※この頁では老人ホームでの出来事を、そこで働いている介護士が口語自由詩にてお伝えしています。
【車止めで一息 99】
人生100年の悩み

(画僧はイメージです/出典:photoAC)

老人ホームで暮らす、お婆ちゃんお爺ちゃんのこと、
気になりませんか?
少しだけでも気にしてみて下さい。
そこには、人生最期の自分の姿があるかもしれません。

人生100年時代・・最近は耳にすることが少なくなったように私は感じていますが、本当のところはどうなのでしょうか。言葉は知っているけれども、皆さんあまり意に介さないといったところなのでしょうか。
私が勤めている老人ホームでのことです。
年の頃30歳前後の若いスタッフが100歳に近い入居者様との会話の中で「人生100年時代ですから」と言っているのを耳にしました。
そのスタッフが「〇〇様、もうすぐ100歳ですよ。凄いですね。人生100年時代を証明していますよね」というように、入居者様に話しかけていたのです。
そのご入居者様は、スタッフ二人による移乗介助が必要な方でした。なので、私も介助に加わり、若いスタッフに合わせながら、そのご入居者様とのコミュニケーションに努めました。
・・言われた方のご入居者様は「人生100年時代? へ~そうなんですか?」と応じて下さいましたが、実のところはいい迷惑だったのかもしれません。なぜなら、100歳になることが凄いことだと、自らは思っていないようだったからです。
今回の口語自由詩に登場するのは、その高齢者の方です。
それでは、本編の口語自由詩に入る前に、人生100年時代の”発端とその後”について、少し振りかえってみたいと思います。
*
<人生100年時代の発端とその後>
➡ 発端・・
2016年「LIFE SHIFT/100年時代の人生戦略」がイギリスで出版され、瞬く間に世界中に広まりました。
日本では直ぐに和訳され、同年の10月に㈱東洋経済新報社より同書名で出版されました。
:その内容…以下はその要点です。
1914年生まれの人が100歳まで生きている確率は1%です。でも、2007年生まれの人については、その2人に1人は103歳まで生きると推定できます。なので、私達には100年間生きることを前提にした人生設計が必要なのです。
そして、自民党の小泉進次郎氏がこの「人生100年時代」に直ぐ反応しました。「人生100年時代ですから…」と頻繁に使ったことにより、日本でも瞬く間に広まっていったのです。政治家の発言というものは、良くも悪くも影響力が大きいですね。
*
➡ 進展・・
翌年の2017年9月、安部首相を議長とする「人生100年時代構想会議」が発足しました。そして、「人生100年時代」「一億総活躍」「働き方改革」という看板を掲げた政策推進室が政府内に発足しました。
超長寿社会における経済と社会の”新しいシステムの構築が必要”であると考えられたのです。
従来の、人生についての大まかな理解である〔20年間は教育⇒40年間は労働に勤しむ⇒20年間は老後〕にとらわれず、100年生きる人生設計の構築提案と、それに応じた社会の新しいシステムを模索しようとしたのです。
当時・・熟年を過ぎて老年期を迎えた人たちは「私たち、100歳まで生きられるらしいわ。まだまだ老いぼれるわけにはいかないのよ。人生を楽しめるように、頑張って生きていきましょう!」と口々に声に出し、世の中のみんなが100歳まで生きられるような明るい未来図が・・それは錯覚なのですが・・世間に広まりました。そして、「人生100年時代」という言葉は、2017年の流行語大賞にもノミネートされました。
➡ その後・・
2021年、岸田内閣は安倍内閣から取り組んできた「一億総活躍」「働き方改革」「人生100年時代」の政策推進室を廃止しました。
安部首相が「人生100年時代構想会議」で発言されていた様々な施策や立案への提言は雲散霧消してしまったのです。その中には「介護士を増やさないといけません」というのも入っていました。
:以上が「人生100年時代の発端とその後」です。
* * *
ところで、
寿命が100歳まで伸びるかどうか…ということはともかく、
もしも、「人生100年時代だから介護士がもっと多く必要だ」と考えるような「人生100年時代」だとしたら、人生100年時代は望ましいものではないと思います。
なぜなら、ひとつの理由は、社会保障費増の問題です。国の財政負担は不健康になり様々な問題が派生してくることでしょう。
それだけではありません。重要なことがあります。それは、人の心の問題です。
高齢による介護を常に必要とする「生き長らえる状態」は、本人様にとってもご家族様にとっても、決して楽しいものではないと思うからです。高齢者の介護の仕事に携わっていて、私はそう感じることがあります。
そのことは、実際の高齢者の介護現場において、もちろん全ての方ではありませんが、介護されている高齢者の発言内容からも言えることです。
【 人生100年の悩み 】
車止めで一息 99
人生100年の悩み
もうすぐ100歳すごいですね。
どこがすごいんですか?
私は人様にケツを拭いてもらっているんですよ。
人生100年なんて妄想だったんですよ!
もうすぐ100歳すごいですね。
なにもすごいことなんかありませんよ。
私は一人では何もできない身体なんですから。
人生100年なんて偽物だったんです!
*
人生100年だなんて、
誰が言ったんでしょうね。
長生きすることが幸せだと思ったんでしょうかね。
生きることと、
生き長らえることとは、
別物なのにね。
人生100年だなんて、
誰が言ったんでしょうね。
生き長らえるだけの老後なんて、
辛いだけですよ。
親父が羨ましいなぁ・・。
ピンピンコロリだったもんなぁ・・。
人生100年だなんて、
誰が言ったんでしょうね。
日本人みんなピンピンコロリすると思ったんでしょうかね。
困りますよね。
老後を知らない人に老後の姿を描かれても。
それを盲信する人も馬鹿ですけどね。
*
早く死なせてくださいよ。
なんでいつまでも世話をするんですか?
仕事だからですか?
仕事なら、私みたいな年寄りの小言にも、
何かもっと気の利いたことを言ってくださいよ。
気が利いたこと言ってくれないじゃあありませんか!
私の尊厳はどこにあるんですか?
人のケツに紙をあてておいて。
早く死なせてくださいよ。
なんでいつまでも世話をするんですか?
どうせそのうち死んでいく身なんです。
どうせ死ぬのに何故今死んだらいけないんですか?
私の命は私のものです。
自由にさせてくださいよ。
自分のことは自分で決める。
それって、私の尊厳じゃあないんですか?
勝手なことを言うけれども三ヶ月ください。
ああ死ぬかなぁ、と思ってから三ヶ月あれば、
お別れの準備も葬式の準備もできますからね。
生き長らえるだけの人生は辛いことばかりです。
人生百年は絵空事でした。
もう寝ます。
灯りを消してください。
おやすみなさい。
*
<言葉>
「ピンピンコロリ」
:元気だった人が、ある日突然、命を落としてしまうことを指しています。「ピンピンしていたのに」「コロリと死んでしまった」というわけです。略して「ピンコロ」とも言います。
ピンピンコロリには、発見されにくい重篤な疾患が原因である場合があるようです。
私の兄の例です。当時68歳の私の兄は健康優良児でした。でもある日のこと、突然道端で倒れて意識を失ってしまったのです。そのまま命を落とす可能性はとても高かったと、主治医から説明を受けました。もしもそのまま他界していたら「ピンピンコロリ」だったのでしょう。
実際は意識を取り戻し、精密検査の結果、心臓大動脈弁膜症だと判明しました。大動脈弁が石灰化して、その石灰の破片が血流に乗って脳の血管を詰まらせてしまったというわけです。その後、心臓大動脈弁の置換手術〔豚の弁を移植〕により、兄のピンコロの可能性は大幅に減少しました。
どのような死に方が望ましいのか・・自死以外は考えてもそのとおりになるわけでもないので、運を天にまかせて、楽しく生きることに力を注いだ方がよいと思います。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
【 詩 境 】
詩 境
老人性健忘症はもちろん普通にあるのですが、認知機能はしっかりしている。でも身体機能は衰えていて、排泄介助がなければトイレに一人で行くことができない・・、という状態は、本人様にとって、かなり辛いことだと思われます。そのような場合、羞恥心や自尊心はまだまだしっかり残っていますからね。
この口語自由詩の方の場合、「死ぬのを待つだけだ…楽に死ねる薬を下さい」とか、ベッドに横になると「ああ、このまま死にたい。朝なんか来なくていい」と口走っていました。
もしも自分がそのようになったとしたら・・。そうなっても毎日を楽しく生きていけるように、今のうちに考えておきたいと思います。
今私が模索したいのは、”年をとれば年をとるほどに楽しくなる方法とか、年をとれば年をとるほどに楽しくなる何か” です。それが何か具体的な方法によるものなのか、それとも解釈でそう思えるようになるものなのか・・今は分かりませんが、追求していけたらいいな思っています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
【今までの作品一覧】
以下にございます。
”介護の詩/老人ホームで暮らす高齢者の様子/「車止めで一息」/詩境”