
介護の詩|老人ホームの暮らし|高齢者の生活の様子と命の灯|詩境
老人ホームには、ニーズに合わせた、いろいろな特徴を持った施設があります。選ぶときには、各々の施設の何がどのように異なるのかを、きちんと調べることが求められます。その意識、及び準備のきかっけになればいいなと思い、老人ホーム内での一番面を垣間見るような形で、自由詩にまとめました。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
老人ホームには、ニーズに合わせた、いろいろな特徴を持った施設があります。選ぶときには、各々の施設の何がどのように異なるのかを、きちんと調べることが求められます。その意識、及び準備のきかっけになればいいなと思い、老人ホーム内での一番面を垣間見るような形で、自由詩にまとめました。
介護の仕事に対して「大変でしょう」「体力いるよね」という言い方をよくされます。どんな仕事でもその大変さはそれぞれにあります。介護の仕事で大変だなと思うのは、例えば排泄介助の大変さではなく、実は、その人の心にいかに寄り添っていけるのか...ということなのです。そこが一番難しい。その為に必要なことを、ここに記しました。
一人で食べれないことはないけれども、食事介助をすれば沢山召し上がれるという場合、食介は自立を妨げる過剰サービスになるのでしょうか?どうせそのうち食介が必要になるのだから、気が付いた時から始めればいいという判断は乱暴でしょうか。満腹感ほど幸せなものはないと思う私は、いつも手助けをしてしまいます。その様子を言葉にしました。
私が最初に勤めたのは「住宅型」ではなく、要介護度の高い方がご入居されている老人ホームでした。そこには、終末期、入浴できない状態になってしまったご入居者様もいらっしゃいました。入浴できない場合は、身体を清潔に保つ方法として「清拭(せいしき)」をおこないます。身体を拭くのです。その時の経験を言葉にしました。
仕事の本質を語る時には、その仕事の What? How? Why?「何を?、どのように?、なぜ?」という問いにきちんと答えることが大事です。でも、介護の仕事の場合は、表面的な「きつい」「汚い」「危険」ばかりが取り沙汰されていて、最も大事なことを見失いがちです。介護の仕事の大事な事を、私自身の経験の中から探ってみました。
先日は、歩行器を使ってトボトボ歩くお婆ちゃんが「順送りだから、しかたがないか...」と口にされていました。私は、久しぶりに耳にする「順送り」という言葉に昔を思い出し、感慨深くなりました。同時に、どうせ死んでいくのなら、順番なんか関係ないのに...とも思いました。この作品は、その時の、私の心の動きを言葉にしたものです。
その方は、自分の葬儀の段取りを、度々話してくださいました。そのプランは、「虹の彼方に(オーバー・ザ・レインボウ)」で困難を排除して夢を追い続け、ビートルズの「オブラディ・オブラダ」で「生き続けろ」と勇気を与えてくださるものでした。最期まで凛とされたいた貴方様、ありがとうございました。
認知症の貴女様はリハパン(リハビリパンツ)を手にして「あら、いい帽子になるわね」とリハパンを頭に被りました。驚いたのは私。私が初めてのケアに入った時のことでした。でも、ご家族がお化粧道具を用意したら、貴女様は目覚めました。お化粧に関してだけは認知機能は正しく働くのです。お化粧は貴女様にとって、人生の華だでした。
私の勤務する住宅型介護付老人ホームには、自立の方も沢山いらっしゃいます。いよいよ介護が必要になった時に慌てなくて済むようにとの深慮遠謀からです。そんな中、元数学教師のお爺ちゃんが、微分と積分を人生になぞらえて教えて下さいました。それは人生の羅針盤。私は傾聴し勉強になりました。とても和んだホッとした時間でした。
〔前作品「死前喘鳴・大涅槃図」の 続きです。奥様のお骨箱は残された夫の隣に置かれました〕:ご夫婦で老人ホームに暮らしていても、人生の無常はどちらかを先に旅立たせます。この作品は、先にご逝去された奥様による、老人ホームに独り残された認知症の夫へのラブレターです。事実を素材にして、他界された奥様の視座に立って書きました。