日本の名月①/夏の夜は~雲のいづこに月宿るらむ/百人一首36番歌


百人一首には月を詠んだ和歌が11首あります。

そのひとつひとつを味わい、空に浮かぶ月に「何かの意味」を持たせようとした詠み人の、その心の有り様に触れてみたいと思います。

今日は、その1首目です。(写真は和歌から連想したイメージです。出典:photoAC)

和歌も詩のひとつだと思います

日本の中世が現代に残してくれた文化のひとつに「和歌」があります。五、七、五、七、七の音で構成されているという約束がありますが、私が思うに、いわば「詩」のひとつです。

よく知られた和歌集に百人一首があります。藤原定家(1162年~1241年)が、それまで歌われてきた和歌から100首選んだものです。それまでというのは、おおよそですが、万葉集の頃から新古今和歌集まで(おおよそ7世紀前半~12世紀前半)の頃に詠まれた歌を指します。

百人一首は、その内容を味わうと、恋にまつわるものが半数近くあるんですね。現代でもそうですが、歌謡曲などの世界でも恋の歌は多いです。いつの時代でも、恋愛というのは人生の大きなテーマだったようです。

さて、その他に、何を題材にしているか、多いものを探し出してみると・・・

なんと、「月」が11首に詠われています。

約10種に1首がなんらかの形で「月」を詠っているということは、当時の日本人にとって、月は大変興味ある自然のひとつであったという証拠のようなものだと思います。

この度は、これらの和歌を、ひとつひとつ味わっていきたいと思います。

なぜなら、

当時の日本人が、

どのような「月」を見て・・?

何を感じて・・?

何を思っていたのか・・?

それらを知ることが、日本人の心を知るひとつの手がかりになると考えたからです。

そして、

それらの和歌に詠まれた月は、百人一首に選ばれた月であるゆえに、日本の名月だと言ってもいいのではないかと思うのです。

百人一首については、解釈をした書物が数多くあります。なので、今更・・そんな必要はない・・と思う人もいらっしゃると思います。

ただ、広く「詩」の世界というのは、その解釈に正解というものは無く、その文字、その言葉、その文節、その文章から想起される様々な想像があってよいものだと、私は常々思っています。

それから、

百人一首の作者が見ている月について、その満ち欠けの様子は、一切書かれていません。なので、ここは、想像するしかありません。なので、私は、私という百人一首のひとりの読者として想像します・・・百人一首に詠われている月は、全て満月か、満月に近いものだと思います。それについても、ここに書きこんでいきたいと思います。

いろいろイメージをふくらませてイメージの世界を楽しむこと、それが和歌を含めた「詩の楽しみ方」だと思います。

そんなことを思いながら、

ここに書き上げる記事ひとつに、百人一首から選んだ「月を詠んだ和歌」を一首ずつ取り上げていきたいと思います。今日のこれは、第1回目です。

夏の夜は 

まだ宵ながら 明けぬるを

雲のいづこに 月宿るらむ

〔解釈〕

まずは、写真を使ってみましょう。もちろん、写真はイメージです。(以下同じ)

夏の夜って、短いなぁ・・・。まだ宵のうちだと思っていたら、もう朝になってしまったよ。昨晩見えていたあの月は、今頃、どの辺りに宿をとって休んでいるんだろうなぁ・・・。

宵というのは、定義はなくて、おおよそですが、太陽が沈んでからの2~3時間くらいの間のようです。

「月宿るらむ」は擬人法ですね。月が雲に隠れているのを、「宿をとって休んでいる」かのように表現しています。この擬人法から、以下の意訳を、私は想像します。

【意訳】

一晩中、煌々と夜を照らし続けていたお月様。暗い中を、よくぞ頑張ってくださいました。ありがとう。お陰さまで、寂しい思いをしなくて済んだよ。夜中に蝋燭の灯りだけでは、寂しいからね。

そうなんです。

この和歌の作者は、この歌の情景を、朝早起きをして見ているのか、夜通し起きていて見ているのか・・・わかりません。

そこの辺りを想像すると、この歌の味わいというものは、もっと深まるように思います。

電気もラジオもテレビも、もちろんパソコンもない時代に、「夜は寝るしかない」なんて思うのは早合点というもの。なんらかの理由があって、朝まで起きていたかもしれません。たとえば、蝋燭の灯りの元で日記を書いていたら、いつのまにか朝になっていた・・とか。

ちなみに、作者の清原深養父(きよはらのふかやぶ)は、あの枕草子を書いた清少納言のひいおじいちゃんだそうです。きっと文才があって、なにか書き物をしていたら朝になっていた。そう思うと、「月宿るらむ」という擬人法を選択した理由が、なんとなくボーっとですが分かるような気がします。そして、以下のように、想像できます。

作者は、夜中ずっと、お月さまと一緒に起きて書き物をしていたのです。

そして朝になって、自分は寝床に入るものだから、お月様にも宿をとって休んでほしいなぁ・・・と、そんなふうに思ったのかもしれません。

そして、

夜中に夜の世界を照らすお月様。その明るさは、きっと有難いものだったのだと思います。月のその明るさに「ありがとう」と思い、擬人法を選択させたのだとしたら・・・その月は、満月か満月に近いものだったと思います。満月の夜は明るいですからね。

和歌を含めた詩というものの解釈に正解はありません。上記のように、自由にイメージをふくらませて、イメージの世界を歩き回る・・・それが和歌や詩の楽しみというものです。

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☆【百人一首に関する記事の目次は、以下にございます】

ご一読、お願いいたします。

百人一首/意訳で楽しむ/恋、人生・世の中、季節・花、名月など

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