日本の国民的な童話である「浦島太郎」について、その源流を、江戸時代初期に発行された「渋川版 御伽草子」(使用したのは翻刻された岩波文庫の「御伽草子」)に尋ねてみました。
(画像はイメージです/出典:photoAC)
目 次
※原文は、12個のブロックに分けてタイトルを付けました。
※さらに段落に分けて、計27個の段落ごとに解説と訳を記しました。
NO. ブロックのタイトル
サブタイトル
⇩
1. 浦島太郎、亀を助ける。
冒頭の亀を助けるシーン。その源流はいかに!?
2. 女性との遭遇。
原文では、亀は現れません。でも・・船に乗った女性が一人、海上に!
3. 浦島太郎の女性への対応。
女性を船で10日間もかけて故郷へ送る、優しい浦島太郎でありました。
ここは何処?金の築地に金の甍。なんて豪華な住居なのでしょうか!
5. プロポーズ/夫婦の契り。
女性は浦島太郎に求婚!太郎は承諾! そして織り成す夫婦生活、仲の良さ!
やっぱりここは竜宮城!でも亀や平目は登場しません。
幸せな毎日を過ごして三年。太郎は故郷の両親が心配になりました。
◆疑問がわいて・・
そして「玉手箱」? 原文では「かたみ」「いつくしき箱」と書かれています。
名残りを惜しみながら、不安な思いを歌に託します。
◆疑問がわいて・・
故郷は野原と化し、700年もの月日が経過していました。ああ、悲しき浦島太郎。
11. ついに開けてしまう「かたみの箱」~三すじの紫の雲立ちのぼり・・・
松の木陰で失意の浦島太郎。ついに運命の時・・「かたみの箱」を開けました。
12. 浦島太郎は鶴になり、亀と一緒に夫婦明神となりました。
エピローグ。”人には情けあり” ”情け有る人は行く末めでたき”
この記事の趣旨
人は何事においても、無意識のうちに、その対象に意味や理由を求めようとします。
童話を読んでもしかり。
たとえば・・・
・この童話は、何を伝えようとしているのですか?
・この童話の、何が、何故、面白いのですか?
・この童話から得られる、教訓は何ですか?
・この童話を読んで、子供に何を教えればいいですか?
いつのまにか、考えていたりしませんか?
これは、脳の癖によるものです。
そこで今日は、浦島太郎について考えてみたいと思います。
「浦島太郎」から得られる教訓。
例えば、世間には以下のような教訓が散見されます。
◆浦島太郎は、虐められていた亀を助けました。
➡ 弱いものいじめをしてはいけません。見かけたら助けてあげましょう。
⇒ 勧善懲悪の勧め。/ 良いことを行い、悪いことは懲らしめて二度としないようにしましょう。そして世の中を良くしてきましょう。
◆浦島太郎は、助けた亀に竜宮城で接待を受けました。
➡ 良いことをしたら、良いことが訪れます。
⇒ この世は因果応報 。/ 良いことをしたら良いことが起きます。この逆もしかり。悪いことをしたら悪いことが起きます。なので、良い行いをしましょう、ご褒美をもらえます。
◆亀は浦島太郎を竜宮城へ連れて行き、助けてくれたお礼をしました。
➡ 助けてもらったら、お礼をする。
⇒ 恩義に報いる。借りは返す。/ 困っているときに助けてもらったら、きちんとお礼をしましょう。恩を仇で返すようなことはいけません。
◆浦島太郎は、乙姫が申し出た約束を守らず、玉手箱を開けたらお爺さんになってしまいました。
➡ 約束を破る人には罰があたえられます。
⇒ 社会は信頼関係で成り立っています。/ 約束を破れば信頼されなくなります。約束を守りましょう。
これらの教訓、私は是だと思います。
ただ、同時に疑問も生じます。
浦島太郎は亀を助けました(良い行いをしました)。
なのに、最後、故郷で待っていたものは、
①何百年も経っていて、
②両親は他界していて、
さらに! なんと! びっくり!
③本人の意志とは関係なく、突然お爺さんになってしまうのです!
な、なぜ!?
も、もしかして・・・
竜宮城で、
ご馳走を頂き、
鯛や平目の踊りを鑑賞し、
乙姫様といい仲になり・・
調子に乗ってしまったから?
「人間、調子に乗ってはいけません!」
「人間、良いことがあったからといって、調子に乗っていると、とんでもない不幸にみまわれます。しっぺ返しがあるのです」
というようなことを、云いたかったのでしょうか?
この度は
浦島太郎の源流を御伽草子に求めて
原文が伝えているものを
探ってみたいと思います
ただひたすら
原文を忠実に読み込んで
そこから得られる感慨を
大事にしたいと思います
使った資料は、
・原文が掲載されている「岩波文庫」と、
・私が使っている「古語辞典」です。
【資料の出典】
〔浦島太郎の原文〕
・「御伽草子 (下)」市古貞次 校注 /発行:㈱岩波書店、2007年発行:第26刷
※ここには、江戸時代(寛永年間 1661~1672年)に発行された「渋川版 御伽草子」の翻刻されたものが掲載されております。
・「角川 必携古語辞典 全訳版」/発行:角川書店、平成 9年発行:初版
※私が使用している古語辞典です。
(画像はイメージです/出典:photoAC)
【記事の構成について】
※目次にも書きましたが、原文を以下のように分けておりますこと、ご了承下さいませ。
・原文を要旨のかたまり毎、12個のブロックに分けました。
・さらに、計27個の段落に分けて、各々に解説を加えました(一部の、現代語に近くて分かりやすいものは、訳と解説を省略しています)
【現代語訳について】
・〔訳例〕原文にそって現代語訳しました。
・〔意訳例〕言外に想定される語句も含めて訳しました。意訳の楽しさを味わって頂きたく思います。
・〔省略〕原文が現代語に近く、分かりやすいものは訳を省略しました。
・〔改行と行間〕原文にはない改行と、行間を設けております。視覚的に読みやすくするためにです。
* * *
浦島太郎、亀を助ける
1.浦島太郎、亀を助ける
冒頭の亀を助けるシーン。
その源流はいかに!
〔◆原文1〕
昔丹後国に、浦島といふもの侍りしに、その子に浦島太郎と申して、年の齢二十四五の男有りけり。明け暮れ海のうろくづをとりて、父母を養ひけるが、ある日つれづれに、釣をせんとて出でにけり。
※「丹後国」/旧国名の一つ。京都府の北部。丹後半島のある辺り。
※「うろくづ」/①鱗 ②魚
若狭湾に面して丹後半島があります。
(画像は現在の地政図/出典:yahooマップ)
*
〔◆原文2〕
浦々島々、入江々々、至らぬ所もなく、釣をし、貝を広い、みるめを刈りなどしける所に、ゑしまが磯という所にて、亀を一つ釣り上げる。
※「みるめ」/〔海松布〕海藻の名。
※「ゑしまが磯」/不明:丹後半島にもその周辺にも見当たりません。/同じ音の、淡路島の北端に浮かぶ小さな「絵島(ゑしま)」を想像して用いたのかもしれません。
*
〔◆原文3〕
浦島太郎此亀にいふよう、「汝、生有るものの中にも、鶴は千年、亀は万年とて、命久しきものなり。忽ちここにて命をたたん事、いたはしければ、助くるなり。常には此恩を思ひ出すべし」とて、此亀をもとの海にかへしける。
※いたはしければ/「いたはし(労はし)」+「けり」の己然形+「ば」
「いたはし」/①苦労だ。 ②痛い。苦しい。 ③苦しいほど心にかかる。大事に思われる。
〔訳〕(命を絶つことは)苦しいほど心にかかるので、
〔◆原文1/現代語訳は省略しました〕
〔◆原文2/現代語訳は省略しました〕
・「浦々島々」とあります。だから、浦島という名前にしたのですね、たぶん。
・「亀を一つ釣り上げる」とあります。釣ったわけですから、重さ大きさともに釣れるサイズの亀であることが分かります。
現代に伝わる浦島太郎との大きな違いです。原文に登場する亀は、人が跨って乗れるような大きな亀ではありませんでした。
・冒頭に「丹後国」とあります。そして、亀は「ゑしまが磯」で釣り上げています。
・でも、丹後半島の辺りに「ゑしまが磯」は見あたりません。そこで、周囲をあたってみると、丹後から遠く離れた淡路島の北端に「絵島(えしま)」という、同じ音の島が存在していることが分かります。
・ただ、丹後半島の辺りから淡路島の北端にある「絵島」に通うことは現実的にはありません。
・想像ですが、丹後半島のどこかの磯に「絵島」に似たような所があったので、「ゑしまが磯」という言い方をしたのかもしれません。
・勿論、これはお伽話なので、理屈は二の次であります。
(画像はイメージです/出典:photoAC)
「命をたたん事、いたわしければ、助くるなり」
亀の命を助けた理由について、明確にしておくことは大事です。
なぜなら、ひとつの命を生かすか殺すかの理由は、浦島太郎の思想信条を現わすからです。以下のQ&Aのサンプルで、もしも Ans4以外の理由であったとしたら、この物語の内容は、最後の夫婦明神には繋がらなかったと思われます。
Q:何故、亀を助けたのでしょうか? 次の中から相応しい理由を選びなさい。
Ans1:両親と自分の三人分の亀鍋にするには、小さくて物足りなかったから。
Ans2:以前にも釣って亀鍋にしたことがあるが、美味しくなかったから。
Ans3:万年も生きる亀を殺したら、天罰が下ると思ったから。
Ans4:万年も生きる命を絶つことは、心苦しいから。
「常には此恩を思ひ出すべし」
・対小動物に対する(弱者に対する)上から目線で語られています。
・そして、浦島太郎に情深い性質という性格付けがおこなわれています。
・最後まで読んでから気が付くのですが「此恩を思い出すべし」は、読者へ向けてのメッセージ(情けを受けたら感謝しなさい)のつもりだったのかもしれません。
※以下に「意訳例」を掲出します。
意訳(free translation)は鑑賞の幅を広げ、原文を味わいやすくしてくれる効果的な方法です。(以下、最後まで同じです)
〔◆原文3/意訳例〕
「この亀を、今日の収穫として数え、家に持ち帰り亀鍋にして食べようか・・いやいや、この世の全ての生き物には命というものがある。中でも、鶴は千年、亀は万年生きるらしい。それを思えば、万年生きる命を奪ってしまうのは、とても心苦しい。
亀よ、汝を助けてあげよう。亀よ、常日頃、この温情を忘れるではないぞ」
というようなことを亀に言って、情深き浦島太郎は、亀をそっと海へ返したのでありました。
* * *
(画像はイメージです/出典:photoAC)
女性との遭遇
2.女性との遭遇
原文では、亀は現れません
でも・・・
船に乗った女性が一人、海上に!
〔◆原文4〕
かくて浦島太郎、其日は暮れて帰りぬ。又次の日浦の方へ出でて、釣をせんと思ひ見ければ、はるかの海上に、小舟一艘浮べり。怪しみやすらひ見れば、美しき女房只ひとり波にゆられて、次第に太郎が立ちたる所へ着きにけり。
※やすらひ/「やすらふ」①ためらう ②とどまる。足をとめる。滞在する。 ③(近世)いこう。休息する。
※女房/「にょうぼう」/①宮中に使える高位の女官 ②貴人の家に仕えている女性 ③妻 ④婦人、女性
*登場する「女房」のことを、多くの現代語訳は「乙姫様」と訳しています。でも、その女房が、この時点で乙姫様であるかどうかは分かりません。
なので私は、この記事の現代語訳では「女性」と訳しました。
*
〔◆原文5〕
浦島太郎が申しけるは、「御身いかなる人にてましませば、かかる恐ろしき海上に、ただ一人乗りて御入り候やらん」と申しければ、
※御入り候/「おんいりさうらふ」/①おはいりになります ②(尊敬語)いらっしゃる。おいでになる。
※やらん/「やらむ」/①(疑問・推量)~だろうか。②(遠回しに言うのに用いる)~とかいうことだ。
*
〔◆原文6〕
女房いひけるは、「さればさる方へ便船申して候へば、折ふし波風荒くして、人あまた海の中へはね入れられしを、心ある人ありて、自らをば此はし船に乗せて放されけり。悲しく思ひ鬼の島へや行かんと、行方知らぬ折ふし、ただ今人に逢ひ参らせさぶらふ。此世のならぬ御縁にてこそ候へ。されば虎狼も、人を縁とこそしさぶらへ」とて、さめざめと泣きにけり。
〔◆原文④/現代語訳は省略しました〕
〔◆原文5/訳例〕
浦島太郎は女性に尋ねました。
「貴女様は、いったいどのような御身分の方なのですか。このような怖い海の上に、どうしてたったお一人でいらっしゃるのでしょうか?」
・二人の会話には「御入り候」「候へ」「さぶらふ」など、尊敬語、丁寧語がお互いに使われています。この丁寧さは、物語全体の品位を保つ役割を担っているように、私は感じます。
・そして、女性の身なりは、決してみずぼらしいものではなかった・・立派なものだった、という想像をしてもいいのかもしれません。だとすれば、竜宮城という立派な御殿の輝きにも通じていきます。
〔◆原文6/訳例〕
女性が口を開き、そして言いました。
「はい。実は、ある人に船に乗せて頂いたのですが、天候悪く嵐に逢ってしまい、多くの人たちが海に投げだされました。そんな中、親切な人が私をこの船に乗せて海に放ってくださったのです。私は、一人悲しく思い、もしかしたら鬼のいる島に行きついてしまうのではないか、いったい何処へ流されてしまうのか・・不安に思っていたところ、今、神様が貴方様に逢わせて下さいました。
これは、有りえないことですから、きっと前世からのご縁だと思う次第でございます。そうなんです、虎や狼などの獣でも、人に会えばそれを縁があると思うのでございますからね」
と、さめざめと泣いたのでした。
「さめざめと泣きにけり」
・この表現は次の段落でも、ずっと後の浦島太郎が竜宮城から帰る場面でも〔◆原文18〕、計3回使われています。よく泣く人だなぁ・・というのは、私の印象です。
「さめざめと泣く」は「決して大きな声を出して泣いてはいないけれども、沢山の涙を流して、静かに泣き続けている」という様子です。
・相手に、そのように泣き続けられたら「なんとかしてあげたい」と思うのは人情ですね。
・そして、時には、だまされてしまうこともあるのです。くわばら、くわばら・・・
〔物語の中、登場人物に泣かせることについて〕
一般的には、読者の感情により強く訴えることができる、その登場人物の性格や置かれている状況に輪郭を付けて印象づけられる、 という効果があります。
* * *
(画像はイメージです/出典:photoAC)
浦島太郎の女性への対応
3.浦島太郎の女性への対応
女性を船で
10日間もかけて故郷へ送る
優しい浦島太郎でありました
〔◆原文7〕
浦島太郎も、さすが岩木にあらざれば、あはれと思ひ、綱を取りて引き寄せにけり。
※岩木/石と木。非情のもののたとえにもいう。
*
〔◆原文8〕
さて女房申しけるは、「あはれわれらを本国へ送らせ給いてたび候へかし。これにて捨てられ参らせば、わらはは何処へ何となりさぶらふべき。捨て給ひ候はば、海上にての物思いも、同じことにてこそ候はめ」と、かきくどきさめざめと泣きければ、浦島太郎もあはれと思ひ、同じ船に乗り、沖の方へ漕ぎ出す。かの女房の教へに従ひて、はるか十日余りの船路を送り、故郷へぞ着きにける。
※「かきくどき」/かきくどく/くどくどと繰り返して云う。愚痴をこぼす。
※われら/①我々。私たち。 ②わたくし。卑下の気持ちを表す。
※わらは/自称。わたくし。女性が自分をへりくだっていう語。
※「われら」と複数形になっています。でも「ただ一人乗りて御入り候やらん(◆原文5)」です。複数形の理由は不明です。
もしかして「私を船と一緒に」という意味なのかもしれません。その直後の「わらはは何処へ何となり~」と、ここでは一人称になっていますので。
・意訳すると、こんな感じではないでしょうか。
・原文は一行ですが、意訳という作業を試みると、以下の通りこんなに長くなったりもします。でも、ここには、作品を鑑賞するという楽しさ面白さが生まれます。ここに意訳する意味が生じます。
〔◆原文7/意訳〕
浦島太郎も人の子です。
女性が泣きながら話す姿を見て「ああ、そうですか。でも私には関係のないことです」なんて非情なことは言えません。
浦島太郎の心は自然と動き出しました。
浦島太郎は女性の身の上を ”あはれ” と思い、なんとか助けてあげたいと思ったのです。
浦島太郎は、船の綱を手に取り、船を自分の身体の方へ引き寄せました。
〔◆原文8/訳例/「 」内〕
「どうかお願いでございます。ああ、私を本国へ帰らせてくださいませ。このまま、もしも捨てられるようなことになりましたら、私はいったい何処へ行って、どんなふうになってしまうのでしょうか。もしも捨てられてしまったら、海の上で彷徨い悲しんでいたときと、同じことでございます」
〔◆原文8/続き:意訳〕
・・と、突然現れた女性が、さめざめと泣きながら訴えるのです。
浦島太郎も人の子。その女性の身を、さらに ”あわれ” に思いました。
そして、自分がなんとかして助けてあげるんだと思い、女性の云うことに従うことにしました。
浦島太郎は女性が乗ってきた船に乗り、女性の云われるままの進路をとって一路十日余り。
浦島太郎はその女性と一緒に、女性の故郷へ到着したのでありました。
「さめざめと泣きにければ」
・同じ表現が前段落にも、後半の〔◆原文18〕にも使われています。
「浦島太郎も、あはれと思ひ」
・「も」は、①同類の事柄を付け加えたり、同類の事柄があることを言外に示したりする場合と、②強調(打消しの語を伴って使う)③感動、感嘆(副詞、副詞的な語に付いて使う)・・など、複数の意味と用途があります。
・私の解釈は①の意味を採用して、〔この女性の状況に、読者の皆さんは ”あはれ” と思いますよね〕→〔浦島太郎も同じでですよ〕という理解をしました。
つまり、読者に共感をさせて、読者を物語の中に引き込むわけです。
* * *
(画像はイメージです/出典:photoAC)
銀の築地に、金の甍
豪華な住居に到着しました
4.豪華な住処に到着しました
ここは何処?
銀の築地に、金の甍!
なんて豪華な住処なのでしょうか!
〔◆原文9〕
さて船より上がり、いかなる所やらんと思へば、銀の築地をつきて、金の甍をならべ、門を立て、いかならん天上の住居も、これにはいかで勝るべき。此女房のすみ所、ことばにも及ばれず、中々申すもおろかなり。
※築地/ついぢ/柱を立て、板を芯として泥で塗り固め、屋根を瓦にふいた垣。土塀。
※甍/いらか/①屋根のいちばん高い所 ②屋根に乗せる瓦。また、瓦ぶきの屋根。
※中々/なかなか/①中途半端に ②かえって、むしろ。反対に。 ③(打消しの語を伴って)とても。どうしても。とうてい。
※おろか/①いい加減な様。②ことばではとても本当のことを言い尽くせないほどだ。 ③賢くない。 ④劣っている。
「中々申すもおろかなり」
・この一言で、目の前に広がる景色が、もしも口を開いたら陳腐になってしまう、形容し難い素晴らしいものであることが伺えます。
*
〔◆原文9/意訳例〕
さて、船より降りて、この女性の故郷とはいったいどのような所なのかと思いながら進んでいくと、なんという立派さでありましょうか。
豪華な門構えがあり、その両側に続いている土塀は、なんと銀で造られていてピカピカ光っていました。
さらに、土塀の上の瓦は全てが金! 眩しいばかりです。
こんなに素晴らしい住処は、世の中のどこにもありません。この女性の、この住処、言葉ではとても本当のことを言い尽くせないほど、素晴らしいものでした。
* * *
(画像は連理の枝のイメージ/筆者撮影:明治神宮の夫婦楠)
プロポーズ/夫婦の契り
5.プロポーズ/夫婦の契り
女性は浦島太郎に求婚!
太郎は承諾!
そして織り成す夫婦生活
その仲の良さ!
〔◆原文10〕
さて女房の申しけるは、「一樹の陰に宿り、一河の流れを汲むことも、皆これ他生の縁ぞかし。ましてや遥かの波路を、はるばると送らせ給う事、ひとへに他生の縁なれば、何かは苦しかるべき、わらはと夫婦の契りをもなし給ひて、同じ所に明し暮し候はんや」と、こまごまと語りける。
※ぞかし/係助詞「ぞ」+終助詞「かし」/強く断定して、念を押して言うのに用いる。~なのですよ。
※何かは/「なに」+「か(係助詞)」/①何が~か?。 ②どうして(なぜ)~か?。 ③(反語表現に用いて)どうして(なぜ)~か?(~ではありません)
※苦し/「くるし」/①痛みや悩みがあってつらい。 ②(下に打ち消しや反語の表現を伴って)差支えがある。不都合だ。 ③いやだ。不快だ。
※「何かは苦しかるべき」/〔訳〕いったいどんな不都合がありますでしょうか? ありませんですよ。
※候はんや/丁寧語「候」+係助詞「は」+推量の助動詞「ん」+疑問の係助詞「や」….と思われます。
〔意訳例〕「(一緒に毎日を暮らして)いただけませんでしょうか」
*
〔◆原文11〕
浦島太郎申しけるは、「ともかくも仰せに従うべし」とぞ申しける。
さて偕老同穴の語らひも浅からず。天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝とならんと、互いに鴛鴦の契浅からずして、明し暮させ給ふ。
※ともかくも/①どのようにでも。なんとでも。 ②(下に打消しの語を伴って)どうとも。なんとも。
※べし/ 助動詞「べし」には様々な意味があります。①推量 ②予定 ③当然・義務。~そうする必要がある。 ④適当。~のがよい。⑤勧誘・命令 ⑥意志・決定 ⑦可能。~できそうだ。
「ともかくも仰せに従うべし」:末尾「べし」の解釈は〔②の予定〕が妥当だと思います。
ただ、私は次に来る文章(さて偕老同穴~)も考えに入れて、ニュアンスとしては③当然・義務の意味が含まれると解釈しました。現代語に訳した時には大きな違いはありません。
〔訳例〕なんとでも(貴女様の)おっしゃることに従いましょう。
※浅からず/「浅から(「浅し」の未然形)」+「ず(打消しの助動詞)」/浅くはない⇒深い
*
【慣用句/ことわざ、四字熟語、故事成語をまとめて解説】
・「他生の縁」/たしょうのえん/・ちょっとしたことにも前世の縁があるという解釈。「袖振り合うも他生の縁」という慣用句の一部です。
・「偕老同穴」/かいろうどうけつ/・一緒に暮らして老い、同じ墓に入ること。転じて仲のいい夫婦の意味。
・「比翼の鳥」/ひよくのとり/・男女、夫婦仲がよいことの例えに用いられる。
・「連理の枝」/れんりのえだ/・男女、夫婦仲がよいことの例えに用いられる。
・「鴛鴦の契り」/えんおうのちぎり/夫婦仲がよいことの例えに用いられる。
〔◆原文10/意訳例〕
ところで、その女性が言うには、
「見知らぬ者同士が、1本の木陰に涼を求めて身を寄せたり、同じ川の水を汲んで咽喉の渇きを癒すことがありますが、それだって前世から続く縁があるからなのですよ。
ましてや、貴方様は私を船に乗せて、この海をはるばるこんな遠くまで送ってくださいました。これはひとえに、私と貴方様との間には、他生の縁があるからでございます。
考えてみてくださいませ。私と貴方様との間に他生の縁があって、いったいどんな不都合がございますでしょうか。
お願いでございます。どうか、私と夫婦になることを約束させていただき、そして、私と一緒に毎日を暮らしていただけませんでしょうか」
と、言葉数多く仔細に渡って語ったのでした。
〔浦島太郎は、女性の申し出に、次のように返答をします。〕
〔◆原文11/意訳例〕
浦島太郎は、
「なんとでも、貴女様のおっしゃることに従いましょう」と、その女性に返事をしました。
さて、二人の仲の良さは偕老同穴という諺の如く深いものでありました。
その仲の良さは、たとえば比翼の鳥の如く、たとえば連理の枝の如く、そしてさらに、鴛鴦の契りが如く、二人の愛は深く深く、お互いを大事にして一心同体となり、毎日毎日仲良く暮らし続けるのでありました。
*
お伽話のお伽話である所以
ここから、二人の夫婦生活がはじまります。
ゑしまの磯で出会い、船を漕いで10日間。二人の交際期間はたったの10日間です。浦島太郎は残してきた両親のことには少しも触れず、女性の言いなりになって「はい、貴女の言うことに従いましょう」と言って夫婦になるのです。
そして、その夫婦生活の様子は、仲の良いこと、この上ありません。
偕老同穴、比翼の鳥、連理の枝、鴛鴦の契り、夫婦仲の良いことを表す熟語や故事成語のオンパレードです。
この辺りの話の運びは、とても強引で、お伽話のお伽話たる所以のように思います。だからこそ、面白く、先を読み進めていってしまう。そこに娯楽性があるのかもしれません。
両親のことはほったらかし・・、どうするのでしょうね。
この女性は、いったいどこの誰なのでしょうね。
でも、そんなことは、この時点ではどうでもいいことなのです。
これはお伽話なのです。
話を読み進めていきましょう。
* * *
(画像はイメージです/出典:photoAC)
ここは竜宮城!
東南西北に春夏秋冬がある
6.ここは竜宮城!/東南西北に春夏秋冬がある
やっぱり、
ここは竜宮城!
でも鯛や平目は登場しません
東南西北には春夏秋冬
〔◆原文12〕
さて女房申しけるは、「これは竜宮城と申すところなり、此所に四方に四季の草木あらはせり。入らせ給へ、見せ申さん」とて、引具して出でにけり。
※あらはせり/「あらはす」+「り(完了の助動詞)」/①見えるように表へ出す。さらけだす。 ②打ち明ける。 ③新しく作り出す。 ④神仏や高僧が霊験を示す。
※引具して/「引き具す」/①引き連れて。 ②そなえる。身につける。
*
〔◆原文13〕
まず東の戸をあけて見ければ、春の景色と覚えて、梅や桜の咲き乱れ、柳の糸も春風に、なびく霞のうちよりも、鶯の音も軒近く、いづれの小末も花なれや。
※情景描写は七五調で書かれています。
※なので、声に出して読むと、そのリズムの良さを体感できます。以下、夏、秋、冬の描写も同じです。
*
〔◆原文14〕
南面を見てあれば、夏の景色とうち見えて、春をへだつる垣穂には、卯の花や、まづ咲きぬらん、池の蓮は露かけて、汀涼しきさざなみに、水鳥あまた遊びけり。木々の梢も茂りつつ、空に鳴きぬる蝉の声、夕立過ぐる雲間より、声たて通るほととぎす、鳴きて夏やと知らせけり。
※うち見えて/「打ち見る」/「うち」は接頭語。ちょっと見えて。
※へだつる/「へだつ」+「る(完了の助動詞「り」の連体形)」/①物でさえぎる。 ②時間をおく。 ③遠ざける。
※垣穂/「かきほ」/垣根
※汀/「みぎは」/水のほとり。水ぎわ。
※ほととぎす/初夏を知らせる鳥として、当時の人々は、ほととぎすが鳴くのを心待ちしていました。百人一首にも登場します。以下を参考にして下さいませ。
【参考】
日本の名月⑥/ほととぎす~ただ有明の月ぞ残れる/百人一首81番歌
*
〔◆原文15〕
西は秋とうち見えて、四方の梢も紅葉して、籬の内なる白菊や、霧たちこむる野辺の末、真萩が霧を分け分けて、声ものすごき鹿の音に、秋とのみこそ知られけれ。
※四方/「よも」/①ある場所を中心にして、その東西南北。また。前後左右。 ②あちらこちら。
※籬/「ませ」/竹や木で作った低くて目の粗い垣根。まがき。
※野辺/「のべ」/野原
※真萩/「ま(真)」は接頭語。萩の総称。萩を殊更美しく表現したものという理解でよいかと思います。
*
〔◆原文16〕
さて又北をながむれば、冬の景色とうち見えて、四方の木末も冬がれて、枯葉に置ける初霜や、山々やただ白妙の、雪に埋るる谷の戸に、心細くも炭竃の煙にしるき賤がわざ、冬と知らす気色哉。
※木末/「こずゑ」/木の先端、梢。
※白妙/「しろたへ」/①白い布。 ②白いこと。白い色。
※谷の戸/谷が始まる辺りのこと
※炭竃/すみがま/「竃」は「かまど」/炭を作るかまど
※しるき/「しるし(著し)」/①はっきりと目だっているさま。明瞭だ。 ②予想どおりだ。
※賤/「しづ」/身分が低くて卑しいこと。身分の低い人。
・ここで「身分の低い人」を引き合いに出した理由を知りたくなりますが、不明です。時代背景としては、士農工商が見えてきます。
※わざ/業・態・事/①行い。 ②仕事。 ③方法。技術。④ありさま。
※「女房」には、「宮中に使える女官」の他に、「妻」と「婦人・女性」という意味があることは、先に書きました。
※訳では前段まで「女性」と訳していましたが、このブロックからは夫婦の契りを結んだ後ですので、以下は「女房」をそのまま「女房」と表記して、太郎の妻として伝わるようにしました。
〔◆原文12/意訳例〕
女房は太郎に申しました。
「ここは、竜宮城と申す所で、この四方には、四季折々の草花や自然の営みを味わうことができる景色が広がっています。どうぞ、お入り下さいませ。お見せいたしましょう」
と言って、女房は太郎を引き連れて、その場所へ出ていきました。
竜宮城の春夏秋冬です
〔◆原文住13/訳例〕
まずは東の戸を開けてみれば、どうやらそこは春の季節のようです。
梅の桜の花が咲いています。いいえ、梅や桜だけではありません。
柳の枝は風に揺れ、霞がなびいている中からは、鶯の鳴く声が軒近くに聞こえてきます。
そしてさらに、どの木の枝の先にも綺麗な花が咲き誇っていました。
(画像はイメージです/出典:photoAC)
〔◆原文14/訳例〕
南側に面する方を見てみると、そこはどうやら夏の景色のようです。
春との境になっている垣根には、まずは卯の花が咲いています。
そして、池に咲いている蓮の花には綺麗に散りばめたような露がいっぱい付いています。
水際にはさざ波が立って涼しげな様子を醸し出しています。
空には蝉が鳴き、夕立の通り過ぎていくその雲の間からはホトトギスの鳴く声が聞こえてきます。
ホトトギスは鳴いて、夏が来たことを知らせていたのです。
(画像はイメージです/出典:photoAC)
〔◆原文15/訳例〕
西の方を見れば、どうやらそこは秋のようです。
あちらこちらの木々の梢は色付き紅葉しています。
垣根の内側に咲いている白菊や、霧が立ち込めている野原のずっとはずれの方には、鹿が真萩に降りた露をかき分けながら鳴いています。
その鹿の鳴き声に、ああ秋なのだと、しみじみ感じました。
(画像はイメージです/出典:photoAC)
〔◆原文16/訳例〕
さて、同じようにして、今度は北です。
北を眺めればどうやら冬の景色のようです。
あちらこちらの木々の梢は冬枯れしています。
枯葉には初霜が降り、山々は真っ白く雪化粧されています。
そして、雪に埋もれた谷の入り口辺りには、炭焼き小屋から細い筋の煙が立ち昇っています。
それはまさしく身分の低い人の暮らしであり、その物悲しさが、冬であることを知らせてくれています。
(画像はイメージです/出典:photoAC)
* * *
三年の月日が流れました
太郎は三十日の暇を希望
7.三年の月日が流れました
幸せな毎日を過ごして
月日は三年
浦島太郎は
故郷に残した両親のことが
心配になりました
〔◆原文17〕
かくておもしろき事どもに、心を慰み、栄花に誇り、明し暮し、年月をふる程に、三年になるは程もなし。浦島太郎申しけるは、「われに三十日の暇をたび候へかし。故郷の父母を見すて、かりそめに出でて、三年を送り候へば、父母の御事を心もとなく候へば、あひ奉りて、心やすく参り候はん」と申しければ、
※おもしろき/「おもしろし(面白し)」の連体形/①心が浮かれて楽しい ②快く感じる ③興味深く感じられる。趣がある。/ここでは、①②両方の意味で解釈したいと私は思います。
※慰み/「なぐさむ(慰む)」の連用形/「慰む」にはいろいろな意味がありますが、ここは単純に「楽しみ」でよいかと思います。
※栄花/栄えて世に時めくこと/浦島太郎が ”人生の絶好調を感じていた時期” という解釈をしてたいです。
※かりそめに出でて/「かりそめ」/①一時的なさま。その場限りだ。②根拠がない。偶然だ。ふとしたことだ。 ③軽はずみなさま。いいかげんだ。
・後々、浦島太郎は歌を詠みます。(ブロック9/◆原文21、ブロック10/◆原文23)
そこでも浦島太郎は「かりそめ」という表現を用いています。
浦島太郎は女房との出会い方が「かりそめ」だと言っているのです。
この「かりそめ」は、このお伽話の中のキーワードだと、私は思っています。
なぜなら「かりそめ」なのに・・・最後は「永遠(夫婦明神となる)」からです。
そこには「縁」と「情け」をどのようにとらえるのかが、人生を生きるテーマとして浮かび上がってくるのではないかと思います。
「それが人生の機微というものさ」と言ってしまえばそれまで。そう言わずに、人生を「縁」と「情け」から考えてみるだけでも、この原文を読む価値はあると思います。
*
〔◆原文18〕
女房仰せけるは、「三年が程は、鴛鴦の衾の下に比翼の契りをなし、片時見えさせ給はぬさへ、とやあらん、かくやあらんと心をつくし申せしに、今別れなば、又いつの世にか逢ひ参らせ候はんや。二世の縁と申せば、たとひ此世にてこそ夢幻の契にてさぶらふとも、必ず来世にては、一つ蓮の縁と生れさせおはしませ」とて、さめざめと泣き給ひけり。
※鴛鴦の衾(ゑんあうのふすま)/鴛鴦はオシドリのこと。オシドリは雄雌がいつも一緒にいて仲が良いことから、夫婦や男女の仲の良いことを指しています。
※比翼の契り/夫婦の契りをすること。つまり夫婦として床を同じくして愛し合うこと。
※二世の縁/「二世」は仏教語で現世と来世。この世とあの世。
:つまり、夫婦は ”あの世でも結ばれる運命にある” ということです。それくらい、夫婦の縁というものは強いものなのです・・という、仏教上の解釈です。
※蓮の縁/「蓮」は植物のハスのことですが、汚れた泥の中から出ても正常な花を咲かせるので、仏教では極楽浄土に生えるとされています。/なので、ここは「極楽浄土でお逢いできる縁」という解釈が良いかと思います。
〔◆原文17/意訳例〕
このようにして、浦島太郎は楽しいことを沢山経験しました。そして、人生最高の時間を過ごしながら、日々明け暮れしているうちに、三年もの年月が経っていました。
浦島太郎は女房に伝えました。
「私に三十日間の暇をください。故郷の父母を見捨てて、ほんの一時のつもりで出てきた私ですが、さすがに三年も過ぎると父母の事が心配でなりません。父母に会って、父母の無事を確認して、安心したいのです」
と言うと、
〔◆原文18/意訳例〕
女房が浦島太郎におっしゃることには、
「三年の間、私と貴方様とは、鴛鴦が描かれたふすまのある部屋で、同じ床に寝て夫婦の約束を交わし続けてきました。そして、私は貴方様の姿が少しでも見えないと、どうしたのかしら、貴方の身にいったい何があったのかしら・・と、貴方様に心を尽くしてきました。なのに、今別れてしまったら、次に会えるのは、いったいいつの日になるのでしょうか。
夫婦というものは、現世だけでなく来世にも繋がっております。なので、たとえこの世での私と貴方様との夫婦の契りが、夢や幻の契りであったとしましても、来世では極楽浄土でお逢いできるように、どうかお生まれになっていただきたく思います」
と言って、さめざめと泣かれるのでありました。
*
◆疑問がわいて・・
コーヒーブレイク:その1
疑問に思いませんか?
浦島太郎は、「三十日の暇をください」と言ったのです。
浦島太郎は、竜宮城に帰ってくるつもりだったはずです。
竜宮城までの航海は十日間でした。故郷の ”ゑしまが磯” へ帰る旅は、往復二十日。故郷に滞在する時間は十日間・・というのが、浦島太郎の計画だったように思えます。
なのに、女房は、
「今別れなば、又いつの世にか逢ひ参らせ候はんや」(今別れたら、またいつの世にお逢いできるのでしょうか)と返答しました。
何故でしょうか?
何故「今別れたら」と返答したのでしょうか?
二人は夫婦なのですから、
女房が夫に返答をするのなら、
「気を付けて行ってらっしゃいませ。お父様お母様によろしくお伝えくださいませ」ではないですか?
・・・女の勘?
いろいろな解釈を
楽しんでみましょう
浦島太郎の暇が欲しいという申し出の中に、竜宮城に飽きた(自分にも飽きた)という太郎の心を、女房は読み取ったからだと、私は思いました。
浦島太郎が、もしも本当に父母が大事ならば、三年もの間、父母を放ってはおかないでしょう、たぶん。
竜宮城へ来て、すぐにでも、申し出るはずです。
「一旦、帰らせて下さいませ。父母に事情を話して、また此処に来させていただきます」というようなことを、普通なら言うと思うのだけれども・・・
つまり「父母の御事を心もとなく候へば(父母のことが心配に思われるので)」というのは、女房から離れる浦島太郎の口実なのです。
そして、浦島太郎はうかつにも「かりそめに出でて」と、貴女を竜宮城へ船で送ったのは「かりそめ」だったと口にしてしまいました。
みなんさんご自身のことを想像してみてください。もしも、ずっと付き合ってきた恋人に「かりそめに会ったんだからね」と言われたら、あまりいい気分はしないのではないでしょうか。
「かりそめに出でて」だなんて、「かりそめ」という言葉を使う気持ちには、竜宮城のことをもう特別なものとは思っていない、浦島太郎の陳腐な飽きた気持ちが伺えます。
女房は、浦島太郎の申し出の中に、そのようなことを読み取れたので、もしや、太郎は、故郷へ帰ってそのまま、竜宮城へは戻らないのではないかしら・・・と、
女房がそう思っても不思議ではないと、私は思いました。
*
所詮はお伽話・・というような視点は横に置いておいて、いろいろな解釈をして、鑑賞そのものを楽しんでみましょう。
正解を求めるのではありません。
正解なんかなくていいのです。
解釈すること自体を楽しむ、それは鑑賞の楽しみのひとつです。
* * *
(画像はイメージです/出典:photoAC)
女性、ついに告白!
「実は私、あの時の亀なんです」
8.実は私、あの時の亀なんです
女性はついに告白
そして、玉手箱!?
原文では「かたみ」「いつくしき箱」
と書かれています
〔◆原文19〕
又女房申しけるは、「今は何をか包みさぶらふべき。自らは、この竜宮城の亀にて候が、ゑしまが磯にて、御身に命を助けられ参らせて候、その御恩報じ申さんとて、かく夫婦とはなり参らして候。また是は自らがかたみに御覧じ候へ」とて、左の脇よりいつくしき箱を一つ取り出し、「あひかまへてこの箱をあけさせ給ふな」とて渡しけり。
※その御恩報じ申さんとて/「助けて頂いたお礼にお返しをしたいと思いまして」
・心理学で説明するならば ”返報性の原理” による行為です。誰かに何かをしてもらったら、その人に何かを返したくなる心理が行動として現れたものです。
・読み手に「何かの施しをしてもらったら、何かお礼をする。それが礼儀というものだ」という教えを説こうとしたのかもしれません。
もしもそうだとしたら、この原本は江戸時代の初期に世に出ましたが、鎌倉~室町時代の世相(方丈記〔13世紀初め〕に書かれている殺伐とした無常観)をひきずっているという背景があるのかもしれない・・私の想像です。
ならば、女房は浦島太郎に何を返したのでしょうか・・・?
・この物語では、女房は太郎に ”夫婦の契り” を返したわけです。
・命を助けてもらったのですから、夫婦の契りという「命がけのこと」を返しました。
・つまり、もらうものも、返すものも、ほぼ同等ですね。
※自らがかたみ/「私の形見でございます」/現代の浦島太郎の「玉手箱」という表現は、エピローグで詠まれている歌に表現されています。
・「かたみ」を渡す・・もう二度と逢えないかもしれない、いいや逢えないのです。という女房の思いが最大限に表されていますね。
※いつくしき箱/いつくし「美し」/①荘厳である。おごそかだ。 ②すぐれていて、立派である。 ③うつくしい。かわいらしい。
・ここでは「かわいらしくて、美しい箱」という解釈がきれいかな…と思います。
※あひかまえて/①心にかけて。気を配って。 ②(下に禁止・命令の語を伴って)決して。必ず。
*
〔◆原文20〕
会者定離のならひとして、会うものには必ず別るるとは知りながら、とどめ難くてかくなん、
日数へて 重ねし夜半の 旅衣 立ち別れつつ いつかきて見ん
浦島返歌、
別れ行く 上の空なる 唐衣 ちぎり深くは 又もきて見ん
※会者定離/えしゃじょうり/出会った者は必ず別れるという意味。
※とどめ難くてかくなん/?何を留めようとしたのでしょうか/「とどむ(留む)」には、①止める ②ひきとめる ③止める ④後に残す ⑤注意する。・・といろいろな意味があります。
訳例)(貴方様を)引き留めることは難しくて、歌を詠みました。
訳例)(別れが悲しくて流れる涙を)止めることができなくて、歌を詠みました。
【歌の解説】
◆日数へて 重ねし夜半の 旅衣 立ち別れつつ いつかきて見ん
訳例)
何日も何日も、旅衣を身にまとい寝床を重ねてきた貴方様、私と別れたその後には、いつ逢いに来てくださるのでしょうか。
※旅衣/たびころも/古語辞典には「旅で着る衣服」と書かれています。
※言外には「もう、逢いにきてくださることは、ないのでしょうか。そうですよね、きっとそうなんです・・私たちはもう二度と逢えないのです」というような感情が読み取れます。悲しい歌です。
◆別れ行く 上の空なる 唐衣 ちぎり深くは 又もきて見ん
訳例)
貴女様の元を去ろうという今、私の心はざわざわして落ち着いていません。私は思います。この契りが深ければ、唐衣を着ていらっしゃる貴女様に、またお逢いできると思います。
※唐衣/中国風の衣服。転じて、美しく珍しい衣服をもいう。
〔「ちぎり深くは」/この解釈について〕
*ひとつの解釈は、
「契り(床を共にして愛し合うこと。夫婦関係を約束すること)」には、「浅い契り」もあれば「深い契り」もあるということです。
・世の中は常に相対でできていることを、ここで証明しています。今も昔も同じですね。
・さて、浦島太郎と女房との”契り”は、浅かったのでしょうか、深かったのでしょうか?
・浦島太郎は、それを濁しています。女房に対して、誠意に欠ける卑怯だと思われる部分です。
*もうひとつの解釈は、
浦島太郎は「もしも契りが深ければ~」と仮定を述べているのですから、そこには「この契りは深くはないので…」という気持ちが透けて見えます。
・浦島太郎は上手に返歌したつもりかもしれないけれども、実は、とっても冷たい心をさらけ出してしまったのです。
あれだけ、偕老同穴、連理の枝、比翼の鳥・・と形容されるように愛し合ってきたのです。
なのに、この始末です。
ここには、愛の無常を感じざるおえません・・という意味において、これも悲しい歌です。
二人は、お互いの運命を悟り、悲しい歌を詠み合ったのでした。
*
〔縁語〕この二首には縁語が含まれています。
・「衣」と「「立つ(裁つ(別れる)」、「衣」と「きて(来て)と(着て)」と縁語の関係にあります。
〔◆原文19/意訳例〕
さらに、女房は太郎に申すのでした。
「今となっては、何を包み隠しておく必要があるでしょうか。いいえ、ございません。実は、わたくし、この竜宮城を住まいとする亀なのでございます。びっくりなさらないでくださいませ。わたくしは、あの時、ゑしまが磯にて、貴方様に命を助けていただいた亀なのでございます。わたくしは、貴方様から頂いた御恩を忘れるわけにはいきません。なので、その御恩に報いたく思い、このように夫婦の契りを結ばせていただきました。
・・それから、これは私から貴方様への、わたくしの形見の品でございます」
と言って、左の脇から、厳かな美しい箱をひとつ取り出し、
「決して、お開けならないでくださいませ」
と言って、その箱を太郎に渡しました。
〔◆原文20/意訳例〕
会者定離という言い伝えの通り、全ての出会いには必ず別れが待っているという定めを知ってはいるものの、女房は溢れる涙を止めることもままならぬまま、太郎に歌を贈りました。
日数へて 重ねし夜半の 旅衣 立ち別れつつ いつかきて見ん
〔何日も何日も、旅衣を身にまとい寝床を重ねてきた貴方様、私と別れたその後には、いつ逢いに来てくださるのでしょうか。〕
浦島太郎は返歌を詠みました。
別れ行く 上の空なる 唐衣 ちぎり深くは 又もきて見ん
〔貴女様の元を去ろうという今、私の心はざわざわして落ち着いていません。私は思います。この契りが深ければ、唐衣を着ていらっしゃる貴女様に、またお逢いできると思います。〕
*
(画像はイメージです/出典:photoAC)
浦島太郎
故郷へ帰る波路にて
歌を詠む
9.浦島太郎、故郷へ帰る波路
名残りを惜しみながら
不安な思いを歌に詠みます
〔◆原文21〕
さて浦島太郎は、互いに名残り惜しみつつ、かくて有るべきことならねば、かたみの箱を取り持ちて、故郷へこそ帰りけれ。忘れもやらぬ来し方、行く末の事ども思ひ続けて、遥かの波路を帰るとて、浦島太郎かくなん、
かりそめに 契りし人の おもかげを 忘れもやらぬ身をいかがせん
※かりそめ/「かりそめ」/①一時的なさま。その場限りだ。②根拠がない。偶然だ。ふとしたことだ。 ③軽はずみなさま。いいかげんだ。
・浦島太郎にとって、女房との夫婦の契りは「かりそめ」なのです。全く考えてもいなかったことが身の上に起こったわけですから、そう思うのはしかたがないことなのかもしれません。なので、せめてここは、①ではなく②の意味で解釈したいと、私は思います。
・ただ、そもそも「出会い」というものは、そういう性質のものかもしれませんね。
※忘れもやらぬ/「忘れ」+「も(強調)」+「やら(「やる」の未然形(下に打消の語を伴い)「すっかり~する」+「ぬ(打消しの助動詞「ず」の連体形)」/「すっかり忘れることができない」
〔◆原文21/意訳例〕
さて、浦島太郎は、お互いに別れの余韻に後ろ髪を引かれながらも、そのままじっとしているわけにはいかないと思い、女房のかたみの箱を手にして、故郷への波路を帰っていくのでありました。
浦島太郎は、故郷への長い波路を船に揺られながら、忘れもしない”あの日から今日までのこと”、そして” これから先々の事ことなど” あれこれといろいろ考えながら、その思いを歌に託しました。
かりそめに 契りし人の おもかげを 忘れもやらぬ身をいかがせん
偶然ではあったけれども、夫婦の契りを結んだあの人の面影を、私はすっかり忘れることはできない。ああ、この辛い思いをいったいどうしたらいいのだろう。
◆疑問がわいて・・
コーヒーブレイク:その2
少しばかり、あれれ・・?
と、思いませんか?
浦島太郎は、名残りを惜しみつつ、出逢いから今日までの事も思い出しつつ、女房との出会いは、やっぱり「かりそめ」という認識なのですね。
決して「私と貴女の ”運命の出会い!”」ではないのです。
女房が他生の縁と言い、運命的な出会いであることを示唆してもです。
さらに、
「忘れられないから、どうしよう」と詠んでいますが、女房のことを愛しているのなら、どうして「決して忘れません。必ず戻ってきます」と詠わなかったのでしょうか。
現代には「ワンナイトラブ」なんていう言葉がありますが、浦島太郎の思いとしては「スリーイヤーズラブ」だったのでしょうか・・・。
なんてことを、考えたりします。
お伽話ですからね、これくらいにしておきましょう。
*
(画像はイメージです/出典:photoAC)
故郷は人跡絶えはて
虎ふす野辺となりにけり
10.故郷は人跡絶えはて、虎臥す野辺となりにけり
故郷は野原と化し
なんと!
700年もの年月が経過していました
ああ、悲しき浦島太郎
・・・
〔◆原文22〕
さて浦島は、故郷へ帰り見てあれば、人跡絶えはてて、虎ふす野辺となりにけり。浦島これを見て、こはいかなる事やらんと思ひ、ある傍を見れば、柴の庵のありけるに立ち、「物いはん」と言いければ、内より八十ばかりの翁出であひ、「誰にてわたり候ぞ」と申せば、浦島申しけるは、「此所に浦島の行方は候はぬか」といひければ、
※虎ふす野辺/「虎でも隠れているような野原」/虎は日本には生息しておらず、ここでは想像(中国に生息しているらしい猛獣)で書かれています。/虎がそこらへんに寝そべって隠れているかもしれない・・それくらい荒れ果てていました、という解釈でよいかと思います。
*
〔◆原文23〕
翁申すよう、「いかなる人に候へば、浦島の行方をば尋ね候やらん、不思議にこそ候へ。その浦島とやらんは、はや七百年以前の事と申し伝へ候」と申しければ、太郎大きに驚き、こはいかなる事ぞとて、そのいはれをありのままに語りければ、翁も不思議の思ひをなし、涙を流し申しけるは、「あれに見えて候古き塚、古き石塔こそ、その人の廟所と申し伝へてこそ候へ」とて指をさして教へける。太郎は泣く泣く、草深く露しげき野辺を分け、古き塚に参り、涙を流しかくなん、
かりそめに 出でにし跡を 来て見れば 虎ふす野辺となるぞ悲しき
※塚/土などを高く持って築いた墓。一般に墓。
※廟所/ べうしょ「廟(べう)」所」/「廟」は死者の霊を祭る所。
〔◆原文22/意訳例〕
さて、浦島太郎が故郷に降り立ってみると、いったいどうしたことでしょう、かつて浦島太郎が暮らした故郷は人が住んでいる気配はなく、虎でも隠れているような荒野となっていました。
その光景を見て「いったいこれは・・どうしてこんなことになってしまったんだ!」と、浦島太郎が驚いていると、付近に柴でできた粗末な庵を見つけました。
「すみません、誰かいませんか?」
と浦島太郎が声をかけると、中から八十歳くらいと思しきお爺さんが出てきて「そなたは、いったいどなた様でいらっしゃいますか?」と申してきました。
なので浦島太郎は「昔、ここに住んでいた浦島という者が、何処へ行ったのか、ご存じないでしょうか」と尋ねてみました。そうすると・・、
〔◆原文23/意訳例〕
そのお爺さんは語りはじめました。
「そなた様はいったい、どこのどちら様でいらっしゃいますか。浦島の行方をお尋ねなさるとは、不思議なことでございます。なぜなら、その浦島とやらが住んでいた頃は、すでに700年も前のことだと思います」とお爺さんは申しました。
浦島太郎は、それを聴いてとても驚き、これはいったいどうしたことかと思いながら、浦島太郎が事のいきさつを正直に語り伝えると、お爺さんは、それは不思議なことだという顔をして、涙を流しました。
そして、涙を流しながら、
「あそこに見える、土を盛った古いお墓をご覧くださいませ。あそこに立っている古い石塔こそが、浦島という方のお墓だと、言い伝えられております」
と、お爺さんは指を指して、浦島太郎に教えてくれました。
浦島太郎は、それを見て、泣きながら、草がぼうぼうに生えて露で濡れた草むらを分け入りながら進み、古びた墓に参ると涙を流しながら、歌を詠みました。
かりそめに出でにし跡を来てみれば 虎ふす野辺となるぞ悲しき
〔ほんの偶然の出来事から、故郷を離れたけれども、今こうやって故郷の跡に立ってみると、故郷は、虎が潜んでいそうなくらいに荒れ果てた荒野になってしまっていた。ああ、悲しい・・。〕
*
(画像はイメージです/出典:photoAC)
ついに開けてしまう「かたみの箱」
三すじの紫の雲が立ち上り
・・・・
11.ついに開けてしまう「かたみの箱」
松の木陰で失意の浦島太郎
ついに運命の時が・・・
「かたみの箱」を開けてしまいました
〔◆原文24〕
さて浦島太郎は、一本の松の木陰に立ち寄り、呆れはててぞ居たりける。太郎思ふやう、亀が与えしかたみの箱、「あひかまへてあけさせ給うな」といひけれども、今は何かせん、あけて見ればやと思ひ、見るこそくやしけれ。此箱をあけてみれば、中より紫の雲三すじ上りけり。是をみれば、二十四五の齢も、忽ちに変りはてにける。
※呆れ/あきる「呆る」/意外なことに出会って途方にくれる。驚きのあまり、どうしてよいかわからなくなる。
*古語では、当惑・驚きの意味であり、現代語にような、軽蔑・嘲笑・非難の意味はありません。
※太郎思ふやう/「やう」は接尾語。動詞に付いて、そのやり方や具合の意を表します。
〔訳例〕太郎が思うには/太郎がどのように思っているのかというと
※あひかまへて/心にかけて。気を配って。
※今は何かせん/〔訳例〕今は何かをするということはない⇒今となってはもう関係のないことだ。
※この段落の最後は「二十四五の齢も、忽ちに変りはてにける」です。
さて、いったい、どのように ”変わりはててしまった” のでしょうか?
「はて」は「果つ(はつ)」の活用形です。
・「果つ」には、他の動詞の連用形に付いて「すっかり~してしまう」という意味があります。これに則れば、〔訳例〕「すっかり変わりはててしまいました」となります。
・「果つ」には、「終わりになる」「死ぬ」という意味もあります。これに則れば、〔意訳例〕「二十四五の齢だったのに、たちまち変わり果てて、死んでしまいました」という解釈もできます。
※ 以上を踏まえ、さらに700年もの年月を経過していたことを考えると、「変わりはてにける」は、例えば、アメリカ映画のレイダーズ(「インディジョーンズ」シリーズの第1作目)に登場するシーン・・死んだ人が数秒で老人となり、そして数秒で風化して白骨化していく様子・・を、私は想像してしまいます。
そうです。つまり、浦島太郎は三すじの紫の煙に巻かれて、たちまち死んでしまい、さーっと数秒の間に白骨となってしまったのです。
「お爺さんになってしまいました」なんて、生易しいものではありません。
これは、私の想像です。
※「亀が与えしかたみの箱」
「女房が与えしかたみの箱」ではなく「亀が与えし~」と記述していることにも注目したいです。
・・・浦島太郎の意識の中にあるはずの「女房」を、作者は何故「亀」へ戻したのでしょうか?
〔理由〕七百年以上もの時が経過していたことが分かったから。
〔理由〕父母の死、父母に会えないことが分かって悲しかったから。
・・・このショッキングな出来事。この時点で、
・女房への愛惜の意は、遠のいてしまったように感じます。
・女房の「あけさせ給ふな」という言葉には、もう意味が無くなったと思われます。
⇩
・そして「今は何かせん(今となっては、もう関係のないことだ)」という太郎の心情につながります。
・そして、読者にも、箱の蓋を開けてもかまわないという、許しの感覚が、ここに生まれます。
・さらに、読者は「開けるなと言われた箱には、いったい何が入っているのだろう?」という興味がより強くなります。
現代版の浦島太郎では、太郎は「蓋は開けないで」という乙姫様との約束を破ったからお爺さんになってしまったのだ、という解釈がありますが、原文からは、開けてもしかたがない状況であったことが伺えます。
現代版の「約束を破った浦島太郎」という解釈は、許すということの大切さを素通りしていて、私は好きではありません。
※以下の意訳、改行を多用し、追記多く仕立ててみました。
〔◆原文24/意訳例〕
浦島太郎は一本の松の木の木陰に立ち寄り、茫然自失していました。
浦島太郎は思いました。
・・あの亀は「決して開けないで下さいませ」って言っていたけれども、今となっては、そんなこと関係なくなってしまったなぁ・・
・・開けてみようかな。ああ、この箱、見るたびにいろいろなことが思い出されて、今こうなってしまったことが残念でならないよ・・
浦島太郎は、溜息をつきながら、そっと箱の蓋をとりました。
すると、箱の中から、三筋の紫色した煙がポワーっと立ち昇ってきました。
その紫色の煙を見ていた浦島太郎。
みるみるうちに、二十四五歳の身体は老体へと変わり、そしてさらに、みるみるうちに、白骨化してしまったのです。
辺りには、ただ穏やかな風が吹いているだけでした。
ボロボロになった太郎の着物の端々は、風に舞って消えていきました。
*
(画像はイメージです/出典:photoAC)
浦島太郎は鶴になり
亀と一緒に
夫婦明神となりました
12.浦島太郎は鶴になり、亀と一緒に夫婦明神となりました
エピローグ
”人には情けあれ”
”情けの有る人は行く末めでたき”
〔◆原文25〕
扨浦島は鶴になりて、虚空に飛び上りける。そもそも此浦島が年を、亀がはからひとして、箱の中に畳み入れにけり。さてこそ七百年の齢を保ちける。あけて見るなと有りしを、あけにけるこそ由なけれ。
※扨/「さて」/そのような状態で。そうしたまま。そのままで。
※そもそも/(接続詞)物事を説き起こすときに、文の最初に置く語。
*
〔◆原文26〕
君にあふ夜は 浦島が 玉手箱 あけてくやしき わが涙かな
と歌にもよまれてこそ候へ。
生有る物、いづれも情けを知らぬといふことなし。いはんや人間の身として、恩をみて恩を知らぬは、木石にたとへたり。情深き夫婦は、二世の契りと申すが、寔に有りがたき事どもかな。浦島は鶴になり、蓬莱の山にあひをなす。
亀は甲に三せきのいわゐをそなへ、万代を経しと也。扨こそめでたき様にも、鶴亀をこそ申し候へ。
※寔に/「まことに」/ほんとうに。
※蓬莱の山/古代中国の伝説で、当方海上にあり、不老不死の仙人が住むと考えられている霊山。
※あひをなす/この意味は不明。岩波文庫の巻末にある「略注」にも、私の使っている古語辞典でも、明解な意味を確認することはできませんでした。
意訳では文脈から「暮らしました」と訳しました。
※三せきのいわゐ/この語句も上記同様に、その意味は不明のままです。すみません。
意訳では「三せき」は「過去、現在、未来」、「いわゐ」は「祝い」と訳しました。
*
〔◆原文27最後〕
只人には情けあれ、情けのある人は行末目でたき由申し伝えたり。其後浦島太郎は、丹後国に浦島の明神と顕れ、衆生済度し給へり。亀も同じ所に神とあらはれ、夫婦の明神となり給ふ。めでたかりけるためしなり。
※明神/みょうじん/参考:明神Wikipediaには「平安時代における記述においては特別に崇拝される神が明神もしくは大明神と呼ばれていた」という記述があります)
※衆生済度/しゅじょうさいど/参考:仏や菩薩が迷いに苦しむ衆生を救済し、悟りの境地に渡らせること。(出典:ウィクショナリー日本語版)
〔◆原文25/意訳例〕
さて、浦島太郎は鶴となって、大空へ飛んでいきました。
浦島太郎が今日まで生きてこられた700年という年月が、亀のはからいによって、最初から箱の中に畳み込まれていたのでした。
だからこそ、浦島太郎は700年もの年月を生きることができたのでした。
女房である亀から「開けないでくださいませ」と言われていたのを、開けてしまったから、このようなことになってしまったのです。
*
〔冒頭の「そのまま~」私のイメージ〕
浦島太郎は、箱の蓋をあけた ⇒ 紫色の雲が三すじ上った ⇒ 二十四五の齢は、忽ちに変りはてた 〔たちまち高齢になり、骸骨になり、白骨化した浦島太郎は粉々になり、その粉の塊が ⇒ 鶴の形をしたまま、大空へと舞い上がっていった〕
※なんと! ここで初めて、箱は「玉手箱」という表現となって登場するのですね。
※この〔◆原文26〕と、次の〔◆原文27〕はエピローグです。(エピローグとは、物語の最終部分、まとめ、結末・・のようなものです)
〔◆原文26/意訳例〕
君にあふ夜は 浦島が 玉手箱 あけてくやしき わが涙かな
〔浦島が玉手箱を開けて、あっという間に年月が過ぎていってしまったように、あなたに逢う夜は、あっという間に明けてしまい、私は悲しくて涙をこぼしてしまいます。〕
というように、浦島太郎のお話は歌にも詠まれるくらい、世間に知られるようになりました。
生きとし生きるものは全て、情けを知らないということはありません。誰もが皆、情けというものを心得ています。
ましてや、人として、恩を受けたのに知らぬ存ぜぬでは、木や石コロと同じこと。
情けが深い夫婦というものは、二世の契りと言って来世でも夫婦の契りを結びます。これはとても素晴らしいことです。
その後、浦島太郎は鶴となって、蓬莱山で暮らしています。
亀は甲羅に、過去、現在、未来、全ての祝い事を備えているので、万年の命を生きることができるのです。
このように、鶴と亀は、おめでたいことの象徴として知られるようになりました。
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※蓬莱の山にあひをなす/この「あひをなす」の意味は不明でした。ここでは文脈の流れから「暮らしています」と訳しました。
※三せきのいわゐ/この語句も、その意味は不明でした。「三」はおそらく仏教用語に関連しているものと思われます。仏教では例えば「三途の川」とか「三界」とか「三」が多く使われているからです。
ここでは文脈から「過去、現在、未来」、「いわゐ」は「祝い」と訳しました。
・竜宮城は四季を見ることができます。これはまさしく「過去、現在、未来」を眺められるわけで、そこには、「人生を包括した運命という曲線」「苦労も幸せもあるのが人生」というような意味を、見出すことができます。このようなことからも、上記の訳を選びました。
※冒頭の二行は、読者に覚えておいてほしい教訓として理解してよいと思います。
〔◆原文27歳後/意訳例〕
人というものは、ただひたすら情けをもって生きるべきです。
情けを持って生きていけば、先々において幸せになれるのです。
その後、浦島太郎は、丹後の国の明神様となって祭られ、世の中の多くの人々を救うようになりました。
そして、亀も同じ場所に明神様となって顕在し、鶴と一緒に「夫婦の明神様」となって祭られて、世の中の人々のためになっているのです。
めでたいお話の、ひとつでございます。
(画像はイメージです/出典:photoAC)
* * *
【編集後記/教訓】
人生は無常、世の中も無常ですね。
何故なら、
浦島太郎と女房のように、
他生の縁をもってして夫婦になっても、
偕老同穴、比翼の鳥、連理の枝・・のように仲がよくても、
鴛鴦の契りを交わし続けても、
会者定離の習いには抗えないからです。
たとえ700年生きたとしても、
いつかは必ず朽ちるのです。
そこに無常があります。
でもですね、
情けをもっていれば、
後々、幸せになれるのですよ。
浦島太郎と女房のように ”永遠” もありえるのです。
情け、忘れないようにしましょう。
・・・ということで、
冒頭の、浦島太郎の台詞に戻ります。
「いたはしければ、助くるなり」
「常には此恩を思ひ出すべし」
もうひとつ、気になる言葉。
それは「かりそめ」です。
浦島太郎と女房の出会いについて、
女房は「他生の縁」といい、
太郎は「かりそめ」だと思い、そして口にもしました。
そこに、絡んでくるのが「会者定離」
そして、会者定離に抗うようにして浦島は「情け」を発揮したのです。
その結果・・・
浦島太郎と女房は「夫婦の明神」となり、
「衆生済度」で世の中のお役に立っていくのです。
元々、人と人の出会いは「かりそめ」です。
その「かりそめ」を「情け」でもって大事にすれば・・・
「かりそめ なのに 夫婦明神」
「かりそめ でも 夫婦明神」
つまり、出逢いは「かりそめ」でも、
「情け」をもってお互いを大事にしあっていけば、永遠を体現できるのです。
「かりそめ なのに 夫婦明神」
「かりそめ でも 夫婦明神」
めでたし、めでたし。
※上記を導く、話の中に登場した言葉たち
「いたはしければ、助くるなり。常には此恩を思ひ出すべし」
・「痛々しいから助けよう。いつもこの恩を思いだしてください」
「他生の縁」
・ちょっとしたことにも前世の縁があること。
「偕老同穴」
・一緒に暮らして老い、同じ墓に入ること。転じて仲のいい夫婦の意味。
「比翼の鳥」「連理の枝」
・男女、夫婦の仲がよいことの例えに用いられる。
「鴛鴦の契り」
・男女、夫婦の仲がよいことの例えに用いられる。
「四季を同時に見ることができる”竜宮城”」
・過去、現在、未来を同時に見ることができる、これはタイムマシンのようです。
「鴛鴦の衾(ふすま)の下に比翼の契りをなし」
・鴛鴦が描かれたふすまのある部屋で、深い約束をしして・・
「蓮の縁」
・極楽浄土で再会できる縁。
「かたみ」
・「かたみ」は「亡き人を思い出す拠り所」/もう二度と逢わないという覚悟の印。
「会者定離」
・会うもものは必ず離れる運命にあるということ。この世の無常のたとえに使われます。
「会ふものは必ず別るる」
・会者定離と同じ。同じ意味を続けていることは、強調したいのだと思います。
「かりそめ」
・ひとつは、物語全体の中では、「縁」「契り」と対比の関係。
・ひとつは、きっかけは「かりそめ」なのに、夫婦明神という「永遠」となる。そこには「縁」があるから。つまり「縁」を大事にしましょうということへ繋げています。
〔かりそめ…なのに夫婦明神〕を導く重要な役割を担っていると思います。
「二世の契り」
・夫婦はあの世でも結ばれるという運命にあります。それくらい、夫婦というものの絆は深いものなのです。
「人には情け有れ」
・人というものは、ただひたすら情けをもって生きるべきです。
「情けの有る人は行末めだたき」
・情けがある人は、先々において幸せになると云われています。
「衆生済度」
・仏や菩薩が迷いに苦しむ衆生を救済し、悟りの境地に渡らせること。(出典:ウィクショナリー日本語版)
「明神」
・日本の神仏習合における仏教的な神の称号の一つ。(出典:明神Wikipedia)
(画像はイメージです/出典:photoAC)
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・要点を絞り「浦島太郎の原文」と「現代に伝わる浦島太郎」を読み比べてみました。
浦島太郎/原文要点解読/亀・乙姫・竜宮城・玉手箱・お爺さん/教訓
・浦島太郎と乙姫様の関係を「男女の出会いと別れ」という視点で探りました。