介護の詩/かくれんぼ/老人ホームでの息遣いと命の灯47/詩境


【車止めで一息】

かくれんぼ

老人ホームで暮らしている、お爺ちゃん、お婆ちゃんのこと、気になりませんか? 

私が認知症の方を介助するときは、人間の基本的な欲求(マズローの五段階欲求説)を頭に描き、その方が何を求めているのかを探りながら寄り添います。この度は、ほんの一瞬でしたが、上手くいって、ハッピーな時間が流れました。

私は、介護士として、老人ホームで働いています。

そして、年老いた人がこの世を去っていく、その様子の中に、様々な人生模様を見る機会を頂いております。

介護/老人ホーム

私は、そこで見て感じた様々な人生模様を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。

なぜなら、「老人ホームではこんなことが起きているんだ」と知ることによって、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀を深める手助けになるだろうと思ったからです。

それは、おせっかいなことかもしれません。でも、”老後の生き方を考えるヒント” になるかもしれないのです。

伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。

詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。

【車止めで一息】

〔口語自由詩〕

車止めで一息47

かくれんぼ

わたしはあなた様と顔を合わせた。

あなた様の経歴・・・・・

あなた様の病歴・・・・・

あなた様の趣味・・・・・

わたしはあなた様の記憶を探った。

でも、

あなた様の記憶の欠片はかくれんぼが好き。

もういいーかい?・・・でも、

あなた様の記憶の欠片は隠れたまま、

呼ばれても返事をしない。

自分が隠れていることを、

忘れてしまっている。

おーい・・・

あなた様の記憶の欠片はかくれんぼが好き。

もういいーかい?

もういいよ・・・ほんのたまに、

ひょっこり出てきて、

わたしはここにいるよと、口走る・・・けれども、

離れ離れになった記憶の欠片はつじつまが合わない、

バラバラになったジグソーパズル。

頓珍漢・・・

わたしはあなた様の記憶を探った。

あなた様の趣味・・・麻雀。

わたしは日をおいて何度も試みた。

揃えた十三個の麻雀牌を両手でつかむ格好。

視覚に訴えるわたし。

そして、

聴覚にも訴えた。

「トン、ナン、シャー、ペイ、ハク、ハツ、チュン、ロン!」

・・・・・

その時、

その瞬間だった。

あなた様は両手を持ち上げ、

あなた様は麻雀牌をつかむ格好をしたのだ。

そして、

あなた様は、

ニコニコっとひと笑い。

あなた様の記憶の欠片がひとつ。

あなた様の脳内の、

記憶のひだひだの隙間から、

ひょっこり落ちて顔を見せてくれたのだ。

あなた様の記憶の欠片はかくれんぼが好き。

もういいーかい?

まーだだよ。

ほとんどの記憶の欠片は、

何処かに隠れたまま・・・やがて、

わけのわからないうちに、

溶けて無くなっていく。

それでもなお、

ほんのたまにひょっこりと、

顔を見せてくれる記憶の欠片も、

ときにはある。

そんなとき、

あなた様の表情はとてもハッピー。

かくれんぼをしていて、

見つかってしまったのに。

画像はイメージです/出典:photoAC)

あきら

認知症の方と接するとき、私は次の事柄を念頭においています。

人間の基本的欲求です。

①食欲/排泄(生理的欲求)

②身を守る欲求(安全安心欲求)

③誰かに何処かに所属していたい(社会的所属欲求)

④分かってほしい(承認欲求)

⑤何かに満足したい….(自己実現欲求)

これ、そうなんです、あの有名な マズローの五段階欲求説です。

たとえ認知症になったとしても、これら人間の基本的欲求は行動となって表れます。介護にあたるスタッフは、”認知症の方の欲求は認知症でない人と同じ”…..この当たり前のことを改めて認識する必要があると、私は思っています。

①お腹が空けば何かを口に入れようとします(洗剤など目に付く所へは置けません)。排泄の欲求があればトイレを探します(見つからないと、何処か隠れた所で排泄してしまう時もあります)。【生理的欲求を満たそうとする】

②更衣介助、入浴介助では、身体に触られたり裸になったりすることに身の危険を感じるのでしょうか….拒否される場合が多々あります。私の経験ですが、入浴介助で「俺をこの水の中に入れるつもりか!」と怒鳴られ入浴を拒否されたことがあります。本人は身の危険を感じたのでしょう。【安全安心を確保しようとする】

③入居当初は特に帰宅願望が強く出ます。それは、自宅や家族に居たほうが(所属していた方が)老人ホームに居るよりも(所属しているよりも)安心だと感じているからでしょう。当然の欲求だと思います。【何かに何処かに所属していたい欲求】

④認知症が進むと、何か喋っているのですが、言葉になっておらず、何を言っているのか分からない場合が多いです。時々、合間合間にはっきりした単語が発せられることもあるので、スタッフはそれを頼りに ”その方の言いたいこと” を想像してコミュニケーションを探ります。こういう場合、本人様は〔伝えたいことがある〕〔分かってほしい〕という発信をしています。独り言のように聞こえても、それは〔わたしのことを分かってほしい〕という欲求なのです。【承認欲求】

⑤五番目は、マズローの五段階欲求説では【自己実現】に当たるところですが、この部分について、認知症の方が欲求としてどのような発信をされているのか・・・今のところ、私は体験できていません。

 ただ、おそらく、承認欲求を満たしてさしあげることで、心は満たされるのではないかな….と、今のところは思っています。

そして、その方の心は緩みます。心と心で打ち解けられるのです。すると、記憶の欠片が、ひょっこりと顔を出してくれることもあるのです。

上記の作品「かくれんぼ」は、そんなことを日常的に考えながら介護に取り組んでいる私が、実際に経験した話を素材にして書いてみました。

私が介護士として働いている施設は「住宅型介護付有料老人ホーム」です。

自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方、各々が住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。

【参考】

介護の詩/車止めで一息/老人ホームでの息遣いと命の灯

読んでくださり、ありがとうございます。