介護の詩/そろりそろそろそろそろり/老人ホームでの息遣いと命の灯42/詩境


【車止めで一息】

そろりそろそろそろそろり

老人ホームで暮らしている、お爺ちゃん、お婆ちゃんのこと、気になりませんか? 

お年寄りの歩行の様子に「よちよち」という形容があります。私はこういう見方が虐待を生む見えない温床だと思っています。介護業界に改善を望みたいです。

私は、介護士として、老人ホームで働いています。

そして、年老いた人がこの世を去っていく、その様子の中に、様々な人生模様を見る機会を頂いております。

介護/老人ホーム

私は、そこで見て感じた様々な人生模様を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。

なぜなら、「老人ホームではこんなことが起きているんだ」と知ることによって、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀を深める手助けになるだろうと思ったからです。

それは、おせっかいなことかもしれません。でも、”老後の生き方を考えるヒント” になるかもしれないのです。

伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。

詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。

【車止めで一息】

〔口語自由詩〕

車止めで一息42

そろりそろそろそろそろり

赤子が成長していく。

はいはいする。

つかまり立ちをする・・・そして始まる、

よちよち歩き。

親は満面の笑顔。

よちよちは嬉しい。

よちよちに心は踊る。

よちよちに溢れている・・・それは、

明日への希望だ。

人が衰えていく。

よろよろする。

つかまりながら歩く・・・そして始まる、

よちよち歩き。

子供は不安で心配顔。

よちよちは心許ない。

よちよちに心は沈む。

よちよちに詰まっている・・・それは、

明日への不安だ。

何十年も生きてこられた人生の大先輩に、

でも、よちよちは違うだろう。

それでは幼児扱いだ。

幼児に戻るわけではない。

ただ、年をとったのだ。

人生の大先輩なのだから幼児ではない。

人生経験豊富な高齢者の方々に、

でも、よちよちは違うだろう。

それでは幼児扱いだ。

幼児に戻るわけではない。

ただ、年をとったのだ。

人生経験は豊富なのだから幼児ではない。

人生の大先輩に相応しい形容を使おう。

人生経験豊富な高齢者に相応しい言い方を探そう。

たとえば、

ゆっくり、ゆっくり・・・

たとえば、

そろり、そろり・・・

人生の大先輩は、

自由に脚を上げられない自分を知っている。

だから、歩き方は緩慢なのだ。

人生経験豊富な高齢者は、

路傍の石に躓く自分を知っている。

だから、歩く時は慎重なのだ。

今日も歩く人生の大先輩。

その歩き方は、

ゆっくり ゆっくり ゆるゆるり・・・

今日も歩く人生経験豊富な高齢者、

その歩き方は、

そろりそろそろ そろそろり・・・

画像はイメージです/出典:photoAC)

あきら

世間では「よちよち歩く」….「よちよち」という擬態語が高齢者の歩く様子に使われています。私が受講した、介護士の資格を取得する講習でも使われていました。そして私が働く現場でも、ときどき耳にします。

高齢者の歩く様子に「よちよち」を使うことに、私は反対です。

なぜなら、「よちよち」を使うその心理の中には、「幼児のよちよち歩きを見守るつもり」のような、上から見るような感覚が見え隠れするからです。これは、介護資格取得時の講習では感じませんでしたが、現場に入ってから私が肌で感じていることです。

介護では時々虐待のことがニュースになったりしますが、虐待にもしも虐待を許してしまう”心の緩み”があるとしたら、それは「よちよち」のような幼児語を高齢者に使う傲慢さが介護現場にあるからなのかもしれません。

私が介護士として働いている施設は「住宅型介護付有料老人ホーム」です。

自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方、各々が住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。

【参考】

介護の詩/車止めで一息/老人ホームでの息遣いと命の灯

読んでくださり、ありがとうございます。