百人一首|恋歌における月の役割|有明は逢瀬、通い婚の悲哀を物語る

※このテキストでは、百人一首の中から”月の情景を語りながら恋心を詠んでいる歌”を取り上げて、”恋歌における月の役割について”レポートしています。そこには風情を感じる月はありません。

〔百人一首:13世紀の初め…鎌倉時代の初期に編纂された日本の有名な歌集のひとつ。7世紀頃から12世紀頃に生きた百人の詠み人による百首の歌で構成されている〕

〔画像はイメージです|出典photoAC〕

はじめに:一つ目のテーマ

生きていくということは難事であり、思うようにいかないことは多々あります。

そして、思うようにいかないもののひとつに”恋”があり、古今東西、小説や詩や映画など物語のテーマに沢山取り上げられてきました。

上手くいっているときは”幸せいっぱい笑顔いっぱい”の恋、でも一旦つまずくと、心身は煩悩の塊のようになってしまう・・物語に触れると、そのような話が多々ありますね。恋の物語というものは、その時々に感じる幸不幸や揺れる心の振幅により生まれているようです。

考えてみれば、恋というものは人生の一時期を占めているという意味において人生そのものであり、人生そのものであるが故に実にやっかいな側面を素知らぬ顔して持っているようです。

そして・・「そのやっかいさは昔も今も変わらないんだなぁ…」ということが、古典に触れてみると少し分かります。

今からおよそ1300年~800年位前の日本。その頃の恋心がどのようなものであったのか、百人一首の中に表現されている恋心を辿ってみると「恋のやっかいさは昔も今も変わらないんだなぁ…」という感慨に浸れます。”その感慨に浸ること” これが、このテキストの一つ目のテーマです。

※二つ目のテーマは「恋心の中の月」です。月が恋歌を理解するための重要なファクターになっています。後述いたします。

百人一首を素材として取り上げた理由は、和歌という物語の表現の短かさにあります。

古典には、源氏物語をはじめ様々な性格の作品が沢山あるのですが、それらは長文で読解に苦労します。でも、和歌は31文字という情報量の少なさです。なので扱いやすくまた理解しやすいのです。

※但し、理解を深めるためには、当時の社会について以下の事柄は押さえておきましょう。

➡ 百人一首に編纂された歌を詠んでいる歌人は皆、文字の読み書きができた貴族など上流階級の人たちでした。つまり詠まれた歌が織り成している状況は一般庶民のものではありません。

➡ 当時の和歌は、重要なコミュニケーションツールとして機能していました。特に男女関係においては、秀悦な歌を詠むことが相手に好かれることにつながりました。「あら、いい歌!気持ちがよく伝わってくるわ!なんて素敵な人なんでしょう!」というような具合にです。

➡ 当時の婚姻は夫婦になっても同居しない通い婚でした。夫は夜に妻のもとへ通っていたそうです。そのことは、毎晩同じ妻の家へ通うとは限らなかったことを意味していて、女性たちは不安と嫉妬に悩むことが多かったようです。ただ、中には女性から冷たくされる男性もいました。これらのことを百人一首の歌から読み取ることができるのです。

〔画像とイラストはイメージです|出典PhotoAC〕

< 恋心と月の役割 >

二つ目のテーマ

百人一首には、歌の趣旨は異なっていても、の存在が詠われているという共通項を持っている歌が12首有ります〔「有明」も含む/古語の「有明」には”明け方の月”という意味もあります〕。

そして、その内の4首が恋心を歌っています。さらに、その内の3首は、悩ましい恋心を月という自然の素材を用いながら、分かりやすく歌っているのです。

その時、月は、恋心を詠んだ歌の中で、どのような役割を果たしていたのでしょうか?

この疑問解決が、およそ1300年~800年位前の日本人の恋心を辿るときの重要なファクターとなっている、二つ目のテーマです。

<ここで取り上げた3首の理由>

※このテキストでは、恋心と月を詠んでいる歌を3首取り上げました。その理由は、これら3首の歌からは、先に述べました「恋のやっかいさは昔も今も変わらないんだなぁ…」という感慨がとても分かりやすく伝わってくるからです。

〔画像はイメージです|出典phtotAC〕

第30番歌

有明の つれなく見えし 別れより

暁ばかり憂きものはなし

〔解説〕

・この歌の作者は男性ですが、その情報が無ければ男女どちらが詠っても通じる内容です。意訳では31文字だけを頼りに書き起こしましたので、このテキストを読んでくださっている方が男性なら男性の立場で、女性なら女性の立場で、31文字から想像できる情景を頭の中に描き、そして解釈してみて下さいませ。

💕二人は、今日も一晩一緒に過ごしたのです。その関係は、今日までにどれ位の逢瀬を重ねてきたのか、それとも今日が初めての逢瀬だったのかは、この歌からは分かりません。分かりませんが、ただひとつの深刻な出来事・・朝が近づき別れる頃になって”あなた様はつれなかった”〔あなた様はよそよそしくて冷たかった〕ことが心に打撃を与えたと詠まれています。

💕「また今夜、逢いましょう」「楽しみにしています」・・という一時的な別れではなく、本当に別れてしまったのです。私はあなた様のことがまだまだ恋しくて、私にはあなた様への恋心があるのに…です。そのことが「憂きものはなし〔これ以上の辛いものはありません〕」から読み取ることができます。

💕 だから、そのことがあってからというもの、有明の月が出ている夜明けは、あの時のこと、あの時のあなた様のつれない様子を思い出してしまい、辛くてたまらない私なのです。

<月の役割>

1.「有明(の月)」と詠むことで「時間帯」が分かります。つまり朝です。

2. 当時の慣習〔男性は夜に女性の家を訪ね、一晩一緒に過ごして、朝に自分の家へ帰る〕からして、「有明」の一語で ⇒ 逢瀬は終わり ⇒ 二人が離れる時刻・・であることを教えてくれています。それは辛い時間帯でもあります。

2. この歌の月は、相手の心が自分から離れて恋が続かなかった時の「有明」という視覚情報です。なので「有明(の月)」は⇒「つれなかった」⇒「失恋した」⇒「辛い」という表象を導く心象風景としての役割を果たしています。

3. あなた様との情報共有に役に立つだろうという、”信じたい月”としても存在しています。なぜなら、もしも明日が晴れで、有明の月を眺めることができるとしたら「あなた様も有明の月を見て、あの時の私との逢瀬を少しでもいいから思い出してください」と訴えることができるからです。但し、あくまで”私の願い=一方通行”です。本人はそのことが分かっているので、よけいに辛さが増すのでしょう。

実はこの歌、「つれない」に二つの解釈が存在しています。

ひとつは、先に書いた通り「相手がつれなく見えた」、だから「憂きものはなし」という感情がわいてくる・・という解釈です。

もうひとつは、有明の月に感じる「つれなさ」です。つまり、男性は今晩またやって来て逢瀬を重ねるつもりなのだけれど、朝は朝で後ろ髪を引かれるわけであって、そのときに「明け方の空のお月様は、”私の辛い気持ちなんか関係なく、そっけなく、冷たそうに” ぽかんと空に浮かんでいた」・・だから「憂きもの」と思い出す・・という解釈です。

百人一首の選者である藤原定家は「有明の月」に「つれなさ」を感じたという説なんだそうです。〔参照/「一冊でわかる百人一首」発行:2015年、成美堂出版〕

私は、朝になって”よそよそしく””そっけなく”なった 相手が「つれなく見えた」のだと解釈したいです。なぜなら「あなた様がつれなく見えた」方が「憂きものはなし」という感情に繋がりやすいと思うからです。この歌の感情は「憂し」〔憂鬱〕なのですから。

文脈からは、心が過去と現在を行き来しているところも、物語性が読み取れるという意味で押さえておきたい部分ですね。

〔画像はイメージです|出典photoAC〕

第59番歌

やすらはで 寝なましものを 小夜更けて

かたぶくまでの 月を見しかな

〔意訳/free translation〕

〔解説〕

・文脈からは、当時の通い婚という慣習を鑑みて、女性が詠んだ歌であることが分かります。〔実際、作者は女性で「栄花物語」の作者です〕

・解釈のポイントは第一句「やすらはで」だと思います。「やすらふ」は現代語の「ためらう/躊躇する」という意味です。「やすらはで 寝なましものを」の訳は「迷わずに寝てしまっていただろうに…」となります。

・「小夜」の「小」は音調を整えるためにつけた接頭語なので解釈はしません。「小夜更けて」「かたぶくまでの月」この二語から、かなりの時間が経過したことが想起されます。つまり、もうすぐ朝なのだと思われます。

・詠み人は、”月が西の空に傾くまで待っていたのです。貴方がやってくるのを”

・0時頃には「今日は来ないのね、もう寝るわ」と諦めよく寝てしまったら、この歌は生まれなかったでしょう。

・ドタキャンされた!・・・ひどい話ですね。相手の男には未来永劫、恋愛する資格はありません。・・ただ、どんな事情か分かりませんが、これは恋というものの現実なのかもしれません。なぜなら、恋心の程度が弱ければ、待たずに寝てしまっていたと思われるからです。

<月の役割>

1. この歌の月は、「小夜更けて」「かたぶくまでの月」という状況説明が加わることで、長い時間の経過を教えてくれています。

2. 特に「かたぶくまでの月」は、昨晩の東の空に昇ってきた月の対極にあります。月が昇ってきた頃の心境は「ああ、もうすぐあの人が私の元へ来てくれる」というワクワクドキドキ感でいっぱいだったでしょう。なのに、待ち続けることになってしまった私・・「なんだ、来ないじゃあない!待って損をした、早く寝てしまえばよかった…悔しい!」という気持ちへと、私の心は変化したのです。月の動きが、時間の経過と共に、相手の心の移り変わりを明らかにして、同時に私の落胆を導いています。

3. 傾いたのは月だけではありません。私の気持ちも傾いてしまったのです。「かたぶくまでの月」が落胆している私の気持ちをよく表していると思います。

〔画像はイメージです|出典photoAC〕

第21番歌

今来むと いひしばかりに 長月の

有明の 月を待ち出でつるかな

〔意訳/free translation〕

<二通の解釈>

この歌は二通り解釈できます。

➡ ひとつは「一晩待ち続けた末に朝になり、有明の月が出ていました」という解釈。

➡ ひとつは「毎夜毎夜待ち続けているうちに長月になってしまい、長い秋の夜さえも待ち続けて有明の月が出る頃、つまり朝になってしまいました」という解釈。

・私は、後者の方と解釈しています。後者は、”秋まで待ち続けたこと”、さらに ”長い秋の夜さえも待ち続けて…”という状況です。待つ時間が長い分、それだけ想像する幅が広がり「待つ辛さ」が際立ってくると思うからです。

・詩歌の鑑賞はそこに正解を求めるのではなく、どのように感じるか、そこに観賞する人の正解があります。そう思えば、詩歌の鑑賞を難しく感じたり、詩歌の鑑賞で肩こりになることはありません。

〔解説〕

・この歌も、文脈と当時の通い婚という慣習を考えると、作者は女性だと想像できます。でも、実際の作者は男性で、素性法師という僧侶が女性の立場を想像して詠んだ歌なのです。

男が女性の辛い気持ちを歌にするだなんて、作者の男はなんて高飛車なのでしょうか。しかも作者は僧侶です。僧侶は、人様の悩みをよく聴いて、人様が迷わないように正しい道筋を導いていく人だと思います。なのに、この歌です。女性の辛い気持ちを歌にしてよいものでしょうか。いかに歌の世界とはいえ、作者が女性の気持ちを軽く思っているようで、私はこの歌を好きになれません。

この歌の価値は、当時の男女関係を知る上でのひとつの民俗学的な資料としての位置づけにある…くらいでよいと思います。

・・という思いは一旦横に置いておいて、31文字だけから考察してみましょう。

・相手の男が「今来むと」と言ったのはいつのことなのか? つまり、私はいつから待っているのかは分かりません。分からないから共感を生むのでしょう。もしも、春から待っているとか、先月から待っているとか詠んだら、その分の想像が減って共感の幅が狭くなってしまいます。

・「長月」と詠むことによって、秋という季節が醸し出す寂しさが「待つ」という気持ちに重なっています。これはひとつの工夫だと思います。もしも長月ではなく、例えば如月〔3月〕とか葉月〔8月〕にしたら、訴えるものは時間の経過だけであり、歌の趣は今よりも軽いものになってしまうでしょう。

昭和時代の1987年、昭和62年、”あみん”という女性デュオが「待つわ」という歌をヒットさせました。

「♪わたし待つわ いつまでも待つわ…♪」という部分が耳に残る歌です。第21番歌は、その「待つわ」の心境と似ているかもしれません。 

それとも、戦前生まれ〔この言葉は古いですね〕の高齢者にとっては、竹久夢二が作詞した「宵待草」の心境と同じでしょうか・・。「♪待てど暮らせど 来ぬ人を…♪」/高峰三枝子さんが歌っていたようです。歌詞は以下のとおりです。

 待てど暮らせど 来ぬ人を

 宵待草の やるせなさ

 今宵は月も 出ぬそうな

 暮れて河原に 星ひとつ

 宵待草の 花が散る

 更けては風も 泣くそうな

<月の役割>

1.「有明の月」ですから、第30番歌、第59番歌と同じように、今の時間を教えてくれています。今は朝です。

2. 朝起きて見た有明の月ではなく…”貴方が来るのを待っているうちに出てしまった有明の月”なのです。朝まで待っても貴方は来なかったのですから、そこには残念な気持ち、侘しさ、溜息しかありません。朝方の空にぽっかり浮かんでいる月には、広い空の上での孤独感というものが伝わってきて、孤独な自分と重ね合わせるという表象を生み出しています。

3. さらに「長月の」にも注目してみましょう。季節は秋です。秋の夜は長いです。その長い夜さえも待ち続けていた私なのです。朝方の空にぽっかり浮かぶ月の様子は、ますます孤独感を感じさせてくれます。

以上、三首を鑑賞してみて分かること。

月の一般的な理解は、そこに風情を感じることです。

でも、状況が異なれば、風情どころではないのですね。

月は、悔恨や悲哀という感情を導く象徴として、そこに存在するのです。

これが、百人一首の恋歌における月の役割です。

〔画像はイメージです|出典photoAC〕

エピローグ

<恋の歌は43首>

百人一首と云えば、

「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」

あっそれ聞いたことがある…という人は多いと思います。

この歌は、初夏の風香る景色を詠んでいて、とても爽やかな情景が伝わってきます。

でも、百人一首に収められている歌の中で、このような爽やかさを感じさせる歌は少なくて、実は、人間の煩悩を感じさせる歌も数多く収められているんですね。

その証拠に、百人一首には恋心を詠んだ歌が43首も収められているんです。恋心とは煩悩の塊のようなものですから、それらの歌の中にはけっこうどろどろした感情の坩堝に落ちたような歌もあるんです。

それから、月を題材にしている歌は12首あります。

その他にも、多く使われている言葉を調べてみると「秋」「花」「世」「命」などが挙げられます。そして動詞では「逢ふ」「思ふ」が多いです。「逢」は動詞以外でも名詞「逢坂」として複数の歌に詠まれています。

そのようなことを追っていくと、当時の日本人の心の中を垣間見ることができるように思います。

すると、現代ではどうなのだろう…という比較も生まれてきて・・でも調べてみると、人間の心って、先々を不安に思ったり、昔を懐かしく思ったたり・・あまり変わってはいないことが分かります。

そのようにしながら、古典を読んで人の本質を探ってみる。そんな思いでこれらのテキストを私は書いております。

〔参考図書〕

「一冊でわかる百人一首」:発行/成美堂出版、発行/2015年

「眠れないほどおもしろい百人一首」:発行/三笠書房、発行/2019年 第25刷

「百人一首」:発行/筑摩書房、発行/2010年 第15刷

「角川 必携古語辞典 全訳版」:発行/角川書店、発行/平成9年初版

<31文字から得られる情報が全て>

詩歌には、参考図書を読んで初めて分かる事情や背景があったりしますが、私はあまり意には介しません。鑑賞の方針は、事情や背景は横に置いておいて、表現された言葉だけを味わいます。表現された言葉から得られる感慨を…短歌の場合は31文字から得られる感慨を….自分の感性と自分の言葉で頭の中に描くことです。

なので、どんな些細な事でも…例えば助詞ひとつでも、必ず古語辞典で調べて解釈に活かしています。私にとっては、副読本よりも古語辞典が大事です。

<アーカイブ>

私の書いたテキストのアーカイブには以下があります。

何かの参考になれば幸いです。

百人一首/恋の歌/英訳・英語で味わう日本の恋/平安貴族の恋愛事情八首

百人一首/恋と命/生きたい、死にたい、もう一度逢いたい/恋歌三首

百人一首/恋に生きる/逢えば熱くなる・乱れる恋心/恋歌二首

月を詠んだ和歌12首/百人一首/日本の名月/有明の月、夜半の月~

読んでくださりありがとうございます。

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