※この頁では老人ホームでの出来事を、そこで働いている介護士が口語自由詩にてお伝えしています。
【車止めで一息84】
ベッドリネン交換の時に

(イラストはイメージです/出典:photoAC)

老人ホームで暮らす、お婆ちゃんお爺ちゃんのこと、
気になりませんか?
少しだけでもいいので気にしてみて下さい。
それは、人生最期の自分の姿…なのかもしれません。

老人ホームへ入居すれば、慣れ親しんだ自宅での生活に”さよなら”をしなければなりません。
入居に際しての本人様の心構えについて云えば、入居はしかたがないと思っている…、強い覚悟の上である…、諦観の境地に達している…など、人それぞれだと思います。いずれにしても、その人なりに心の整理や心構えは必要だと思います。
なぜなら、入居したものの老人ホームでの生活に馴染めず、早く死にたい…と訴えたり、やたら家族と連絡をとりたがったり、はたまた帰ると言い出したり…、というように、老人ホームでの生活に適応できない方がたまにいらっしゃるからです。
そして、そうなってしまう要因はご本人様だけにあるわけではありません。送り出す家族にも同時に考えるべきことがあるのだと思います。
この詩作品は、そのような入居の事例を考察する話です。
【 ベッドリネン交換の時に 】
車止めで一息 84
ベッドリネン交換の時に
あなた様は座っていた。
たったひとつしかない椅子に座っていた。
陽光が射しこんでいる温かい窓辺なのに、
凍っているような冷たい表情で座っていた。
あなた様は座ったままだった。
ひとつだけ置かれた寂しい椅子に座ったままだった。
身体を包み込んでいる瀟洒な椅子なのに、
心地よさには程遠い気の無い表情で座っていた。
ベッドリネンの交換に参りました。
・ ・ ・ ・ ・
表情は変わらなかった。
冷たさを支配しているのは、
不安なのだろうか、恐れなのだろうか。
私はあなた様の笑顔を未だ見たことがなかった。
真新しいベッドリネンをベッドの端に置き、
私はあなた様の顔を見て声をかけた。
体調はいかがですか?
変わらない表情は無味乾燥、素っ気なかった。
目線が真新しいベッドリネンに向いただけだった。
私は動かしていた手を何度か止めて、
あなた様の顔を見て話かけた・・いろいろと。
いろいろと話しかけた。
あなた様の心は何処を彷徨っていたのだろう。
悄然として口を閉じていたあなた様が、
やっと口を開いてくれた。
「こんなんじゃあ駄目ねぇ・・」
「いつ死ねるのかしらねぇ・・」
自信喪失をもたらすそのワケは、
意識下にある尊厳のほころび。
私はあなた様の、
無意識の殻に閉じ込められた膿を探った。
私はここに押し込められた。
椅子はひとつしかない。
誰か来たら私はベッドに座るしかない。
これじゃあ病院の病室と同じだ。
私は大事にされていない。
老人ホームへの入居を、
本当は納得していなかったのだろう。
家族への深い愛情というものは、
ときには嘘をつくものだ。
ただ、嘘は本人の心を窮屈にしてしまう。
納得することが親の務めだと自己に強いる親の愛情。
それは家族が気が付かないひとりぼっちの親の煩悶。
あなた様は、
慣れ親しんだ生活と決別したことに、
実は苦しんでいた。
いつ死ねるのかしら…だなんて、
そんなこと言わないでくださいよ。
みんな順送りですからね。
私もあなた様も、
ここで暮らす他の人もみんなみんな、
考えても考えなくても、
悩んでも悩まなくても、
やがていつかそのうちかならず、
運命という奴が、
天国へと連れていってくれるんです。
ですからね、
考えず悩まず、
ここでの生活を楽しんでいきましょう。
そんなことは百も承知の年の功。
そんな慰めで尊厳のほころびは繕えない。
尊厳のほころびを繕うためにはただひとつ・・、
大事にされていると感じて頂くこと。
小さいことでいいから、
大事にされていると感じ続けること。
その積み重ねを繰り返すしかない。
〇〇様、
ベッドリネンを交換いたしました。
ご覧ください。
〇〇様を大事に思って、
真っ白いシーツをピーンと張って、
皺ひとつなく仕上げました。
きれいでしょう!
ぐっすり眠れますよ。
ぐっすり眠って、
明日への力を蓄えてください。
そうしたら、
気持ちよく起きれますからね。
〇〇様
*
〔言葉の意味〕
・悄然として(しょうぜんとして)
:気力を失って、しょんぼりしている様子。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
【 詩 境 】
詩 境
老人ホームにおける
「部屋に一脚の椅子」を考察する
私はこの詩作品の冒頭で「たったひとつしかない椅子」「ひとつだけ置かれた寂しい椅子」という言葉を選びました。これには理由があります。その理由を以下に考察したいと思います。
*
1.「椅子は一脚だけ」という発想
私の勤務先である老人ホームの部屋に予め用意されている設備は、トイレと洗面所と介護ベッドです。それら以外のチェストやテレビや机や椅子などはご入居者様が持ち込まれます。
そして、椅子ついていえば、みなさん一脚しか持ち込みません。何脚持ち込んでも構わないのですが、ほとんどの場合、持ち込むのは一脚です。部屋が小さくても大きくても、椅子は一脚しか持ち込まれません。
もちろん全てではありませんが、ご夫婦で生活されている(されていた)場合を除いて、”おひとり様で住んでいらっしゃる方のお部屋にある椅子は一脚である”という状況は、私の勤務先の老人ホーム(入居者数は約60名)では全体の9割を超えています。
生活者はご入居者様おひとりなのですから、二脚は必要ないと考えるのは当然のこと、合理的な判断です。”もしも家族が複数人で来訪するときには面会室を使えばいいよね。だから部屋に用意する椅子は一脚で十分だよね”・・という発想が、送り出す家族にも、入居する本人様にもあるのだと思われます。
2.「椅子は一脚だけ」への疑義
でも、ご入居者様の精神的な安心度の程度からいえば、ちっとも合理的ではない判断だと、私は思います。
部屋に椅子が一脚しかないことにより、ご入居者様本人の寂しさは、意識下で膨らんでいるのではないでしょうか。
なぜなら、「部屋に椅子が一脚だけ」は「孤独の象徴」のようなものだからです。
このことは、入居する老人ホームが終の棲家であるという覚悟が曖昧なまま入居された方々については、特に云えることなのではないかな…と思います。
3.「部屋に一脚だけ」のデメリット
もしも小さくてもいいからテーブルがあって、椅子が二脚あれば、どのようなことを想像できるでしょうか。
自分はこっちに座って、訪問してくれるあの人はこっちに座って、お茶したり食事をしたり…和やかな空間を想像することができるのではないでしょうか。さらに、テーブルの真ん中に花瓶に差した花を活けたら、益々想像は活発になるでしょう。元気がでるように思います。
でも、椅子が一脚しかない環境では、訪問者には椅子に座ってもらい、自分は介護ベッドに座るしかありません。
私(ご入居者様)は病気ではないし、ここ(老人ホーム)は病院ではありません。ましてや、私(ご入居者様)は学生の一人暮らしではありません。でも、椅子は一脚しかないので訪問者が来たら椅子は訪問者に譲って、私(ご入居者様)は介護ベッドに腰かけるしかないのです。
訪問者は椅子に腰かけて、私(ご入居者様)は介護ベッドに腰かける、その様子は、視覚的にも ”健常者と非健常者” という関係を連想させます。本当にそれでよいのでしょうか。
4.結論/落とし穴
「一人で生活するのだから、椅子は一脚あればいいよね」
この発想は、ご入居者様の精神的な配慮を慮るうえにおて、大きな落とし穴のように思います。
なぜなら、
・訪問者が来られた時には「健常者と非健常者」という関係が明確になります。
・そしてさらに、そう言ったときから、「一人」と「一脚」は「独り」と同義語になるからです。
そしてそのとき、親を送り出した家族の心情はどのようなものでしょうか。
家族は、”老人ホームへ入居できてよかった、これで一安心だ” という自分たちの思いが先に立ち、送り出された親が抱いている”親の煩悶”にまではなかなか思いが及びません。
つまり、「部屋に椅子一脚だけ」という環境は一見合理的な判断だけれども、実は親を心理的により強く「独り」にさせるという意味において、姥捨て山と同じことをしているのです。
自宅で使っていた椅子を持ってきました….と自信ありげにご家族様は仰います。それはとても大事な配慮です。ただ、それに加えて、”決して独りではないよ”ということを想像させる配慮も、あってしかるべきことだと思います。
そういうことを伝えたく、実例を元にしてこの口語自由詩を書きました。
*
うつが進行したら・・
私の勤務先のことなので、あくまで一例としてご理解下さいませ。
うつ状態が進んで日常生活に支障をきたすようになったときの入り口は、ご家族様(又は後見人様)への報告と、精神科医の往診です。その結果によっては抗うつ剤の投薬が実行されて、経過観察をすることになります。
現場の介護スタッフにはそのことが共有されますが、介護スタッフは医療に携わることはできません。なので、その方との日常生活のコミュニケーションにいろいろな工夫をしながら、状況を医療職へ報告していくことが日課となります。
この詩作品の事例は、その前段階です。
自己否定や自信喪失が起きる理由のひとつに「自分は大事にされていないんじゃあないか?」という思いがあります。私はそれを”尊厳のほころび”と表現しました。
そのほころびを繕うには、日常のいろいろなところで「私は大事にされている」という実感を味わい続けていただくことが大切です。
なので、〇〇様とお名前を呼ぶことをあえて多く発しました。そして、ハッピーな明日が想像できるように五感に訴え、〇〇様への特別感が伝わるようにしました。ピーンと張った白いシーツも、それをわざわざ言葉にして伝えるのも、視覚と聴覚への訴求です。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
【今までの作品一覧】
以下にございます。
”介護の詩/老人ホームで暮らす高齢者の様子/「車止めで一息」/詩境”
明日の自分が、そこにいるかもしれません。
お読みいただければ幸いでございます。