介護の詩/面会/老人ホームでの息遣いと命の灯69/詩境


【車止めで一息】

面 会

老人ホームで暮らしている、お婆ちゃん、お爺ちゃんのこと、気になりませんか?

先日は、90才になるお爺ちゃんの所へ、大学生くらいのお孫さんが面会に訪れ、誕生日をお祝いしていました。そしてその時お孫さんは、お花と一緒に、家から持参したアルバムをお爺ちゃんに見せ、昔話にも花を添えていました。

「お爺ちゃん、歳とったね」と言うお孫さん。お爺ちゃんは苦笑していました。

その時の、そのお爺ちゃんの心境を、私はその方の日常の生活から紐解き、そして想像してみました。このお爺ちゃんなら、きっとこう思うだろう…と。

私は今、介護士として老人ホームで働いています。

施設は「住宅型介護付き有料老人ホーム」です。

自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方が住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。

介護/老人ホーム

私はそこで働きながら、人が老いて、そして他界していく様子のその中に、様々な「発見と再発見」を得る機会をいただいております。

そして私は、それらの「発見と再発見」を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。

なぜなら、

「ああ、老人ホームではこんなことが起きているんだ・・」と知ることによって、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀が深まると思ったからです。

そしてさらに、

これはおせっかいなことかもしれませんが、

介護をする方にとっても介護をされる方にとっても、

老後の生き方を考えるヒント….

それは人生の締めくくり方を考えるヒントに、

なるかもしれないと思ったからです。

伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。

詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。

口語自由詩

車止めで一息 69

面 会

大きくなったね。

小さかった君。

大人になったね。

幼かった君。

大きくなったね。

小さかった頃の君の面影を探す、私。

大人になったね。

幼かった頃の君の様子を走馬灯に映す、私。

大きくなったね。

私に指図をするなんて。

もう大丈夫だね。

ありがとう。

大人になってくれた君。

・ ・ ・ ・ ・

ベッドサイドで君はアルバムを見せてくれた。

「これ、僕の、小学校の運動会の時のだよ」

そして君は言った。

「写真のお爺ちゃん、若いなぁ・・・」

そしてさらに、

「お爺ちゃん、歳をとったね」

・ ・ ・ ・ ・

アハハハハ

おまえが成長したんだよ。

おまえもいつかは爺ちゃんのようになる。

それまで、

楽しむんだ、人生を。

生きるんだ、世の中を。

強く、強く、

勇気と知恵と、辛抱と努力で。

そして、

いつか言うだろう。

お爺ちゃん、死んじゃったね・・・って。

その時、

若いとか歳をとったとかは関係なくなる。

その時、

わたしは、

おまえの記憶の中で、

永遠だ。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

詩 境

「いつまでも元気でいてください」

長寿祝いのメッセージによく使われます。この一文を最後に配置すれば、それだけで文章全体が整いますし、メッセージカードのように書き込むスペースが狭い場合には、この一文だけで成り立ちます。とても便利な言葉です。

英語で表現すると、

I hope you stay healthy and happy forever.

「いつまでも元気でいてください」というメッセージは、「いつまでも」=forever = 永遠 ・・・「永遠に元気で生きていて下さい」という願いです。

・・・つまり、「いつまでも元気」=「永遠」は、有りえないことなのです。

ならば、永遠とは単なる願望でしかないのでしょうか…?

それとも、

もしも、

永遠が何処かにあるとしたら、それは何処なのでしょうか?

永遠を誰かが感じているとしたら、それは誰なのでしょうか?

誕生から死亡までという時間軸の中を生きている私達。死は必ずやってくるのであって、”いつまでも元気”でいられるはずはありません。

でも、もしもそこに”永遠”を見出そうとするのであれば、それは本人様が死んだ時なのでしょう。

なぜなら、死ぬことによって、残された人たちの記憶に、その人に関する記憶が残り、そしてその記憶は固定されるからです。

残された人たちの、その人に対する記憶は変わらないという意味において、つまり永遠です。その人の元気な姿は、残された人たちの記憶の中に永遠に残るのです。

つまり、おそらく、

”永遠というのは死後にあるものであり”

”永遠を感じるのは本人以外の人”

なのでしょう。

そう考えれば、当の本人にとって大事なことは「いつまでも元気でいたい」という欲望に追いかけられたり悩んだりするのではなく、「今を一生懸命に生きて、一生懸命に楽しむ」ことなのだと思います。

そして、残された家族や友人にとっては、故人が永遠の存在になるという理解によって、悲しみを少しでも和らげることができれば・・と思いす。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

【参考】

介護の詩/車止めで一息/老人ホームでの息遣いと命の灯

読んでくださり、ありがとうございます。