【車止めで一息】
美しい記憶

老人ホームで暮らしている、お爺ちゃん、お婆ちゃんのこと、気になりませんか?

「ありがとう」の心は、欲にまみれることなく美しいです。感謝は、それ以上の欲を抑えるからです。そんな感慨を抱く「ありがとう」に出会いました。
私は、介護士として、老人ホームで働いています。
そして、年老いた人が他界していくその中に、様々な人生模様を見る機会を頂いております。
介護/老人ホーム
私は、そこで見て感じた様々な人生模様を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。
なぜなら、「老人ホームではこんなことが起きているんだ」と知ることによって、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀を深める手助けになるだろうと思ったからです。
それは、おせっかいなことかもしれません。でも、老後の生き方を考える”ヒント”になるかもしれないのです。
伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。
詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。
(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。
【車止めで一息】
車止めで一息29
美しい記憶
貴方様の記憶はきっと、
花弁のように美しい。
食事の時間以外、
ほとんど寝て過ごすようになった
貴方様、
そして貴方様が愛した人。
・・・「社内結婚したんです」
・・・数日前の食事の時間、そう教えてくれた貴方様。
・・・奥様は隣で、はにかみながらも優しく微笑んでいた。
社内結婚して一緒になった
二人は今、
一つの部屋に二つ並んだ介護用ベッドで暮らしている。
その日も水分補給のため、
各々のベッドに端座位になった二人。
向かい合ってカルピスを飲む二人。
夫はカルピスを飲む妻を見て、
そして言った。
「こんなに長く一緒に居てくれて、ありがとう。感謝しかないよ」
・・・・・
夫の心に宿る優しい魂の記憶が、
柔らかくて温かい言葉の放射となって、
穏やかにそっと、
愛する人を包み込んでいった。
貴方様の記憶はきっと、
花弁のように美しい。
春の桜のように、
透き通った桃色や、
幾重にも重なった濃い桃色の記憶。
夏の向日葵のように、
陽光に向かって、
元気に話かけて輝く黄金色の記憶。
秋の秋桜のように、
風に揺られながらも、
しっかりと咲き誇る白桃色紅色の記憶。
冬の水仙のように、
厳しい寒さの中にあっても、
凛として存在感を示す白い中の黄色い記憶。
恋が、
仕事が、
波風が、
家庭が、
二人一緒に過ごした日々が、
花弁の一枚一枚に宿っている。
こんなに長く一緒に居てくれて、
ありがとう。
感謝しかないよ。
・・・・・
そう口にする、
貴方様の記憶はきっと、
花弁のように美しい。
(画像はイメージです/出典:photoAC)

詩境

水分を、自分で判断して、自分で行動して摂ることができない方がいらっしゃいます。そういう方には定時に水分補給をさせていただきます。この日も、〇〇様ご夫妻の部屋にカルピスを持ってお伺いしました。
ご主人様が奥様に向かって「ありがとう、こんなに長く一緒に居てくれて」と口を開いたとき、そこには美しさがありました。そして私は、この方の記憶はきっと花弁のように美しいのだと感じました。
同時に、私の脳裏にはこんなことが表象として現れました。
井上陽水さんの歌に「感謝知らずの女」というのがあります。彼女にダイヤモンドの指輪を送ったのですが、彼女は「ありがとう」の一言もなく、「もっと大きいのが欲しい」と言うのですね。そして「感謝知らずの女」と連呼します♪
なので私は、感謝について考察しました。
「ありがとう」という気持ちを持つことは、そこでそれ以上の欲を持たないことです。なので「ありがとう」と思った瞬間の美しい気持ちが、ずっと続くことになります。この詩が、これです。
でも、もしも「もっと何かほしい~」「もっと~したい」と思ったら、どうでしょうか。そこから感謝の気持ちは薄れていきます。つまり「ありがとう」と思った瞬間の美しさは消えていくのです。
「もっと~」という欲は、生きるモチベーションにもなり、新しい発見、新しい達成感、新しい道を拓きます。でも同時に、欲にまみれた、不満だらけの人生になってしまう可能性も孕んでいるようです。
つまり「もっと~」と思う時は、人生の岐路なのです。
私が介護士として働いている施設は「住宅型介護付有料老人ホーム」です。
自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方が住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。
【参考】

以下は、作品一覧です:ご一読頂けましたら幸いです。
読んでくださり、ありがとうございます。