介護の詩/梅干しが食べたい/老人ホームでの息遣いと命の灯26/詩境


【車止めで一息】

梅干しが食べたい

老人ホームで暮らしている、お爺ちゃん、お婆ちゃんのこと、気になりませんか? 

“胃ろう”のお婆ちゃん、自分が”胃ろう”であることを忘れて「梅干しが食べたい」と訴えました。その時、私は、その方に寄り添うことができませんでした。

私は、老人ホームで介護士として働いています。

そして、人々が老いていく様子のその中に、様々な人生模様を見る機会を頂いております。

介護/老人ホーム

私は、そこで見て感じた様々な人生模様を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。

なぜなら、「老人ホームではこんなことが起きているんだ」と知ることによって、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀を深める手助けになるだろうと思ったからです。

それは、おせっかいなことかもしれません。でも、老後の生き方を考える”ヒント”になるかもしれないのです。

伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。

詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。

【車止めで一息】

車止めで一息26

梅干しが食べたい

〔私が介護職を続けるきかっけになった出来事〕

庭のテラスにつながる大きな窓に向かって、

見えているのは車椅子の背面。

リクライニング機能の付いた大きな車椅子、その主は・・・、

貴女様だった。

貴女様は、

斜め四十五度に倒した背面に身体を横たえて寛いでいた。

貴女様の、

目線の先にあるのは、青空だろうか・・・。

貴女様は、

何を見て、何を思っているのだろうか・・・。

青い空には真っ白い綿雲が、

ひとつ・・ふたつ・・・。

形を変えながら、

ゆっくり、ゆっくり、流れていた。

私は、

思い切って声をかけた。

「いい天気ですね」

私に気づき、

少し顔を傾けて、

目で微笑んでくれた貴女様。

貴女様は、

私の目を見て、頼み込むように言った。

「梅干しが食べたい・・、あたし、毎年梅干しを作っていたの」

「こんなにいい天気の日は、梅を干すのにもってこいだわ」

「思い出したら、口の中が酸っぱくなってきちゃった・・・」

私はすかさず頷き、厨房にきいてみますね、と伝えた。

食べたいものを食べる、

それは何事にも代えがたい万人の幸せだ。

・・・・・

でも、先輩は、

私を突き放すように言った。

「〇〇さんは、胃ろうだよ」

「えっ?」

・・・・・

私は貴女様の前に腰を降ろして謝るしかなかった。

「いいのよ、わたしが忘れていただけだから・・・」

貴女様はそう言うと、

私に向けていた顔をまた窓の外へ向けた。

窓の外には青い空。

青い空には白い雲。

外は輝く陽光でいっぱいだ。

・ ・ ・ ・ ・

貴女様の、

青い空が映っている二つの瞳。

その二つの瞳が潤んでいく。

うるうる・・・と。

貴女様の、

気丈な性格を思わせる凛とした口元。

その凛とした口元が緩んでいく。

わなわな・・・と。

貴女様が、

アームレストに休ませていた左右の手。

その手の甲に浮き出ていた血管は、

うねうねと、さらに浮き上がった。

貴女様は、

アームレストをギュッと握ったのだ。

緊張と無力が同時に起きているような困惑と混沌が、

ひとつの大きな空気の塊となって、

その場を覆ってしまった。

目の先には青い空が広がっているのに。

目の先には陽光に照らされた白い雲がゆっくりと泳いでいるのに。

どのようないきさつで今があるのか、私は知らない。

知らないけれども、今目の前に、

口から食べることができない貴女様がいる。

そして貴女様は・・・叶わないのだけれども、

食べることを、欲した。

私は貴女様に、トイレ介助をすることができる。

私は貴女様に、入浴介助をすることができる。

でも、そうじゃあない・・・その時、私は、

貴女様に言葉をかける言葉が欲しかった。

いいや、必要だった。

貴女様の心の、

困惑と混沌の中に入り込める言葉。

貴女様の心に、

なにかしらの希望を持ち込める言葉。

・・・・・

でも、私の口は、

何の言葉も発することはなかった。

・・・いいや、発することができなかった。

誰かが私に何かの頼み事をして、

私にその場を離れる口実ができるまで、

私は膝を突いたまま、そこにいるしかなかった。

私は無知蒙昧、役立たずな介護士。

私は自分の手を、

アームレストの上の貴女様の手にそっと重ねた。

貴女様の心を抱きしめるつもりで。

・・・・・

青空を眺めたままの貴女様。

私は、

介護職を辞めるわけにはいかないと、

そのとき、思った。

〔注〕胃ろう:お腹に穴をあけてチューブを通し、食べ物をチューブから胃に流し込む医療措置のこと。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

あきら

これは、介護職に就いてから数か月、私はこの仕事をこのまま続けられるのだろうか…..不安を感じていた頃の出来事です。

この方が私の目を見て「梅干しが食べたい」とおっしゃったとき、私は〔梅干しを用意したら、この方は喜んでくださるに違いない〕と思い、私は嬉々として厨房へと足を運びました。

私は、この方が ”胃ろう” の処置をされていることを、すっかり忘れていたのです。

”胃ろう”の処置をされている方への食事介助は看護師の仕事であり、介護スタッフが直接その現場に携わることはありません。言い訳になりますが、私は介護職の新人であることから、ただ一度聞いただけではことの重大性を認識できず、忘却していたのだと思います。

私が気まずい顔をして、この方にお謝りしたとき、この方は「いいのよ、私が忘れていただけだから・・」と優しくおっしゃってくださいました。

なんという優しさでしょうか。私は、心苦しくなりました。

でも、この方にかける言葉は、私の口から、何も出なかったのです。私は、何をどう伝えたらいいのか、わかりませんでした。その時の私は、介護職失格でした。

私が介護士として働いている施設は「住宅型介護付有料老人ホーム」です。

自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方が住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。

【参考】

介護の詩/車止めで一息/老人ホームでの息遣いと命の灯

読んでくださり、ありがとうございます。