介護の詩/「旅のおわり」/老人ホームでの息遣いと命の灯16/詩境


【車止めで一息】

旅のおわり

老人ホームで暮らしている、お爺ちゃん、お婆ちゃんのこと、気になりませんか? 

人生という旅は、旅のおわりなのに、独りでまた旅立たなくてはなりません。でも安心して下さい。家族と一緒にホームの仲間も、旅立ちを見送ってくれます。

私は、老人ホームで介護士として働いています。

そして、人々が老いて、不帰の人となっていく様子のその中に、様々な人生模様を見る機会をいただいております。

介護/老人ホーム

私は、そこで見て感じた様々な人生模様を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。

なぜなら、「老人ホームではこんなことが起きているんだ」と知ることによって、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀を深める手助けになるだろうと思ったからです。

それは、おせっかいなことかもしれません。でも、老後の生き方を考える”ヒント”になるかもしれないのです。

伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。

詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。

【車止めで一息】

車止めで一息16

旅のおわり

(友達の亡骸をみんなで見送った日、〇〇様の独り言)

みんなが言っていた。

人生は旅だ。

それは本当だった・・・でも、

目的地はあるようで無かった。

あったとしたら・・・それが、

人生の節目という奴だ。

奴と言ったが、人生の節目は愛すべきものだからだ。

だから、

節目が沢山あった人生は、

愛すべきものに沢山出会うことができた、

幸せ者なのかもしれない。

みんなが感じていた。

人生は旅だ。

それは本当だった・・・でも、

人生の地図に東西南北は無かった。

あったとしたら・・・それが、

倫理とか法律とか社会とか、そして自然という縛りだ。

縛りと言ったが、人生は社会と自然の摂理と共にあるからだ。

だから、

どんなに自由な地図を描いても、

自由にはならない自然の摂理には、

皆打ちのめされてしまう。

一緒に旅をする友達がいても、

一緒に旅をする家族がいても、

最後の最後、

天国に行く旅だけは、

自分独りで旅立たなければいけない。

でも、

友達や家族は、

旅立ちの間際まで見送ってくれる。

だから、安心だ。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

あきら

老人ホームは終の棲家であり、皆いつか不帰の人となります。その中には、体調の不具合を訴え、救急搬送された病院で他界する方もいらっしゃいますが、多くの場合、ホームで最期の日を迎えていらっしゃいます。

ホームで人生最期の日を迎えるときには、駆け付けたご家族様と一緒に、ホームで働くスタッフも皆一緒になって、お見送りをさせていただきます。

ある日のお見送りでは、仲のよかったお爺ちゃんが、みんなの輪の中に入らずロビーのソファに座ったまま遠目に見送っていました。

エレベーターを降りた寝台がロビーの中央に運ばれます。亡骸には白い布がかぶせられています。そしてご葬儀のスタッフが、白い布をとり、お見送りの方々に最後のお別れを促します。

その時、ソファに座ったままのお爺ちゃんは、膝の間に立てた杖の先端に両手を重ね、寝台の方に目をやりながら、呟きました。

その時、私は、お爺ちゃんの目の奥にあるお爺ちゃんが眺めてきた人生に興味を持ち、お爺ちゃんと話をする機会を得ました。

私が介護士として働いている施設は「住宅型介護付有料老人ホーム」です。

自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方が住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。

【参考】

★【前回公開した詩】おじいちゃんの口から「おじいちゃん」2

介護の詩/おじいちゃんの口から「おじいちゃん」2/老人ホームでの息遣いと命の灯15/詩境

介護の詩/「車止めで一息」/老人ホームでの息遣いと命の灯

読んでくださり、ありがとうございます。