
介護の詩|人生は微分と積分|老人ホームで暮らす高齢者の様子|詩境
私の勤務する住宅型介護付老人ホームには、自立の方も沢山いらっしゃいます。いよいよ介護が必要になった時に慌てなくて済むようにとの深慮遠謀からです。そんな中、元数学教師のお爺ちゃんが、微分と積分を人生になぞらえて教えて下さいました。それは人生の羅針盤。私は傾聴し勉強になりました。とても和んだホッとした時間でした。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
私の勤務する住宅型介護付老人ホームには、自立の方も沢山いらっしゃいます。いよいよ介護が必要になった時に慌てなくて済むようにとの深慮遠謀からです。そんな中、元数学教師のお爺ちゃんが、微分と積分を人生になぞらえて教えて下さいました。それは人生の羅針盤。私は傾聴し勉強になりました。とても和んだホッとした時間でした。
〔前作品「死前喘鳴・大涅槃図」の 続きです。奥様のお骨箱は残された夫の隣に置かれました〕:ご夫婦で老人ホームに暮らしていても、人生の無常はどちらかを先に旅立たせます。この作品は、先にご逝去された奥様による、老人ホームに独り残された認知症の夫へのラブレターです。事実を素材にして、他界された奥様の視座に立って書きました。
ご夫婦で住まわれていて奥様が先にご逝去されました。看取り介護の最後の日の出来事です。それは死前喘鳴から始まりました。この作品では、視座をご本人様とスタッフである私と、ブロック毎交互に置きました。ご本人様の部分は事実を元にした私の想像、他はノンフィクションです。ご本人様を取り囲むご様子は、まるで大涅槃図のようでした。
自立の方が転倒をきっかけに自立を喪失していく場合があります。転倒→入院→ADLの低下→車椅子。中には認知機能低下の事例もあります。家族はショックです。そんな時、老人ホームは役に立ちます。老人ホームは自宅介護では困難なことにも対応してくれる終の棲家だからです。車止め、どん詰まりですが一息入れられる場所でもあります。
入浴介助を、一度は拒否されても、スタッフを代えることにより拒否はなくなる場合があります。ご入居者様も人の子。その時々の異なる気分や好き嫌い、コミュニケーションの相性があるからです。この作品は入浴介助のスタッフが女性に交代したら、とたんに元気になったお爺ちゃんの話です。
ほとんとの時間をベッドに横になり眠っているように見えている方でも、脳は覚醒している場合が多々あります。つまり、眠っているように見えていても、”声をかける” ”手を握る” ”身体をさする” など、その方の聴覚と触覚に訴え続けることは、とても大事なことなのです。この作品は、爪の手入れの最中に私が体験した感慨です。
陸上選手だった貴方様。ベッドからゆっくり立ち上がった貴方様はよれよれの二つ折れ。けれども、顔を上げて前を向いたその瞬間、その姿がチェストの上の写真の若かりし頃の貴方様と重なりました。熱いエネルギーの塊をそのまま感じさせてくれた貴方様。歩行器を押す姿も、炎のランナーのようでした。
老人ホームへの入居理由は様々ですが、本人様よりも家族の意志が強いまま入居された場合は問題が生じます。本人様は混乱し帰宅願望に目覚めるからです。そのような事例も含めて、老人ホームへの入居直後の様子を数例、詩というよりも散文にて構成してみました。
私が働く老人ホームのダイニングでの食席。決めなくてもほぼ固定していきます。でも1年経つと人は入れ替わっています。他界される方と新入居者様がいらっしゃるからです。「行く河の流れは絶えずして(中略)世の中にある人とすみかと、またかくのごとし(方丈記)」が短いサイクルでおこなわれます。その時に遭遇した感慨を詩にしました。
いつも笑顔で「ありがとうございます」と仰っていた貴女様。その笑顔と「ありがとうございます」は周囲をなごやかにして下さいました。そして、私が抱えている「困った事」にも勇気を与えてくださいました。私が働いている老人ホームでの出来事です。私はその方を、心の中で、実は「観音様」と呼んでいました。