介護の詩/「穏やかな一日」/老人ホームでの息遣いと命の灯09/詩境


【車止めで一息】

穏やかな一日

老人ホームで暮らしている、お婆ちゃん、お爺ちゃんのこと、気になりませんか? 

私は、老人ホームで介護士として働いています。

そして、人々が老いていく様子のその中に、様々な人生模様を見る機会をいただいております。

介護/老人ホーム

私は、そこで見て感じた様々な人生模様を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。

なぜなら、「老人ホームではこんなことが起きているんだ」と知ることによって、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀を深める手助けになるだろうと思ったからです。

それは、おせっかいなことかもしれません。でも、老後の生き方を考える”ヒント”になるかもしれないのです。

伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。

詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。

【車止めで一息】

車止めで一息 09

穏やかな一日(〇〇様の思い)

何かを望むとか、何かを願うとかは、何もない。

流れに身をまかせて淡々と過ごす一日の、

なんと心地よいことだろう。

望まないから、こんなものだと思えば、それで済む。

願うものは何もないから、そもそも結果は存在しない。

なんと心地よいことだろう。

スタッフは、私を便座に座らせる。

パッドは、あまり汚れていない。

少しの尿漏れは、いつものことだから気にしない。

便で汚していなければ御の字だ・・・なのに、

スタッフの手は機械的に動いて、パッドは新しくなった。

私の意志は、そこに無い。

もしも意志があったなら、不快になることを私は知っている。

私は海に漂いながら、波にながされないように、

実は網で囲われている魚と同じだ。

けれども私には、

網の外へ出る、力もなければ、意欲さえも今は無い。

ただ、ここに漂っていれば、

毎日のように可もなく不可もなく、日は暮れる。

そして、もうじきこのまま、この世を去る。

飯は全部食べ、茶も飲みほした。

歌の会に参加して童謡を聞いた。

何故童謡なのか・・・、

私は子供ではないのに。

それを思えば、腹立たしくなることを、

私は知っている。

ほどなく、レクリエーションの時間が終わった。

スタッフは、二〇七号室という囲いの中へ、

私を車椅子ごと、運んでいこうとしている。

そして長い廊下の真ん中あたり。

私は私の孤独を避けようとして、

私の心の中の音楽室で、

ビートルズを口ずさんでみた。

Love♬ Love♬ Love♪

Love♬ Love♬ Love♪

けれども、私はその先を、もう思い出せない。

思い出せないまま、心の中の音楽室を漂っていると・・・

突然浮かんだのは、テレビコマーシャルのキャッチフレーズだった。

おみそなーら♪ ハナマルキ♬!

あの頃の家族揃っての食卓が目に浮かぶ。

そう思い出すだけで、心は温かくなり、

味噌の香りと、白い湯気と、

そして家族みんなの笑顔と笑い声が、

心の中に湧き起こり、

どこか上の方へ昇っていった。

今となって思えば、

あの味噌汁は、

家族だけに伝わる、

愛情いっぱいの味噌汁だったのだ。

何かを望むとか、何かを願うとかは、何もない。

流れに身をまかせて淡々と過ごす一日の、

なんと心地のよいことだろう。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

詩 境

あきら

この方には、老後についてどこか諦観された感覚があると、私は感じていました。

私としては、その理由を知りたし、知れば介助時のコミュニケーションに役立つかもしれない・・と考えていました。

なので、この方が口にされた事や私との会話の内容を、しばらくの間、手元に書き留めておきました。

私が介護士として働いている施設は「住宅型介護付有料老人ホーム」です。

自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方が住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。

【参考】

★【前回公開した詩】「おれのめしは、まだか!」

介護の詩/「おれのめしは、まだか!」/老人ホームでの息遣いと命の灯08/詩境

介護の詩/浮世の馬鹿は起きて働く/老人ホームでの息遣いと命の灯10/詩境

介護の詩/「車止めで一息」/老人ホームでの息遣いと命の灯

読んでくださり、ありがとうございます。