
介護の詩|かくれんぼ|老人ホームで暮らす高齢者の様子|詩境
私は、認知症の方に寄り添うとき、その方が今、人間の基本的な欲求の何を欲求しているのだろう・・と考えます。その欲求とは、マズローの五段階欲求説で述べられている欲求のことです。この作品は、その取り組みをしながら認知症の方に寄り添わせて頂いたときの話を素材にしています。ほんの一瞬ですが、記憶の欠片が落ちてきました。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
私は、認知症の方に寄り添うとき、その方が今、人間の基本的な欲求の何を欲求しているのだろう・・と考えます。その欲求とは、マズローの五段階欲求説で述べられている欲求のことです。この作品は、その取り組みをしながら認知症の方に寄り添わせて頂いたときの話を素材にしています。ほんの一瞬ですが、記憶の欠片が落ちてきました。
認知症の方に寄り添う工夫。ひとつはその方の過去暦を頭に入れておき話題にすること、ひとつは意識して五感に訴えること、ひとつはその方の反応にはペーシングをして共感すること、・・と私は、現場で学びました。この方の過去暦には、麻雀の二文字がありました。わたしは麻雀を視覚と聴覚に訴えてみました。その時の話です。
失禁をして初めて自分は高齢だと自覚される方もいらっしゃいます。その場合、リハパンは使っていません。下着は普通のままなので、失禁の結果として、下着、パジャマ、シーツ、敷布団.....を汚してしまったことにも大きな衝撃を受けるようです。そんな自分を認めて立ち直るには、時間がかかります。今回はその時の話です。
老人ホームへ入居して、既にそこで暮らしている人たちと何らかのコミュニケーションをとろうとするその気持ちは、学校で新しいクラスに馴染もうとする気持ちと同じようなものです。新しいご入居者様が古参の入居者たちに、好きなようにいじられるのを見て、人間社会には老いも若きもないんだなぁ・・と私は感じました。
老人ホームで介護士として働きながら、そこで見聞したことや、体験したことと、そして感じたことを「詩」にしてお伝えしています。今回は、ご入居者様とのコミュニケーションが円滑にとれて、ご入居者様が、その心情を吐露してくださった場面です。スタッフである私への励ましの言葉でした。
「よちよち」という幼児の歩き方を形容する言葉が、高齢者にも使われています。そこには「私、介護する人」「あなた、介護される人」という二極化があり、相手様への”寄り添う気持” ”尊敬の念”を醸成させる心理を邪魔している要因があると感じます。さらに、虐待の芽を許してしまう心の緩みにもなっているのではないでしょうか?
いつも笑顔で「ありがとうございます」と言ってくださるお婆ちゃん、ある日体調が急変してベッドでの生活となりました。ベッドでも介助の度に「ありがとうございます」と言ってくれたいたのですが、その日は「ありがとうございました」でした。感謝が過去形だったのです。死への覚悟ができていることを知り、私は涙しました。
終末期の母親を見舞った子供は、既に前期高齢者になっていました。その方は、お母様との昔日の思いを私に話して下さいました。その日の帰り道、街で、私の目に若い母親と幼子が駆け寄るシーンが映ると、私は昼間聞いた話をその光景に重ねあわせてみました。人生は長い時間軸。そこに感慨を覚えました。
老人ホームの入居者様が病気や怪我で入院されると、ADLは急激に落ちてしまいます。先日は、内臓疾患で入院された方がいらっしゃいました。退院できたのですが、ADLだけでなく認知機能も予想以上に悪化していました。私は久しぶりに朝のケアに入りましたが、その衰えた様子に心は痛みました。
「トイレぐらい自分で行きたい」誰もが思うことです。でも、老後はそうはいきません。皆さん、ある日の ”失禁” をきっかけに、リハパンを着用するようになります。この詩は、その直前の様子です。「トイレぐらい自分でいきたい」という自尊心はADLを維持させるエネルギーになるのです。