介護の詩|人生を抱きしめて|認知症高齢者介助時の指針|詩境


※この頁では老人ホームでの出来事を、そこで働いている介護士が口語自由詩にてお伝えしています。

【車止めで一息86】

人生を抱きしめて

(画像はイメージです/出典:photoAC)

老人ホームで暮らす、お婆ちゃんお爺ちゃんのこと、

気になりませんか? 

少しだけでもいいので気にしてみて下さい。

それは、人生最期の自分の姿…なのかもしれません。

老人ホームではスタッフへの指導のひとつとして「お客様が元気なうちにしっかりとコミュニケーションをとって、いい関係を築いておきなさい」という教育があります。確かに、ご入居者様がお元気なときにいい関係を作っておくと、その後の介助はやりやすくなります。

たとえば、入居時は認知症を発症していなかったけれども、その後に発症してしまったり、入居時の認知症の症状やADLの低下の程度について、それらは軽微なものであっても、加齢に伴い急に進んでしまった場合。

ご入居者様のお元気なときにいい関係を作っておくと、ご入居者様をその時のご様子だけではなく”人生の時間軸の中の今”という理解で介助することが容易になります。これは、上手な介護の実践にとって大事な助けになります。

なぜなら、”以前を知っていることにより”介助する側の心理に冷静さと余裕が生まれるからです。そういう意味で、前回も紹介しました”フェイスシート”は重要な役割をもっています。ただ、フェイスシートは文字情報です。体験には及びません。

私はここに登場する方と一緒に、その方の認知症がまだ進む前、車椅子で(店の前まで車)街のカラオケルームに行くという体験をさせて頂きました。その体験が、その後のこの方への介助において、心理的にとても大きな助けになってくれたのです。この方の認知症は進んでしまいましたが、この口語自由詩の最後の三行を介助の指針として、他のご入居者様も含めて私は実践しております。

<街のカラオケルームへの同行>

私の勤務先の老人ホームが、独自で行っているサポートサービスとして行いました。サポートサービスは利用者様のご要望に応じて承っていますが、介護保険の適用外なので費用は実費となります。多くは、買い物/散歩などが多いです。スタッフは安全安心を軸に、傾聴に心掛け、ご利用者様がリラックスできるように努めます。/

老人ホームを選択する時、その有無や費用などについて確認をしておきましょう。

人生を抱きしめて 】

車止めで一息 86

人生を抱きしめて

あの日、あの時、

あなた様は歌っていた。

やさしい笑顔で、

うれしい笑顔を見せて、

たのしい笑顔をふりまきながら、

あなた様は心を躍らせながら歌っていた。

♪楽しい夢のような

♪あの頃を思い出せば

♪サン・トワ・マミー

♪悲しくて目の前が暗くなる

♪サン・トワ・マミー

今日、今、この時、

あなた様は歌わない歌えない。

あの頃を思い出すこともなければ、

悲しくて目の前が暗くなることもない。

悲しいかな、

進めばそこは砂漠。

感情は残っているけれども形はない。

ただ、心地よいとか心地よくないとか、

ただ、それだけだ。

あの日あの時、

あなた様は呟いた。

あ~あ、あの頃に戻りたいなぁ・・

その気持ち、

記憶の何処かに隠れていることを信じて、

私はあなた様の人生を全部抱きしめるつもりで、

最期まで介助させていただきます。

(イラストはイメージです/出典:photoAC)

【 詩 境 】

詩 境

<ケア対策と人生ノートの充実>

認知症の方をケアするとき、認知症でなくともケアに困難さを伴うとき、必要に応じてその方の「人生ノート」を作ります。スタッフ全員からご本人様に関する情報を収集して、フェイスシートをさらに充実させるのです。ご本人様が発信する情報は、ケアするスタッフによって異なる場合が多々あるからです。

ご家族様の協力が得られる場合、私の経験では、ご本人様が書かれていた育児日記を読ませて頂いたことがあります。その方にどのような過去があり、どのような思考をされていたのか、どのような行動パターンを有していたのか…などを知ることにより、その方にそれまで以上の親近感を感じ、ケアにいっそうの愛情を傾けることができました。

ただ、それらは言葉での理解です。同じ時間、同じ場所で見ていたわけではありません。

でも、この口語自由詩の事例のように、一緒にカラオケルームへ行き、その方の歌声を聴いていたこと、その方の笑顔を見ていたという体験は、私の五感に響くものがあり、私にとって何よりも介助の支えになりました。

<再び、サン・トア・マミー>

ある日の晩、TVの懐メロ特集でサン・トワ・マミーが流れていました。私は歌詞を追いながら、勤務先の老人ホームのあの方がカラオケで歌っていたことを思い出していました。

そして翌日、朝食の時間。配膳を待っているあなた様。あなた様のお顔を見た私の脳裏に、サン・トワ・マミーが流れました。そしてそのとき、気が付いたのです。

「♪悲しくて目の前が暗くなる♪♪淋しくて目の前が暗くなる♪…と歌いながら、生きていれば、また恋はできるじゃあないか。そこには希望がある。・・でも、〇〇様には、もうそのような希望は無いのだ…ああ、なんということだろう!」

あの頃に戻りたいとおっしゃっていた、あなた様。

あなた様の人生の最期まであと少し、きちんと最期まで心地よい介助を心掛け、きちんと最期までお付き合いさせていただきます。私はそう思いました。

サン・トア・マミー」Wikipedia 参照

原曲はベルギーの歌手アダモの楽曲。日本語訳を越路吹雪さんが歌って有名になりました。RCサクセッションの忌野清志郎さんは、歌詞を少し変えてノリノリで歌っていますね。

・忌野清志郎さんの”サン・トア・マミー”

・日本で紹介された「サン・トア・マミー」、越路吹雪さんのリリースでは「愛しているのに」というサブタイトルがついていますが、「あなたなしでは」という意味だそうです。

「サン・トア・マミー」の歌詞は、恋は終わってしまったけれども、あなたが恋しい、私は悲しい…私は寂しい…私はあなたなしでは生きられない…という意味のようですね。

この歌詞、恋が終わったことで頼るものが無くなり、自己の存在を確認しようとされているように思います。だとしたら、”終わりは始まりの印”を意識下に持っているのかもしれません・・それは希望の芽です。そう解釈すると、恋は終わった~悲しい寂しい…そう思えることは、実は幸せなことなのかもしれません。人生、失恋しているうちが華なのかも…。

これを書いていて、そんなことを思いました。

(イラストはイメージです/出典:photoAC)

今までの作品一覧

以下にございます。

介護の詩/老人ホームで暮らす高齢者の様子/「車止めで一息」/詩境

明日の自分が、そこにいるかもしれません。

お読みいただければ幸いでございます。