介護の詩/切ないのに宝物/老人ホームでの息遣いと命の灯/詩境


【車止めで一息72】

切ないのに宝物

老人ホームで暮らす、お爺ちゃんお婆ちゃんのこと、気になりませんか? 

ちょっと覗いてみて下さい。それは、未来の自分の姿…かもしれません。

切ないのに宝物

面会に来た息子を見送る母。歩道を歩いていく息子は、どんどん遠く、どんどん小さくなっていきました。そのとき母は、ぽつりと「切ないわね…」と口にされたのです。

その瞬間を切り取ったのがこの作品です。詩境、考察も併せてお読みくださいませ。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

<介護の詩>

車止めで一息 72

切ないのに宝物

息子の、その後ろ姿が、

どんどん遠く、どんどん小さくなっていく。

振りかえって・・は、くれなかった。

それでいい。

あなたにはあなたの生活があるんだもの・・。

息子、還暦、六十歳。

玄関の、大きな引分戸の脇のガラス張り。

その透明に両手を当てて貴女様は外を見つめていた。

外は、ピカピカピカ・・。

揺れる街路樹、通り過ぎる車、反射する陽の光、ピカピカピカ。

歩道を行く息子の姿は、そして見えなくなった。

息子、定年退職、六十歳。

「彼は、いつだって振り返らないの」

そう教えてくれた貴女様の遠い記憶。

かつて小学校へ行く子供の後ろ姿を追っていた。

嬉しさはあったけれども不安も沢山だったあの頃。

思い出はいつしか・・・

かけがいのない大切なものになっていた。

そして今・・・

親、老人ホーム、終の棲家。

「またすぐに来てくれますよ」

野暮な慰めだと、言った直後に気が付くわたし。

黙ったままの貴女様は、誰もいなくなった歩道を見つめていた。

そして、ぽつりと言った。

「切ない・・わね」

黙ったままの貴女様は今きっと、

六十年という長い長い月日を辿っている時間旅行者。

それは、決して切ないことなんかない。

それは、きっと、思い出が沢山詰まった、

宝物の塊だ。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

【 詩 境 】

詩 境

面会に訪れていた息子さんが帰っていきました。母はその後ろ姿を、閉じた玄関扉のその脇の、ガラス張りに両手を当てて、ホームの中からじっと見つめていました。

そして言ったのです。

「彼が小学校へ行く時もね、道に出て、あの子の姿が見えなくなるまで、ずっと見送っていたの。思い出しちゃった、おなじね・・・ああ、切ない」

母の脳裏にはきっと、自分が産んでから今日に至るまでの、息子さんとのいろいろなエピソードが思い出されていたのでしょう。

そして、私は感じました。

それって、ただの思い出じゃなくて、「宝物」と言っていいのではないでしょうか?

そういう「宝物」って、人が皆それぞれの心の中に持っている「自分だけの宝物」なのではないでしょうか?

そういう「宝物」を大事にして、そしてかつ切なく思うことは、実は今を一生懸命に生きるエネルギーになっているのではないでしょうか?

今を一生懸命に生きるエネルギーならば、それはとても大切なものです。

私は、そう思うと、その瞬間を切り取り、言葉にして残しておきたいと思いました。

【 考 察 】

考 察

人の心は、過去と未来を旅するタイムマシンです。

ただ、高齢者は過去へしか行きません。未来への時間旅行は殆どされません。

なぜなら、

「未来」には、抗うことのできない「死」が待っていることを肌で感じているからだと思います。

だからでしょうか。高齢者は、過去への時間旅行に心は落ち着かれるようです。

〔ここで私は「未来への時間旅行」を「夢や希望を描いたり将来の計画を立てたりすること」という意味で使いました。一方、「未来への時間旅行」ができる人は、「死」を知識として知っていても、「死」を自分のものとしては意識していません。物事は意識することによって存在するので、知っていても意識しなければ「無い」のと同じことなのです。〕

「高齢者は、過去への時間旅行に心は落ち着く…」

なので、

同行するスタッフは添乗員ではなく、単なるサポーター役に徹します。

本人様が心地よく過去への時間旅行ができるように、行く先々(過去のこと)での出来事を一緒に見守り傾聴し、そして本人様の感情に共感します。見守り、傾聴、共感に徹するのです。

「切ない」の意味を確認しておきたいと思います。

なぜなら、「切ない」は感情ですが、感情を共有することはとても難しいことだからです。「切ない」の意味を確認することによって、「切ない」と発した母の気持ちに、少しでも近づきたいと思います。

悲しみや孤独に胸を締めつけられるような気持ち。

〔出典/明鏡国語辞典 第二版、発行:㈱大修館書店/私の手元にある国語辞典です〕

<類義語>

他にも調べて、以下のような類義語を集めてみました。総じて「悲しい事実が自分の身に起きていて、それをどうすることもできないもどかしさのような感情」のようです。それらの類義語を大きく三つに分類してみました。

<思うようにいかない「切なさ」>

:悲しい :寂しい :心が痛い :心苦しい :無念 :心残り :挫折感 etc..

<恋愛感情の「切なさ」>

:片思い :愛おしい :恋しい :実らない恋 etc..

<戻らない過去を思う「切なさ」>

:追憶 :思い出 :昔を懐かしく思う etc..

<歌の歌詞〔例〕>

※日本の歌謡曲では、例えば以下の歌の中に使われています。

「ルビーの指輪」寺尾聰/1981年リリース

 ♪ くもり硝子の向こうは風の街 ♪ ♪ 問わず語りの心が切ないね

「思い出が止まらなくなる」乃木坂46/2023年リリース

♪ 歳月が流れるだけで、ホントに、切ないね

この二曲ともに、聴いている人へ共感を求めているように感じます。

ここでの「切ない」の使い方には「悲しいけれども、どうしようもない、なす術がないよね」という諦めにも似た感情が読み取れます。

<諦観が包み込まれている>

上記のように見てくると「切ない」には諦観が包み込まれているように思います。

以下の②の意味です。

【 諦観 】(ていかん)

① 物事の本質をはっきりと見極めること。

② 俗世の欲望を虚しいものと悟り、超然とした態度をとること。

〔出典/明鏡国語辞典 第二版、発行:㈱大修館書店/私の手元にある国語辞典です〕

心に悲しく響く、胸を締め付けられる、・・でも…しかたがない、でも…どうしようもない。

そこには大切だったものがある、そこには忘れられない、いいや忘れてはいけない大事なものがある、・・でも…決して戻ることはできない。今は、それを大切な思い出として、ギュッと心に抱きしめることしかできない・・。そのような思いです。

諦観するその度合いが増せば増すほどに、「切ない」は益々切なくなっていくのだと、私は思います。

今こうして生きている、この日常が、後々に「思い出」となっていきます。

そして、ふと思い出したとき、そこに「切なさ」を感じるのでしょう。

そして「切ない」けれども、

「思い出」は、胸に抱きしめたい大切な「宝物」といってもよいのではないでしょうか。

今が、後になって「宝物」になるのです。

そう思うと、今この時って、とても大事なんだなぁ…って思います。

そう思うと、今この時って、一生懸命に生きなきゃあ…って思います。

今が、後になって「宝物」になる・・

・・介護士として働く老人ホームで再発見させて頂きました。これはたぶん、普遍に当てはまる事柄だと思います。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

<詩作の背景>

〔2025.2.26更新〕

私は今、介護士として老人ホームで働いています。

施設の種類は「住宅型介護付き有料老人ホーム」です。

高齢で自立している方も、要支援1~2の方も、要介護1~5の方も、住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。

私はそこで働きながら、人が老いて、そして他界していく様子のその中に、様々な「発見と再発見」を得る機会をいただいております。

そして私は、それらの「発見と再発見」を自分自身の認識とすると共に、より多くの人たちにも伝えたいと思いました。

その理由は以下の三つです。〔2025.2.26更新にて、2と3を追加〕

1.介護への理解が深まり、人生という時間軸への深慮遠謀が深まるかもしれない。

2.虐待や介護の事件事故への理解を深め、要因と予防対策を探るヒントが得られるかもしれない。

3.高齢者人口の増加とそれに伴う負担額の増加、及び介護士やケアマネージャーの不足、それら社会環境の変化と悪化を自分の問題として理解し、社会へのなんらかの改革を発信する力をつけたい。

伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。

詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

今までの作品一覧

以下にございます。

「車止めで一息」老人ホームでの息遣いと命の灯

ご一読いただければ幸いでございます。