介護の詩|転倒そして老死|老人ホームで暮らす高齢者の様子|最期


※この頁では老人ホームでの出来事を、そこで働いている介護士が口語自由詩にてお伝えしています。

【車止めで一息78】

転倒そして老死

(画像はイメージです/出典:photoAC)

老人ホームで暮らす、お爺ちゃんお婆ちゃんのこと、

気になりませんか? 

少しだけでも気にしてみて下さい。

それは、人生最期の自分の姿…なのかもしれません。

高齢者に多い転倒事故。

前作品では転倒事故によりADLが下がってしまった例を取り上げました。今回の作品も転倒事故が発端です。前作品については以下を参照下さいませ。

・作品NO.77

 介護の詩|虚ろな眼差し|老人ホームで暮らす高齢者|大腿部骨折

車止めで一息 】

車止めで一息 78

転倒そして老死

転倒していた。

床の上。

右側臥位になった貴女様がいた。

傍らには主を失くした車椅子。

傍らには左右があらぬ方向を向いて転がった靴。

貴女様は床に転がっていた。

頭をベッドの方へ向けて。

助けてと叫んでいた。

床の上。

身体を横たえたまま助けてと叫んでいた。

絞るようなか細い声

絞るような咽喉の奥が詰まって声にならない声。

貴女様は助けてと叫んでいた。

背中には窓からの西日を浴びて。

転んだことは無かった。

身長百四十八センチ、

体重四十七キログラム。

まるまっこく太った身体を車椅子に乗せて、

床を足で蹴って進む貴女様は、

転んだことは一度もな無かった。

転んだことは無かった。

便座やベッドへ移る時も、

食事時に椅子へ移る時も、

必ずスタッフが移乗介助をした。

手摺に両手で掴まり立位できる貴女様が、

転んだことは一度も無かった。

なのに転倒してしまった貴女様。

興奮した口調。

説明のつかない説明。

外傷は無く、打撲もないご様子。

手足の可動域は正常だった。

でも、頻脈が続いた。

血中酸素飽和度も低かった。

何をしようとして転んだのか、

何をしようとして車椅子から落ちたのか、

貴女様の説明は用を成さなかった。

貴女様でも分からなかったのだ。

そして、頻脈が続いた。

・ ・ ・ ・ ・

救急搬送。

そして、入院。

・ ・ ・ ・ ・

驚愕は、

翌日の朝食時だった。

同僚が下膳中の私の傍に立ち止まり身体を寄せて、

耳打ちしたのだ。

「〇〇様、今朝ご逝去されました」

・ ・ ・ ・ ・

溢れるのは私の心の中の嗚咽。

転倒だけじゃあないか!

なのに、

もう、顔も見れなければ話しもできないのだ。

もう、ナースコールに呼ばれて、

「待ちました?」「ううん、大丈夫」

笑顔の会話をすることは無いのだ。

優しい笑顔の貴女様。

移乗介助も、

トイレ介助も、

入浴介助も、

でも、みんなみんな、

もう、二度とできないのだ。

・ ・ ・ ・ ・

介助の合間に突然喋り出し、

「あたしね…」で始まる貴女様の思い出話。

それは貴女様の、

堆積した記憶の隙間から漏れ出た、

それは貴女様の、

思い出の雫。

でも、みんなみんな、

もう、二度と聴くことはできないのだ。

・ ・ ・ ・ ・

後で私は知った。

死因は…老死。

転倒は老死を誘う、

死神様の悪戯だった。

五月には九十六歳になる予定だった貴女様。

私に介護の経験をいろいろさせて下さり、

どうも、ありがとうございました。

そして、

貴女様の長い人生、

どうも、おつかれさまでした。

右側臥位(みぎそくがい):

側臥位(そくがい)とは横向きに寝た状態のことです。右側臥位は右側を下にして横向きに寝た状態をいいます。

手足の可動域

・転倒などの事故では、手、腕、脚がいつものように動くのか否か、或いは動かそうとしたら痛いのか否か…を確認します。そして、動かない、動かそうとしたら痛い…という場合には骨折を疑います。

頻脈(ひんみゃく):

・心拍数が増加している状態。成人の場合、毎分100回を超えると頻脈といいます。

血中酸素飽和度

・血中のヘモグロビンに実際に結合していた酸素の量を百分率で表した数値です。その計測機器のことをパルスオキシメーターと呼び、コロナ流行時には指を1本挟んで計測するタイプのものがよく知られるようになりました。

老死

・老衰による死亡を、老衰死まはた老死と呼びます。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

【 詩 境 】

詩 境

老人ホームですから、ご逝去とは常に隣り合わせです。

いつかはお亡くなりになる日がやってくると…知ってはいます。そして、いざそうなったときには悲しいものです。ご入居の期間が長く、触れ合う機会が多ければ多いほど、それは人情として感じざるおえないものなのでしょう。

私はこの方を4年間、週2日、入浴介助をさせていただきました。そして、転倒される三日前にも入浴介助をしていたのです。

「あ~気持ちよかった。ありがとうございました」その声と表情が心象風景として心に残っています。

なので余計に、突然の訃報を落ち着いては耳にいれることができませんでした。

・・・・・

そして…諦め、

そして…この方に感謝しました。

介護の仕事も他の仕事同様にストレスにさらされる場合が多々ありますが、実をいえば、私はこの方の介助に入るときは、リラックスできていたのです。この方と一緒にいる時は、介護する楽しさというようなものを感じていました。

ですので、お亡くなりになった今、この方の記憶をきちんと残しておきたいと思い、これを書きました。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

今までの作品一覧

以下にございます。

介護の詩/老人ホームで暮らす高齢者の様子/「車止めで一息」/詩境

※個々の素材は事実を元にしておりますので、個人情報に関わる内容は分からないよう対策を講じております。その詳細については上記記事内に記しておりますのでご確認下さいませ。

明日の自分が、そこにいるかもしれません。

お読みいただければ幸いです。