
介護の詩|冷たい家族|老人ホームで暮らす高齢者の様子|詩境
老人ホームでは”生き長らえている”人がいます。でも忘れない下さい。毎日一生懸命に”生きている”人もいるのです。家族がたまに来て「まだ大丈夫」と思うことがあっても、口にしていい言葉ではないと思います。この頁では老人ホームで介護士として働きながら感じた感慨を詩にしてお伝えしています。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
老人ホームでは”生き長らえている”人がいます。でも忘れない下さい。毎日一生懸命に”生きている”人もいるのです。家族がたまに来て「まだ大丈夫」と思うことがあっても、口にしていい言葉ではないと思います。この頁では老人ホームで介護士として働きながら感じた感慨を詩にしてお伝えしています。
【車止めで一息】 ペーシング 老人ホームで暮ら している 、お爺ちゃん、お婆ちゃんのこと、気になりませんか? たとえ混濁した記憶でも、その記憶はその人のもの。その人自身なのです。介護する者は目線を合わせ、呼吸を合わせ、そして話す内容にもペーシングをします。…
長年連れ添った奥様にご主人が「ありがとう」と言った瞬間の、その感慨を伝えたいと思いました。人生は「ありがとう」で終わらせれば美しいと思います。美しい記憶がそのまま残るからです。:老人ホームでの出来事を詩にしました。高齢者様の息遣いと命の灯をお伝えしたいと思います。ご自身の老後の、イメージ作りの参考になれば幸いです。
「生きているのか死んでいるのか、わからなくなっちゃったんですよ」:空虚な心は不安の塊です。その時、煎餅をかじる内耳に伝わる音さえも、生きているという安心のひとつだったのかもしれません。高齢者様の死への不安と対峙するとき、介護の本当の意味が見えてくるように思いました。老人ホームでの感慨を「詩」でお伝えしております。
介護拒否はスタッフを悩まします。ご本人様の思いなので、しかたがありません。でも、そのままでは介護の意味がないのです。この頁では、老人ホームでの出来事、感じたこと、発見や再発見、それら高齢者様の息遣いと命の灯を「詩」にして伝えています。今回は「入浴拒否」がテーマです。この場合、方便は使わざるおえません。
老人ホームで介護職に就き始めて、まだ数か月の頃。私は介護職の継続に、実は逡巡していました。そんなとき、胃ろうの女性に出会いました。そしてその時、ADLと同時にQOLのことにも強く関心が向くようなりました。老人ホームでの出来事、感じたこと、発見や再発見、それら高齢者の息遣いと命の灯を「詩」にして伝えています。
老人ホームでの出来事、感じたこと、発見や再発見。それら高齢者の息遣いと命の灯を「詩」で伝えています。この作品は前作、前々作からの続きです。食べることは生きること、そして口は食欲の正面玄関。口には、口だけ別の命が宿っているようです。前作、前々作と併せて読んで頂ければ幸いです。
老人ホームでの出来事、感じたこと、発見や再発見、それら高齢者の息遣いと命の灯を「詩」にして伝えています。これは前回の続きで、ここでも視野の真ん中は口の動きです。日に三度の食事は一日の中のイベント、生活の基本は食事を中心に回っていきます。人生という時間軸への深慮遠謀、老後の生き方へのヒントになれば幸いです。
老人ホームでの出来事、感じたこと、発見や再発見したこと、それら高齢者様の息遣いと命の灯を「詩」にして伝えています。この作品は朝の食卓の風景を切り取りました。実は、口という器官には老いも若きもない、永遠の命が宿っているように感じられるのです。そこには生きる力が宿っています。
老人ホームでの出来事、感じたこと、発見や再発見したこと、それら高齢者様の息遣いと命の灯を「詩」にして伝えています。介護に対する理解、人生という時間軸への深慮遠謀、そして、おせっかいかもしれないけれども「老後の生き方へのヒント」になってくだされば幸いです。