百人一首には月を詠んだ和歌が11首あります。
そのひとつひとつを味わい、空に浮かぶ月に「何かの意味」を見出そうとした詠み人の、その心の有り様に触れてみたいと思います。
今日は、その7首目です。(写真は和歌から連想したイメージです。出典:photoAC)
今来むと
いひしばかりに 長月の
有明の月を 待ち出でつるかな
昨日ご紹介した「ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる」と同じように、下の句に「有明の月」を詠んでいます。
「有明の月」は、夜が明けても、まだ空に残っている月のことで、「有明の月」は満月を過ぎていることもイメージの中に置いておいてください。
その「有明の月」を修飾しているのは「長月の」・・・。
「長月」といえば、学校の教科書に出てくる”旧暦1月~12月の呼び方” の9月に当たります。
【旧暦1月~12月の呼び方】
睦月/むつき(1月)、如月/きさらぎ(2月)、弥生/やよい(3月)、
卯月/うつき(4月)、皐月/さつき(5月)、水無月/みなづき(6月)、
文月/ふみつき(7月)、葉月/はづき(8月)、長月/ながつき(9月)、
神無月/かんなづき(10月)、霜月/しもつき(11月)、師走/しわす(12月)。
今日は、いきなり【意訳】から入ってみましょう。
【意訳】Free translation
今来るって、あなたは言ったじゃあない!
あなたが、今来るって言ったばかりに・・・
わたしは、わたしは、ずっと、ずっと、待ち続けていたのよ!
今、何月だと思っているの!
9月よ! 9月はね、長月っていって、夜が長いのよ。
毎日毎日、あなたが来るのを待ちくたびれて、さらに、こんなに長い夜を、
わたしは、ひとりで過ごさないといけないのよ!
・・・・・
朝になっても、まだお月様は、空の上にいるわ。
でもね、もう満月じゃあない・・・有明の月だからね。
あなたを一生懸命に待ち続けていた頃のように、
煌々と輝く満月は、もう昔のこと・・・もう限界。
わたしの心も、欠けてしまったわ。
「待ち続けて長月、待ち続けて有明の月」・・・あなたに分かる? この意味が。
さあ、早く朝が来て、
中途半端なお月様を見たら、
わたしは、あなたを忘れるわ。
【解説】
【意訳】は、めちゃくちゃ楽しんでみました。
この解釈を学校の試験で書いたら不正解になるでしょう。学校の試験は、意訳のような詩歌を楽しむ心を許してはくれません。
でも、わたしは、例えばこのような意訳をイメージしてみること、これこそが詩歌を味わう楽しみ方なのだと、私は常々思っています。
数多くの解説書には、以下のように書かれています。
「これは、恋の歌です」
「日本の中世では、夜に男が女性の家通い、愛を確かめ合うという「通婚」という慣習がありました。このことを念頭において読んでみましょう」
「今すぐに行くって、貴方は言ったのよ。そう私に言ったばかりに、私は貴方の言葉を信じて待っていたの。でも、貴方は来なかった。空には、もう有明の月が見える頃だわ」
などのように説明や解釈がなされています。
それは間違いではありません。
でも、たとえば、
「今来むと」を、
就職時の内定通知であるとか、
彼女/彼からの大事なメールの返信であるとか、
「来月帰るよ」と連絡のあった遠く離れて暮らす息子や娘とか、
コロナの陰性か陽性かの連絡待ちであるとか、
・・・いろいろな事情を当てはめてみると、
「今来むと」の対象は異なるけれども、
「待ちわびているうちに朝になってしまった、あ~あ・・・」という感情を、
共感しあえるのではないかと思います。
そのような楽しみ方を、この和歌は有しています。
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☆【百人一首に関する記事の目次は、以下にございます】
ご一読、お願いいたします。
百人一首/意訳で楽しむ/恋、人生・世の中、季節・花、名月など
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