介護の詩|老人ホーム|最期まで守るのは命ではなく尊厳|詩境

【車止めで一息88】

老人ホーム

老人ホームで暮らしている、お婆ちゃん、お爺ちゃんのこと、気になりませんか?

<老人ホームについて>

老人ホームで暮らす人は皆、ご自身の命の最期を僅かながらでも燃やそうとして、少なからず四苦八苦されていらっしゃいます。

でも悲しいかな、その命はやがて自然の摂理に巻き取られていってしまうのです。死ななかった人はいません。皆さんそのことを知っているはずのに、どの方も明日のことは素知らぬ顔をして、もしくは考えないようにしているのか・・、今日も淡々と暮らしていらっしゃいます。

認知症がある程度進んでしまった高齢者は、いろいろな理屈めいた事柄は分からなくなってしまいます。ここは病院で自分は入院していると思い込んでいらっしゃる方がいたり、「ここはどこなの?」「私は何をしたらいいの?」と嘆きながら、三度三度の食事だけが楽しみだと日々ぼやいていらっしゃる方もいらっしゃいます。認知症は脳細胞を損傷する原因によってタイプ別の分類がありますが、それぞれの原因に個性や環境が加わるのですから、実際の症状は実に様々、十人十色、千差万別、いろいろです。

いずれにしても、老人ホームとは?を語ろうとした時、外からの景色と内部の実情とには隔たりはあります。私は介護士として老人ホームで働くようになってから、そのことを身を持って感じております。まあ、でも、そのようなことは、どこの世界でも大なり小なりあることですね。

老人ホームは終の棲家です。

老人ホームは人生の終点、人生という列車を降りてあの世へ行く順番待ちの場所なのですから、車止めにいるのと同じなのです。車止めに着いて他界するまでの少しの間、日々の生活を介助してくれる場所なのです。

そこで大事になってくるのが、

介助するスタッフの技量と介護士としての仕事への意識です。

ただ、介助に追われ、時間にも追われて、時にはクソまみれになったり、時には入居者に手をはねのけられたり爪を立てられたり、介護拒否にあったり・・そんなことの連続の中にいると、一瞬忘れてしまうことがあります。

それは、相手様の尊厳を保持することです。

相手様の尊厳を保持することは、介護福祉士の義務規定にも「誠実義務」として明記されている介護士の大義でもあります。尊厳の保持は、介護士として重んじるべき大切な道理や、介護士が執るべき重要な意義であり義務なのです。絶対に忘れてはいけません。

医師は命も尊厳も守ります。それが医師の使命であり職責です。

介護士は最初から最期まで、尊厳の保持を使命及び職責として行動します。

なので、本文の中で「最期まで守るのは命ではなく尊厳」と書きました。

尊厳の保持、

その大事なことを再度きちんと自分の心に焼き付けるつもりで、私はこれを書きました。

[参考]

社会福祉法及び介護福祉法

第44条の2(誠実義務)

「社会福祉士及び介護福祉士は、その担当する者が個人の尊厳を保持し、自立した日常生活を営むことができるよう、常にその者の立場に立って、誠実にその業務を行わなければならない」

私は今、介護士として老人ホームで働いています。

施設は「住宅型介護付き有料老人ホーム」です。

自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方が住まわれており、看取りも行っている施設です。

介護/老人ホーム

私はそこで働きながら、人が老いていく様子のその中に、様々な「発見と再発見」を得る機会をいただいております。

そして私は、それらの「発見と再発見」を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。

なぜなら、「ああ、老人ホームではこんなことが起きているんだ・・」と知ることで、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀が深まると思ったからです。

そしてさらに、それらは、おせっかいかもしれませんが、老後の生き方を考えるヒントになるかもしれないのです。

伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。

詩の形式は、口語自由詩です。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。

口語自由詩

車止めで一息88

老人ホーム

みんなみんな、

衰えて日々介助されながらベッドに沈む。

努めるのは残存能力の維持、回復はしない。

みんなみんな、

死ななかった人はいない、いつかはこうなる。

最期まで守るのは命ではなく尊厳、ここは老人ホーム。

でもたまに死に抗おうとする家族がいる。

死を忌み嫌い悲しみに耐えられないと思っていても、

自然の摂理は我関せず超然としている・・のに。

息をひきとるまで点滴を望む家族。

愛惜は切なくて拠り所が無くて引き際を知らない。

浮腫み黙然とした身体を目に入れ看護師の助言に別れを覚る。

嚥下機能を失った認知症の後期高齢者。

胃ろうを選び老人病院へ移した家族はいったい何を期待したのだろう。

拘束されるであろうその姿は介助し親しんだホームの皆を悲しませた。

ここは住宅型老人ホーム。

早々と先を見据えて終の棲家としている自立した高齢者もいれば、

自宅での介護は限界と判断した家族の意思で入居された高齢者もいる。

車止めで暮らすみんなみんな。

自身の命が自然の摂理に巻き取られるのを素知らぬ顔して待っている。

介護スタッフが最期まで守りたいのは命ではなく尊厳。

ここは老人ホーム。

(画像はイメージです/筆者の友人が撮影)

尊厳とは何か、尊厳を保持するとは具体的にどのような行動行為が想定されるのか、言葉にしたらきっといろいろな言い方があるのだと思います。

また、ご本人様とご家族やご親戚などには、各々の立場や思い、そして感情というものもあります。それら他人の事を介護スタッフや看護師が必ずしも分かるわけではありません。でも分からないのだかといって、無口になってはいけないと思います。

水分を受け付けなくなるほど機能低下した身体に点滴をしても、ただ浮腫むだけだとか・・、ここ(老人ホーム)では拘束されていないけれども、病院だと手にはミトンをはめられベッドに拘束されてしまいますよとか(本人の尊厳は守れませんよ)・・、伝える義務はあると思います。

伝えるのを迷うのは、次のような事柄です。

「余命いくばくもないのに、そのような処置をしたら・・ご本人様は苦労や苦しみが続くだけですよ。自然に逝かせてあげるのがご本人様への愛情だと思います。このまま、自然の摂理にゆだねることが、ご本人様の尊厳を守ることだと思います」

でも、このような言い方は介護スタッフの個人的な感情ととられかねません。決して、このような言い方はできないのです。できないので、老人ホームの介護スタッフは苦しむのです。

事実、嚥下機能を失った認知症の親に胃ろうの選択、この方のことがスタッフの間で話題になることはほとんどありませんでした。みんな、可哀そうに・・と思っていて、忘れてしまいたい対象だったからです。

そんなことを思いながら、でも尊厳は守らないといけない・・そう思っています。

「あなた様の尊厳を最期まで守らせていただきます」

そのような気持ちを持って、私自身の介護の仕事へのモチベーションを再度高めるために、私はこれを書きました。

【作品一覧】

読んでくださり、ありがとうございます。

 

 

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