【車止めで一息】
冷たい家族

老人ホームで暮らしている、お爺ちゃん、お婆ちゃんのこと、気になりませんか?

たまに来る家族が親の様子を見て「まだ大丈夫」だと口走る。そんなとき私は「ここは姥捨て山ではない」と言いたくなります。
私は、介護士として、老人ホームで働いています。
そして、年老いた人がこの世を去っていく、その様子の中に、様々な人生模様を見る機会を頂いております。
介護/老人ホーム
私は、そこで見て感じた様々な人生模様を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。
なぜなら、「老人ホームではこんなことが起きているんだ」と知ることによって、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀を深める手助けになるだろうと思ったからです。
それは、おせっかいなことかもしれません。でも、老後の生き方を考える”ヒント”になるかもしれないのです。
伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。
詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。
(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。
【車止めで一息】
車止めで一息31
冷たい家族
ファミリールームの表示がある面会室。
扉の隙間からもれ出るのは、
ご家族様の声。
お母さん・・と、呼んでいる。
「お母さん、右手をあげて」
・・・・・
「お母さん、左手をあげて」
・・・・・
「ちゃんとできるわ。まだ、大丈夫ね」
何が大丈夫だというのだ。
大事なことは、
お母さんが、
このホームで、
心地よく、
生活できているのか、
いないのか、
お母さんの気持ちだ。
なのに、
たまに来て、手をあげてとは、何事か!
なのに、
たまに来て、まだ大丈夫とは、何事が!
もう帰れ!
そんな家族は、
ここには要らない。
(画像はイメージです/出典:photoAC)

詩境

私は見てしまいました。面談室の扉が僅かに開いていて、漏れ出る声と、車椅子に座って、家族が言うがままに手を上げ下げしているお婆ちゃんの姿を。
そして、家族は口にしたのです・・「まだ、大丈夫ね」と。
・・嗚呼、たとえそう思ったとしても、口にしちゃあいけない。しかも、本人の前で。本人は自分の命を神様に預けているのだ。「まだ大丈夫」とか、「もう近い」とか、そこは胸の中にしまって、どうか最期まで優しく付き合ってほしい。
私は楢山節考(深沢七郎/著)の映画(監督/今村昌平)の中の「楢山参り」を思い出しました。「楢山参り」とは高齢者を楢山に置いてくるという、云わば姥捨ての風習です。
映画の中では、主人公が楢山に置いてきた母親の身を案じて「おっかあ!」と叫びながら、母親を救いに楢山へ戻るシーンがあります。
私は面会室の扉の隙間から中の様子を知り・・なんだ、ひどいな、こりゃ楢山節考よりもひどいじゃあないか・・と思いました。
このお婆ちゃん、ある歌手が好きでした。その歌手の歌をカセットテープレコーダーで聴くことを楽しみにしていました。テープは120分用だったので、2時間毎に再生ボタンを押しに部屋を訪問するのがスタッフの日課となっていました。老人ホームでは、ADLと共にQOLの向上にも取り組んでいるのです。
最期の最後まで温かく見守っていてほしい。それを伝えたく、これを書きました。
私が介護士として働いている施設は「住宅型介護付有料老人ホーム」です。
自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方が住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。
【参考】

以下は、作品一覧です:ご一読頂けましたら幸いです。
読んでくださり、ありがとうございます。