【車止めで一息】
面 会

老人ホームで暮らしている、お婆ちゃん、お爺ちゃんのこと、気になりませんか?

お誕生日に届くアレンジメントフラワー。「いつまでも元気でいてください」と書かれたメッセージカード。お部屋が明るくなります。
先日は、90才になるお爺ちゃんの所へ、大学生くらいのお孫さんが面会に訪れ、誕生日をお祝いしていました。そしてその時お孫さんは、お花と一緒に、家から持参したアルバムをお爺ちゃんに見せ、昔話にも花を添えていました。
「お爺ちゃん、歳とったね」と言うお孫さん。お爺ちゃんは苦笑していました。
その時の、そのお爺ちゃんの心境を、私はその方の日常の生活から紐解き、そして想像してみました。このお爺ちゃんなら、きっとこう思うだろう…と。
私は今、介護士として老人ホームで働いています。
施設は「住宅型介護付き有料老人ホーム」です。
自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方が住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。
介護/老人ホーム
私はそこで働きながら、人が老いて、そして他界していく様子のその中に、様々な「発見と再発見」を得る機会をいただいております。
そして私は、それらの「発見と再発見」を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。
なぜなら、
「ああ、老人ホームではこんなことが起きているんだ・・」と知ることによって、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀が深まると思ったからです。
そしてさらに、
これはおせっかいなことかもしれませんが、
介護をする方にとっても介護をされる方にとっても、
老後の生き方を考えるヒント….
それは人生の締めくくり方を考えるヒントに、
なるかもしれないと思ったからです。
伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。
詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。
(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。
【車止めで一息 】
口語自由詩
車止めで一息 69
面 会
大きくなったね。
小さかった君。
大人になったね。
幼かった君。
大きくなったね。
小さかった頃の君の面影を探す、私。
大人になったね。
幼かった頃の君の様子を走馬灯に映す、私。
大きくなったね。
私に指図をするなんて。
もう大丈夫だね。
ありがとう。
大人になってくれた君。
・ ・ ・ ・ ・
ベッドサイドで君はアルバムを見せてくれた。
「これ、僕の、小学校の運動会の時のだよ」
そして君は言った。
「写真のお爺ちゃん、若いなぁ・・・」
そしてさらに、
「お爺ちゃん、歳をとったね」
・ ・ ・ ・ ・
アハハハハ
おまえが成長したんだよ。
おまえもいつかは爺ちゃんのようになる。
それまで、
楽しむんだ、人生を。
生きるんだ、世の中を。
強く、強く、
勇気と知恵と、辛抱と努力で。
そして、
いつか言うだろう。
お爺ちゃん、死んじゃったね・・・って。
その時、
若いとか歳をとったとかは関係なくなる。
その時、
わたしは、
おまえの記憶の中で、
永遠だ。
(画像はイメージです/出典:photoAC)

詩境
詩 境
「いつまでも元気でいてください」
長寿祝いのメッセージによく使われます。この一文を最後に配置すれば、それだけで文章全体が整いますし、メッセージカードのように書き込むスペースが狭い場合には、この一文だけで成り立ちます。とても便利な言葉です。
英語で表現すると、
I hope you stay healthy and happy forever.
「いつまでも元気でいてください」というメッセージは、「いつまでも」=forever = 永遠 ・・・「永遠に元気で生きていて下さい」という願いです。
でも、現実は、いつまでも元気ではありえません。いつかは死んでしまいます。この世で死ななかった人はいないのです。
・・・つまり、「いつまでも元気」=「永遠」は、有りえないことなのです。
ならば、永遠とは単なる願望でしかないのでしょうか…?
それとも、
永遠とはどこか別の場所にあって、永遠を感じている誰かがいるのでしょうか?
もしも、
永遠が何処かにあるとしたら、それは何処なのでしょうか?
永遠を誰かが感じているとしたら、それは誰なのでしょうか?
*
誕生から死亡までという時間軸の中を生きている私達。死は必ずやってくるのであって、”いつまでも元気”でいられるはずはありません。
でも、もしもそこに”永遠”を見出そうとするのであれば、それは本人様が死んだ時なのでしょう。
なぜなら、死ぬことによって、残された人たちの記憶に、その人に関する記憶が残り、そしてその記憶は固定されるからです。
残された人たちの、その人に対する記憶は変わらないという意味において、つまり永遠です。その人の元気な姿は、残された人たちの記憶の中に永遠に残るのです。
つまり、おそらく、
”永遠というのは死後にあるものであり”
”永遠を感じるのは本人以外の人”
なのでしょう。
そう考えれば、当の本人にとって大事なことは「いつまでも元気でいたい」という欲望に追いかけられたり悩んだりするのではなく、「今を一生懸命に生きて、一生懸命に楽しむ」ことなのだと思います。
そして、残された家族や友人にとっては、故人が永遠の存在になるという理解によって、悲しみを少しでも和らげることができれば・・と思いす。
(画像はイメージです/出典:photoAC)

【参考】

以下は、作品一覧です:ご一読頂けましたら幸いです。
読んでくださり、ありがとうございます。