瞬間に提供した人は後悔すると思います。
炭酸の美味しさを感じるのは、飲みこむ瞬間ではないでしょうか。つまり、嚥下機能が落ちてしまった今となっては、もう二度と炭酸が咽喉を通る時の、あのシュワ―ッとした感覚は体験できないのです。
歳をとるということは、そういうことなのです。
私が介護士として働いている施設は「住宅型介護付有料老人ホーム」です。
自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方が住まわれており、看取りも行っている施設です。
【作品一覧】
ご一読いただけましたら、幸いでございます。
介護の詩/老人ホームで暮らす高齢者の様子「車止めで一息」/詩境
読んでくださり、ありがとうございます。