春望/杜甫/色彩を味わい楽しめる漢詩の「鑑賞方法」


漢詩の中に見え隠れする色

前頁に続いて、漢詩中に表現されている色、直接表現はされていないけれども見え隠れする色、それらの色によってもたらされる表象の広がりについて解説したいと思います。

前頁では、杜甫の〔絶句〕を取り上げました。〔漢詩の中の色/杜甫①〔絶句〕〕

今回は、同じ杜甫の、教科書の定番と言ってもいいのではないでしょうか、〔春望〕を取り上げてみたいと思います。よく知られているこの詩の中に、実は、こんなにも色が隠されていることを知っていただければ、この詩の味わいはさらに深められるのではないかと思います。

【 春 望 】

杜甫が生きた時代は、いわゆる唐(618~709年)の黄金期で盛唐(712~765年)と呼ばれていますが、杜甫が熟年になる頃には、安禄山の乱(安史の乱755~)が始まり、763年まで続く戦乱の世でもありました。

それらを含めて、杜甫は「戦乱で街々は破壊されてしまっても、山河は昔と変わらず残っている。荒廃した城には草木が生い茂っている。・・・戦争はまだまだ続いていて、家書(家族からの手紙)は万金に値するくらい貴重なものだ。気が付けば、頭の毛は短い白髪になってしまって、冠をとめる簪(かんざし)も刺せなさそうだ・・・(悲しいなあ)」と詩にしました。

〔恨む=悲しむ〕〔三月=3ヶ月又は長い期間〕〔烽火=戦火〕

(漢詩ですが横書きにしています。左から読んで下さいませ)

国 破 山 河 在

城 春 草 木 深

感 時 花 濺 涙

恨 別 鳥 驚 心

烽 火 連 三 月

家 書 抵 万 金

白 頭 掻 更 短

渾 欲 不 勝 簪

国破れて山河在り

城春にして草木深し

時に感じては 花にも涙を濺ぎ(そそぎ)

別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす

烽火三月に連なり

家書万金に抵る

白頭掻けば更に短く

渾べて簪に勝えざらんと欲す

【解説:意訳】

山河あり/春にして草木深し ・・・緑、新緑の瑞々しい緑。

国が栄え、文化が発展し、人々が行きかう街の姿は、色とりどりのカラフルな色に包まれています。その色は人の手によって選ばれ配色された、云わば人工的な色の集まりです。その対比として、自然の中の緑、国が滅びても変わらない緑が強調されています。

戦乱で街々は破壊されたけど、自然は昔のまま残っている。私達は、時に、争いの中から作り上げてきたものを自慢したりするけれど、自然にとっては取るに足らないものなのだよ、という意味なのかもしれません。

時に感じては 花にも涙を濺ぎ・・・色々な花の色が想像できますね。

こんなに美しくて、心を和ませる花があるのに・・・、この戦乱を思うと・・・私は悲しくなって涙が流れてしまいます。

読む人が自由にいろいろな花の色を思うことで、この句は成り立ちます。

別れをんでは 鳥にも心を驚かす・・鳥の色を想像してみて下さい。

家族や友人と別れなければならないのは、とても辛くて悲しいことです。そんな時には、鳥が飛んできて梢に止まったり、鳥が鳴いたり、それだけのことにもハッと驚いたりして心臓の鼓動が激しくなります。心は悲しみと苦しさにいっぱいで、いつもびくびくしているのです。悲しいことです。

本当は、その美しい姿、その美しい鳴声を味わえるはずなのに・・・。

烽火三月に連なり・・・土煙色や火の色が思い起こされます。

この「三月」は、もう3ヶ月も続いている、又は長い期間、どちらにも解釈できます。

山の上に登って戦の続いている方角を眺め見れば、いつも戦火の煙が上がっている。それが、青空の下であったり、青青とした緑の山の向うのことであったり、それらの対比まで想像すると、余計に戦乱の辛さが身に染みてきます。

:同じ時代に生きた李白の〔子夜呉歌〕には、「何日平胡虜 良人罷遠征」(何れの日か、胡虜を平らげて、良人遠征を罷めん)・・・いつの日か胡との戦に勝って、夫が長い戦から帰ってきて欲しい・・・、という詩があります。みんな同じ、戦争を嫌っています。なのに、戦争を続けている・・・理不尽なことですね。

烽火三月に連なり」は、そのような戦争の辛さや理不尽さを凝縮させている一行です。色としては「烽火」から、土煙色や火の色、焼け焦げた残骸などの黒っぽい色、無残な色が連想されます。

家書万金に抵る・・・金色です。

前の行の「烽火」という無残な色の連想から、一気に金色への昇華です。戦乱の世においては、家族からの手紙は金色に輝く宝物なのです。

ここまで振り返ってみると、

冒頭の緑 ⇒ 花の色 ⇒ 鳥の色 ⇒ 戦さの色 ⇒ そして金色・・・と続いています。

そして、金色という尊い色を持ってきておいて・・・最後は、

白頭掻けば更に短く・・・白です。

白は、何もない色です。

何もない・・・つまり、国も破れて、街々は破壊されて、今では何もない・・・、ただただ、自然だけが生き続けている。

さらに、

渾べて簪に勝えざらん・・・役に立たなくなるという意味から無色です。

戦乱に追われ、戦乱の中に生き、気がついたら、この短い白髪頭。これでは、冠を止める簪(かんざし)さえも使えない・・・。

人の営みの、特に戦争というものの、その空しさが、ここに感じられます。

そして、その空しさは、冒頭の「国 破 山 河 在」につながります。

そういう意味では、この〔春望〕、最後に一行「国 破 山 河 在」を付け加えると、全体の輪郭がもっと太くなり、ダイナミックさが増すのかもしれません。

緑や花の色などのカラフルな色を前半に持ってきて、そして戦火~、火の色~、金色~、そして白色・・・、無色・・・、そういった色の流れが、この詩の味わいを、気がつかないところで深めてくれているように思えます。

そして、最後の「渾べて簪に勝えざらんと欲す」から冒頭の「国破れて山河在り」へ戻って読めるということは、この詩は循環詩なのかもしれません。

・・・だとするならば、この詩に散りばめられた色は、前後左右なく、カラフルにこの詩全体を彩っているように思えます。

自然はいつも美しくあり、

黙って私達の営みを見続けているのですね。

次は杜甫と同じ時代に生きた”李白”の詩について、色を探り、色を味わってみたいと思います。 〔参考:漢詩の色/李白①〔静夜の思い〕〕

【教科書で学んだ懐かしい詩歌】の総合目次は、以下にございます。

ご一読いただければ、幸いです。

「教科書で学んだ懐かしい詩歌」

読んでくださり、ありがとうございました。

明日もいい日でありますように。