春日醉起言志/李白/英訳から学ぶ漢詩の鑑賞/なぜ酒を飲むのか?


李白(中国:唐代の詩人〔701-762年〕)は、その理由を詩に詠いました。それがこの「春日醉起言志」です。李白はこのように詠っています。(意訳を含みます)

世の中を生きることは、大規模な夢を見るようなものさ(處世若大夢)

苦労を背負って、あくせく働くことなんかしないくていいんだよ(胡爲勞其生)

だからさ、一日中酒を飲んで愉快に生きようよ(所以終日醉)

かとうあきら

酔っぱらって帰宅したり、家で酒を飲んで寝転んでいたり・・。

家族や恋人からそんなところを見られてしまい「またお酒を飲んでいるのね。少しは控えたらどうなの!」って、もしも言われてしまったら・・。

李白が言うように「人生は夢と同じさ。夢なんだから、酒を飲んで愉快に生きるのさ」って、言い放ちたいものです。くわばら、くわばら。

(画像はイメージです/出典:phtotAC)

春日醉起言志」は酒を飲む場面があるからでしょうか。学校の教科書には載っていません。でも、李白の他の作品(「山中問答」や「子夜呉歌」など)は教科書に数多く取り上げられていますね。なので、教科書に載っている詩人の作品として、この度はこの「春日醉起言志」を取り上げました。

お酒を飲める人はお酒を飲みながら「春日醉起言志」を鑑賞し味わうのも、また一興かもしれません。

李白「春日醉起言志」

1.春日醉起言志〔原文と読み方〕

※漢詩ですが、横書きにしております。

 春日醉起言志

 〔春の日に酔(よい)より起きて、志(こころざし)を言う〕

處世若大夢

〔世に処(お)ることは、大いなる夢に若(に)たるに〕

胡爲勞其生

〔胡(な)ん為(す)れぞ、其の生を労(つか)らずや〕

所以終日醉

〔所以(ゆえ)に、終日酔い〕

頽然臥前楹

〔頽然(たいぜん)として、前楹(ぜんえい)に臥(ふ)す〕

覺來眄庭前

〔覚(さ)め来たりて、庭前を眄(なが)むれば〕

一鳥花間鳴

〔一鳥(いっちょう)、花間に鳴く〕

借間此何時

〔借(こころ)みに問う、此れ何の時ぞと〕

春風語流鶯

〔春風に、流鶯の語る〕

感之欲歎息

〔之(これ)に感じて、歎息せんと欲し〕

對酒還自傾

〔酒に対して、還(ま)た自(み)ずから傾く〕

浩歌待明月

〔浩歌して、明日を待たんとするに〕

曲盡己忘情

〔曲(きょく)尽きしときは、己(すで)に情を忘れたり〕

〔参考:岩波新書「新唐詩選」1984年12月 第54刷〕

(画像はイメージです/出典:photoAC)

李白「春日醉起言志」

※現代語訳については、より深く理解していただけますように、そして漢詩の鑑賞を少しでも多く楽しんでいただけますように、意訳を含めております。予めご承知おきくださいませ。

2.春日醉起言志〔現代語訳〕

 春日醉起言志

 〔春の日に酔(よい)より起きて、志(こころざし)を言う〕

酔っ払いの私が、ある春の日に思ったこと。

かとうあきら

「志」とあるので、何かたいそうな事柄なのだと想像しますが、そうではありません。第三句に「所以終日醉」とあるように、李白は一日中酔っているのですから、呑気なものです。この「志」は単なる「思い」と考えてよいと思います。

處世若大夢

〔世に処(お)ることは、大いなる夢に若(に)たるに〕

人生というのは、大きな夢の中にいるようなものだなぁ・・

かとうあきら

人生を夢と思う、そう思うことによって、生きていく様々な苦しみも夢だと思いこませて、少しでも気持ちを楽にしたい。そんな思いが見てとれます。何かに救いを求める気持ちは、誰しも同じですね。

胡爲勞其生

〔胡(な)ん為(す)れぞ、其の生を労(つか)らずや〕

みんな、どうしてあくせくして働いているんだろ。そんなに苦労を背負って生きていかなくてもいいのになぁ・・・(人生は、もっと楽しいはずなんだ)

・胡為~/どうして~するのですか? 

所以終日醉

〔所以(ゆえ)に、終日酔い〕

だからさ、わたしはこうして一日中、酒を飲んで酔っているんだ。

かとうあきら

「所以」と詠っていますが、これは強引ですね。考えてみれば、殊更、酒である必要はありません。「所以終日読」(だから一日中、読書する)でもいいし、「所以終日遊」(だから一日中、遊んでいる)でもいいことです。

李白はとても酒好きだったそうですから、「一日中、好きな酒を飲んでいる」というのを「気持ちの向くまま好きなことをして過ごしている」という意味も含めて解釈すると、鑑賞の幅は広がるかもしれません。

頽然臥前楹

〔頽然(たいぜん)として、前楹(ぜんえい)に臥(ふ)す〕

酔いつぶれて、柱の前辺りに寝転んで眠ってしまったのさ。

・頽然/酔いつぶれて姿勢が崩れてしまう様子。 

・楹(えい)/家の丸い柱。「新唐詩選(岩波新書」」には次の記述があります。(以下引用)「楹とは棟の正面の東西にあるまるい柱。中国の家は原則として南向きだから、そのへんでねころべば、至って日当たりがよい」

覺來眄庭前

〔覚(さ)め来たりて、庭前を眄(なが)むれば〕

(それでさ….いったい、どれだけ眠っていたのか分からないけれども)目さが覚めたので、庭を眺めていたんだ。

一鳥花間鳴

〔一鳥(いっちょう)、花間に鳴く〕

(そうしたらさ・・)一羽の鳥が、花と花の間で鳴いていた。(それがとっても美しい光景だったんだ)

借間此何時

〔借(こころ)みに問う、此れ何の時ぞと〕

(私は、その鳥に向かって、言ったんだ)ねえ、ちょっと聞いてみるけれども、今はいったい何時頃なんだい?

・借間/軽い気持ちで尋ねてみること。

春風語流鶯

〔春風に、流鶯の語る〕

(でも、その鳥….鶯は何も教えてくれない)春のさわやかな風が吹いている中を、鶯は飛び回りながら、盛んにさえずっているばかりだった。(美しいいなぁ・・・)

かとうあきら

英訳(次のブロック参照)では、鶯がさえずりながら飛び回っている様子を “the water-flowing flight calls” と訳しています。私は、言い得て妙だなと思いました。(「言い得て妙」=まさにぴったり)

感之欲歎息

〔之(これ)に感じて、歎息せんと欲し〕

あああぁ・・・、溜息ばかりがでる。(鶯はさえずるばかりで、ちっとも答えてはくれないよ。それはそうだ(笑)。それにしても美しい光景だなぁ。

かとうあきら

なぜ溜息なのでしょうか。この詩の肝かもしれません。

その理由は、次のブロックの英訳のところで解説を加えてみました。参照くださいませ。

對酒還自傾

〔酒に対して、還(ま)た自(み)ずから傾く〕

酒はまだあるぞ。またまた、飲んでしまおう。(ああ、美味い!)

・對酒/酒を目の前にして。 ・自傾/手酌のこと。

浩歌待明月

〔浩歌して、明月を待たんとするに〕

ここはひとつ、歌でも気持ちよく歌って、月が昇るのを待つことにしよう。

・浩歌/大声で歌うこと。

曲盡己忘情

〔曲(きょく)尽きしときは、己(すで)に情を忘れたり〕

あれ?・・・歌を歌ったら、何を考えていたのか、何を感じていたのか、すっかり忘れてしまったよ。(ああ~、人生は楽しい!)

・曲盡/歌う歌が尽きてしまった。

かとうあきら

「曲盡」なので、”一曲歌い終わった頃” ではなく、”レパートリーを全部歌って歌う歌がなくなった頃” という解釈が良いのかなと思います。つまり、それだけ時間が経過し、さらに酒も進んで、大いに酔っぱらっている様子が伺えます。

なので「忘情」なのです。つまり、意識は飛んで、何がなんだか分からなくなってしまった。つまり、とても酔っぱらってしまった状況….が想像できます。

楽しく酔えてよかったですね,,,,と言ってさしあげたいですね。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

李白「春日醉起言志」

※ 英訳文は「岩波新書「新唐詩選」1984年12月 第54刷」の82頁~83頁に掲載されているものを参照させていただきました。解説等は私のオリジナルでございます。

3.春日醉起言志〔英訳と解説〕

 春日醉起言志

A Statement of Resolutions after being Drunk on a Spring day.

・Statement =表明 ・Resolutions=決意 ・Drunk=酔っ払い

處世若大夢

This time of ours.

Is like a great, confused dream.

・confused = 混沌とした

かとうあきら

私は「私達が生きているこの時、それは素晴らしいように思えるけれども、実は混沌とした夢なのです」と読み解きました。

つまり〔人生は混沌とした夢のよう〕という理解です。

胡爲勞其生

Why should one spend one’s life in toil ?

・toil = 苦労

かとうあきら

直訳すると「なぜ人は、人生を苦労して過ごさないといけないのだろう?」

Why should ~?は「どうして~しなきゃあいけない」という意味で使われていることを考えると、以下のことが想起されます。

言外には「そんなことは、しなくていい。苦労して生きるなんて愚かなことだ」というような意味も読み取りたいと思います。

頽然臥前楹

Thinkig this, I have been drunk all day.

かとうあきら

「こんなふうに思いながら、一日中酔っぱらっていた」

I was drunk~ではないことに注視したいですね。

頽然臥前楹

I fell down and lay prone by the pillars in front of the house;

・lay prone = うつ伏せになる ・pillars = 柱

かとうあきら

これは、このまま直訳でよいと思います。要するに、よっぱらって家の柱の前に倒れ込んだという状況です。

覺來眄庭前

When I work up, gazed for a long time.

・gazed = 見つめた(gaze =視線)

かとうあきら

「長い時間見つめていた」のだから、When I work up には末尾の a long time と併せて「起きてからずっと…..」という時間の経過を読み取ってよいと思います。

一鳥花間鳴

At the countyard before me.

A bird sings among the flowers.

・countyard = 中庭

かとうあきら

この詩の中で、視覚と聴覚が一気に広がる瞬間という意味において、大事な一句です。

視覚には鳥(生き物)、花(植物/色)、聴覚には鳥のさえずり(歌)、さらに鳥ですから「飛ぶ」という動きも視覚に加わります。

意味は簡単な情景描写なのですが、李白は、この目の前の光景に感動を覚えているだろうと思われます。

という意味において、大事な一句です。

借間此何時

May I ask what season this is ?

・May I ask ~(ちょっと)聞いてもいいですか?/気軽に質問するときの慣用句。

かとうあきら

これは目の前の花と花の間にいる鶯に、気軽に尋ねている様子。ただ、直訳だけではつまらないですね。

酔っぱらって、その場に倒れて寝てしまい・・目が覚めて「おやおや、今はいったい何時?」っていう解釈が一般的ですが、次のように解釈しても楽しいです。

春風語流鶯

Spring wind,

The bright oriole of the water-flowing flight calls.

・oriole = コウライウグイス(高麗鶯) ・water-flowing = 水流

かとうあきら

二つ前の句「一鳥花間鳴」に、さらに描写を加えています。

直前の句「借間此何時」に対して、鶯が返事をする様子でもあります。

この光景を目のあたりにして、李白は おそらく、”この世界は美しい” と感動したのです。

(画像はイメージです/出典:左:wikipedia、右:photoAC)

感之欲歎息

My feeelings make me want to sigh.

・sigh = 溜息「はぁ….」

かとうあきら

この一句は、李白の心情を映し出している、この詩の大事な一句だと思います。

「一鳥花間鳴」は五感に訴えるという意味において、この「感之欲歎息」は感情に訴えるという意味において、各々大事な役割を果たしていると思われます。

なぜ溜息なのでしょうか….

冒頭の二句「處世若大夢 胡爲勞其生」そして「春風語流鶯」を振り返ってみてください。

目の前にはこんなに美しい光景が広がっている….なのに、人生は confused dream であり、人生には toil が詰まっているからです。

かとうあきら

<なぜ、酒を飲むのか?>

李白はそう言いたかったのではないでしょうか。わたしは、そんなふうに思っています。

さあ、溜息をついたところで、この詩は一気にクライマックスへと進んでいきます。以下、最後の三句です。

對酒還自傾

The wine is still here, I will throw back my head and drink.

かとうあきら

still が効いていますね。酒のみって、私もそうですが「(酒が)まだある」っていう状況は、とても安心です。安心して飲めるというのは、ひとつの幸せです。

throw back my head(頭を後ろへ投げる)・・・おそらく、盃をグイッと傾けて飲み干すときには、顔を上に、頭を後ろに反らします。きっと、そのような動作をイメージしたのでしょう。

浩歌待明月

I sing splendidly.

I wait for the bright moom.

・splendidly = 見事に(ここでは、大声で 陽気に 快活に 元気よく、というような意味)

かとうあきら

splendidly ここでは「大声で、陽気に、快活に、元気よく」というようなニュアンスで捉えるのがよいと思います。

酒飲みが縁側で酒を飲み、月が出るのを待ちながら、気持ち良さそうに、十八番の〇〇を歌っている・・・そんな光景です。

月が昇るのを待つわけですから、月もまた、その趣と美しさを味わえる対象であっただと分かります。この感情は、日本の百人一首などに見られる月への思いと似ているのかもしれません。

<参考>

日本の名月:まとめ/百人一首から、月を詠んだ11首を味わえます

曲盡己忘情

Already, by the end of the song, I have forgotten my feelings.

かとうあきら

Already は「すでに」という意味ですが、

ここでは have fogotten とつなげて「とっくに忘れてしまったよ(わははははは!)という理解がよいと私は考えています。

単に I forgot でなく、I have forgotten (have +過去分詞)と表現したところが、この英訳の、おそらく工夫のしどころだったのかもしれません。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

<参考>

山中問答/李白/漢詩の授業では教えてくれなかった鑑賞の方法/色と動静

子夜呉歌/李白/厭戦気分を詠んでいる漢詩/教科書でおぼえた名詩より

「教科書で学んだ懐かしい詩歌」の中にも、上記の他に、いくつかの漢詩の鑑賞を載せました。是非、ご一読下さいませ。

読んでくださり、ありがとうございました。