【車止めで一息】
おじいちゃんの口から「おじいちゃん」1

老人ホームで暮らしている、お爺ちゃん、お婆ちゃんのこと、気になりませんか?

お爺ちゃんだって子供に戻るときがあるのです。その瞬間を伝えたく思い、これを書きました。
私は、介護士として、老人ホームで働いています。
そして、人々が老いていく様子のその中に、様々な人生模様を見る機会をいただいております。
介護/老人ホーム
私は、そこで見て感じた様々な人生模様を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。
なぜなら、「老人ホームではこんなことが起きているんだ」と知ることによって、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀を深める手助けになるだろうと思ったからです。
それは、おせっかいなことかもしれません。でも、老後の生き方を考える”ヒント”になるかもしれないのです。
伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。
詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。
(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。
【車止めで一息】
車止めで一息14
おじいちゃんの口から「おじいちゃん」1
脱衣場のCDラジカセにディスクをセットした。
トルコ行進曲だ。
数日前の入浴介助のときだった。
貴方様がボソボソと、呟くように教えてくれた。
「モーツアルトの行進曲を聴くと、元気がでるんです」
モーツアルトの? 行進曲?
「ピアノです。モーツアルトの、ピアノの行進曲がいいんです」
私は探した。
これしかない。
モーツアルト、ピアノのトルコ行進曲だ。
「〇〇様、モーツアルトの行進曲、探してきました。ピアノですよ」
ボリュームを上げた。
♬♬♬♪ ♬♬♬♪ ♬♬♬♬♪~
軽やかな音と音の連続は、
鍵盤を軽やかに叩く十本の指のダンスだ。
と・・・貴方様の顔が一瞬で晴れた。
貴方様の顔の皺が揺れるようにして波打った。
踊るように嬉しい笑顔の皺に変わった。
「これです、ありがとうございます」
重たかったのに、貴方様の顔は、
たった今、軽くなっている!
貴方様をリフト浴専用のチェアーに移乗。
脱衣介助・・・すると、
貴方様の伏し目がちな両目が動いた。
キュンキュンと上がる二つの瞼、黒い瞳が私を見た。
「六十才の時に、病気が、分かったんです」
六十才? 病気?
緊張したのは、私だ。
話したい気持ちが外へ向かっているのだろう。
私は、手を止めて黒い瞳を覗いた。
「何の病気だったんですか? 大変でしたね」
「今もです。治らないんです。パーキンソンは」
額、鼻、口のまわり、
顔中に滲み出てくる汗と油は、
貴方様の無念、一生の悔しさ。
両目は幕を降ろすように閉じていった。
見開いていたのに。
知ってほしかった? でも、言いたくはなかった?
しまった! 私は自責した。
脱衣介助を続ける、無言の行。
心の中で紐解く、入浴介助の基本。
確保すべきは安全安心。
追求すべきは心地よさ。
私は、CDラジカセをトルコ行進曲に戻した。
♬♬♬♪ ♬♬♬♪ ♬♬♬♬♪~
私は、話題を変えた。
「もうすぐ八月十五日ですけど、終戦の時は何処にいらしたんですか?」
「瀬戸内海です。疎開です。まだ小学生でした」
その瞬間だった。
瞼がキュンキュンと上がった。
垣間見えた黒い瞳の奥には、
何かしらの懇願。
それは何?
望郷?
思い出?
戻りたい?
それは、分からない。
分からないけれども、
今ここに、私と貴方様。
私は、瀬戸内海の地形図を思い描いた。
「瀬戸内海なんですね、蒼い海と碧い空を想像します」
「知っているんですか?」
その瞬間、
貴方様の顎が少し上がり、
貴方様の黒い瞳がはっきり光った。
「おじいちゃんが、よく、船に、乗せてくれました」
・・・おじいちゃん!
・・・おじいちゃんの口から、おじいちゃん!
それは新鮮な響き、新鮮な輝きだった。
貴方様は今、子供に戻って、
おじいちゃんと会っている!
大好きだったおじいちゃんと、会っている!

(画像はイメージです/出典:photoAC)
詩境

通常、老人ホームご利用者様の、入所前の生活状況や既往歴については、アセスメントシートを活用してスタッフ間で共有されます。それをおこなうのは管理職の職責です。
ただ、この時は、徹底されていませんでした。なので、この詩のように、現場のスタッフである私が、ご本人様の口から知るということが起きました。
私は、この頃、介護の仕事について間もない頃であり、現場に慣れるということが優先されていたのかもしれません。
私は、ご利用者様に必死で寄り添おうとしていました。私はトルコ行進曲のCDを中古品から探して購入しました。そのようなニーズは、本来ご家族様にお伝えして、ご家族様にご用意して頂くべきものですが、私がそのような流れを知ったのは、ずっと後になってからでした。
始めたばかりの仕事なのに、私の頭の片隅には、自分はこの仕事をいつ辞めるんだろう・・という考えが常にありました。でも同時に、目の前にいらっしゃる高齢者の方が心地よくなる為にはどうしたらいいんだろう・・という課題と必死に向き合う自分も居ました。
そのような状況の中、この詩のように、お爺ちゃんの口から「おじいちゃん」という言葉が飛び出しました。その時、このお爺ちゃんは、安堵感に包まれたような、とても柔和な表情になられたのです。私は感動しました。私の工夫と努力は、間違っていなかったんだと、嬉しく思いました。
その感動の瞬間を、誰かと共有したい、そう思ってこの詩を書きました。

実は、この出来事以来、私もモーツアルトのピアノ演奏のトルコ行進曲を好んで聴くようになりました。私も元気をいただいています。以下は私のおすすめです(3.05秒)
私が介護士として働いている施設は「住宅型介護付有料老人ホーム」です。
自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方が住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。
【参考】
★【前回公開した詩】「孤独」
☆【次に公開している詩】おじいちゃんの口から「おじいちゃん」2
介護の詩/おじいちゃんの口から「おじいちゃん」2/老人ホームでの息遣いと命の灯15/詩境
※作品一覧 : ご一読頂けましたら幸いです。
読んでくださり、ありがとうございます。