介護の詩/「ありがとう」/老人ホームでの息遣いと命の灯17/詩境


【車止めで一息】

ありがとう

老人ホームで暮らしている、お爺ちゃん、お婆ちゃんのこと、気になりませんか? 

人生に不死身はありません。永遠もありません。死ななかった人はいません。つまり、今生きていることは、とても有難いことなのですね。

私は、介護士として、老人ホームで働いています。

そして、人々が老いて、不帰の人となっていく様子のその中に、様々な人生模様を見る機会をいただいております。

介護/老人ホーム

私は、そこで見て感じた様々な人生模様を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。

なぜなら、「老人ホームではこんなことが起きているんだ」と知ることによって、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀を深める手助けになるだろうと思ったからです。

それは、おせっかいなことかもしれません。でも、老後の生き方を考える”ヒント”になるかもしれないのです。

伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。

詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。

【車止めで一息】

車止めで一息17

ありがとう

仕事を終えて疲れた帰り道、

歩道を歩きながら右手を左胸に当てた。

手のひらに伝わってくる、

それは、

わたしの命の総元締め。

わたしが、今日迷ったときも、

わたしが、今日しくじったときも、

わたしが、今日急いでいたときも、

わたしが、どんな状況にあろうとも、

ひと時も休むことなく活躍してくれた、

そして、今も働いている、

わたしの命の総元締め。

考えてみれば、それは長い。

何十何年、何か月何日ものあいだ、

一度も休んだことがない。

休みを知らない。

わたしには休めるときがやってくる・・そして休む。

休むだけじゃあない、毎日眠る時間もある。

そのとき、

わたしの命の総元締めも、

休んでくれるだろうか・・いいや、休まない。

眠ってくれるのだろうか・・いいや、眠らない。

なんということだろう。

休んでいるわたしを、休まないで支えてくれている。

眠っているわたしを、眠らないで支えてくれている。

命の総元締めは、

情熱の塊、

完璧だ。

でも、今日、

あの人の命の総元締めは止まった。

それは、

休んだのではない、

それは、

ただ眠ったのではない。

それは、

永遠の眠りだった。

ありがとうございました。

みんなで両手を合わせ、

そして祈った。

・・・安らかに、お眠りくださいませ。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

あきら

この詩の視座は私に在り、私の思いを言葉にしています。

この日はホームでご逝去された方がおりました。ターミナルケアの最後の数日は酸素吸入器を顔に着けて過ごされていたのですが、その日の朝に喘鳴が始まりました。

家族が呼ばれ、ホームのスタッフも入れ代わり立ち代わり部屋を訪れました。そして最期は、多くの人に見守られて息を引きとられました。

その方の、ひと際大きな喘鳴の後、最後の一息がふっーと途絶え、周りで見守っていた人たちの絶句が感じられたその瞬間、輪の後ろの方で見守っていた私は、思わず右手を自分の左胸にあてて自分の心臓の鼓動を確かめました。

私は、その時の感慨を、この詩に託しました。

私が介護士として働いている施設は「住宅型介護付有料老人ホーム」です。

自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方が住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。

【参考】

★【前回公開した詩】「旅のおわり」

介護の詩/「旅のおわり」/老人ホームでの息遣いと命の灯16/詩境

介護の詩/「車止めで一息」/老人ホームでの息遣いと命の灯

読んでくださり、ありがとうございます。