【小倉百人一首】
上の句の
最初の五文字が似ていて
紛らわしい歌38首(19通り)
(画像はイメージです/出典:photoAC)
上の句の最初の五文字に注目
キーワードで覚えよう
逢ひ見ての(あひみての)~ 第43番歌
逢ふことの(あふことの)~ 第44番歌
逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし
秋の田の(あきのたの)~ 第 1番歌
秋風に (あきかぜに)~ 第79番歌
秋の田の かりほの庵の とまをあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ
秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ
天の原(あまのはら)~ 第 7番歌
天つ風(あまつかぜ)~ 第12番歌
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも
天つ風 雲のかよひぢ 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ
有明の(ありあけの)~ 第30番歌
有馬山(ありまやま)~ 第58番歌
有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし
有馬山 ゐなのささ原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
今来むと(いまこむと)~ 第21番歌
今はただ(いまはただ)~ 第63番歌
今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな
風をいたみ(かぜをいたみ)~第48番歌
風そよぐ(かせそよぐ)~ 第98番歌
風をいたみ 岩うつ浪の おのれのみ くだけてものを 思ふ頃かな
風そよぐ 楢の小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける
心あてに(こころあてに)~第29番歌
心にも(こころにも)~ 第68番歌
心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花
心にも あらで憂き世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな
契りきな(ちぎりきな)~ 第42番歌
契りおきし(ちぎりおきし)~第75番歌
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪こさじとは
契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり
ながからむ(ながからむ)~ 第80番歌
ながらへば(ながらへば)~ 第84番歌
ながからむ 心も知らず 黒髪の みだれてけさは ものをこそ思へ
ながらへば またこのごろや しのばれむ うしと見し世ぞ 今は恋しき
嘆きつつ(なげきつつ)~ 第53番歌
嘆けとて(なげけとて)~ 第86番歌
嘆きつつ 独りぬる夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る
嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな
難波潟(なにはがた)~ 第19番歌
難波江の(なにはえの)~第88番歌
難波潟 短き葦の ふしのまも あはでこの世を すぐしてよとや
難波江の あしのかりねの 一夜ゆゑ みをつくしてや 恋わたるべき
花の色は(はなのいろは)~第 9番歌
花さそふ(はなさそふ)~ 第96番歌
花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに
花さそふ あらしの庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり
春過ぎて(はるすぎて)~第 2番歌
春の夜の(はるのよの)~第67番歌
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそ惜しけれ
人はいさ(ひとはいさ)~第35番歌
人もをし(ひともをし)~第99番歌
人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は
山里は(やまざとは)~ 第28番歌
山がわに(やまがわに)~第32番歌
山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば
山がはに 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり
世の中よ(よのなかよ)~第83番歌
世の中は(よのなかは)~第93番歌
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞなくなる
世の中は 常にもがもな 渚こぐ 海士の小舟の 綱手かなしも
夜をこめて(よをこめて)~第62番歌
夜もすがら(よもすがら)~第85番歌
夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ
夜もすがら もの思ふころは 明けやらで ねやのひまさへ つれなかりけり
わが庵は(わがいほは)~第 8番歌
わが袖は(わがそでは)~第92番歌
わが庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり
わが袖は 汐干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし
忘らるる(わすらるる)~第38番歌
忘れじの(わすれじの)~第54番歌
忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな
忘れじの 行末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな
(画像はイメージです/出典:photoAC)
意訳〔Free translation〕
詩歌における意訳とは、詩歌の雰囲気を言外も含めて把握し、表現し直すことです。学校の授業では直訳を尊びますが、詩歌というものの本筋は読んで感じたままでいいのだと、私は思っています。
あえて分かりやすく云えば、映画の字幕は意訳のひとつだと思います。(参考:「意訳と直訳wikpedia」)
逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり
〔あなたとの逢瀬の後の、この気持ちの高ぶり、私はとても悶々としています。逢瀬の前の気持ちなんか比べものになりません。なんて、あなたは素晴らしい人なんでしょう。ああ、あなたが恋しい! また逢いたい!〕
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし
〔もしも、あなたに遭わなかったら、こんなに悩まなかっただろうなぁ。こんなに悩むんだったら、嗚呼、逢わなければよかったのかもしれない。逢ったばかりに、こんなに悩んでいるんだものな。でも、忘れられない・・嗚呼、これが恋なんだなぁ〕
秋の田の かりほの庵の とまをあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ
〔稲刈り用に建てられた仮小屋は、苫を編んだだけの質素なものだなぁ。私の袖は夜露で濡れてしまったよ〕
※百人一首の第一首目に配置されています。作者は大化の改新を成し遂げたことで有名な天智天皇。ただ、なぜ天皇が、田んぼの端にある粗末な小屋に居たのかは、定かではありません。農民の暮らしを分かろうとした、ということでしょうか。
秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ
〔見てごらんよ。秋風にたなびく雲は、月を隠そうとして隠せないでいる。時折、途切れた雲の間からもれ出る月の光の、なんと明るく澄み切っていることだろう。美しい秋の夜空だねぇ・・。〕
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも
〔嗚呼、大空には月が出ている。あの月は、故郷の春日の三笠山の上に煌々と輝いていた、あの月と同じ月なのかなぁ・・。嗚呼、春日が懐かしい。故郷へ帰りたい。〕
※遣唐使として唐に派遣されていた阿倍仲麻呂の歌です。春日は奈良にある地名。三笠山は春日にある山の名前です。
※意訳では故郷に帰りたいと書きましたが、阿倍仲麻呂が故郷へ帰りたかったか否かは不明です。「故郷に帰りたい」という訳は、歌の言外を想像してみました。意訳だからこそ書ける、意訳の楽しさ、味わい深さだと、ご理解下さいませ。
天つ風 雲のかよひぢ 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ
〔空を吹く風よ、お願いがある。その風の力で、雲の中にある”天女が通る道”を、閉じてくれないだろうか。目の前で踊りを踊っている舞姫たちを、まだまだ返したくないんだ。〕
※お祝いの席、舞姫たちが踊っています。作者はもう少し見ていたかったので、舞姫たちを”天女”に見立てて、天女が天上へと帰る雲の中にあるという道筋を、風に頼んで閉じさせようとしたという、作者の願望を詠んでいます。
有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし
〔あの日、あの時、あの朝の、貴女のそっけない素振りは、もうお会いしない・・ということなのでしょうか。私は、あの時以来、夜明けになるとあの朝の有明の月を思い出し、夜明けほど辛いものはないと思うようになりました。嗚呼、もうそっけない素振りはしないで下さい。私は貴女を愛しているのです〕
※この歌の解釈には複数の定説があるようなので、私はかなりの拡大解釈をしてみました。正解にとらわれず、感じたように解釈することで、詩歌の楽しみは広がります。いずれにしても、キーワードは「つれなく見えし別れ」だと思います。
有馬山 ゐなのささ原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
〔有馬山からの山風が、ゐなの笹原にひとたび吹けば、笹の葉がざわざわと音を立てますね。そうなんですよね、私があなたのことを忘れるはずはありません。忘れたのは、あなたの方ではないですか?〕
今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
〔すぐに行くって言ったじゃあないですか! だから私はずっと待っていたんです。なのに、貴方ったら全然来ない。とうとう秋になってしまいましたよ。ひどい人ですね、貴方っていう人は〕
※これは7世紀頃の歌。当時は通い婚の時代。男は夜になると女の元へ訪れます。男が来ないと、女は有明の月(朝になっても空に残っている月)が出る頃になって、来ないということが分かります。この歌は、待ち続けているうちに長月(陰暦の9月)になってしまったというわけです。(「長月の頃に、一晩待ち続けた」という解釈もあります)
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな
〔貴女のことは諦めます。ただ、この思いを、人づてではなく、貴女に会って直接伝えたいんです。わかってくれますか、私の貴女への思いを・・〕
風をいたみ 岩うつ浪の おのれのみ くだけてものを 思ふ頃かな
〔いいんですよ、貴女に愛されなくても。私一人が貴女に思い焦がれて、砕け散ってしまえば、それでいいんですよ。ほら、海では強い風が吹いて、波が岩にぶつかって砕け散るじゃあないですか。私の今の気持ちは、その砕け散る浪と同じなんです〕
風そよぐ 楢の小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける
〔そよそよと風が吹いて、秋の気配ですね。でもね、ほら、ごらんなさい。「みそぎ」が行われているではありませんか。まだまだ、夏なんですよね。〕
※楢の小川:京都、上賀茂神社付近を流れる御手洗川。
※みそぎ:水で心身を浄めて、けがれや罪を追い祓う行事。この歌では、旧暦の6月30日に行われる ”夏越しの祓え” を指しています。
心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花
〔見てごらんよ、初霜が辺り一面を真っ白に覆っている。冬が来たね。ここにはさ、白菊が咲いていたはずなんだけれど、初霜の白さに紛れてよくわからないね。あて推量に折ってみようかな。〕
心にも あらで憂き世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな
〔ああ、辛い、死んでしまいたい。まだまだ、この先も生きていくなんて、私の本意ではないんだ。でも、もしもこの先も、生き長らえていくことができたら、きっと今夜のこの月の美しさを恋しく想うんだろうな。そう思うと、まだまだ生きていってもいいのかな・・。〕
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪こさじとは
〔ねえ、誓いましたよね。お互いに涙を流しながら、お互いに涙で濡れた袖を絞りながら、二人の愛は変わらないと、誓いましたよね。あの末の松山を浪が超えることは絶対に無いように、二人の心が変わることは絶対に無いんだと、ねえ、二人で一緒に誓いましたよね!〕
※末の松山:宮城県多賀城付近の地名。昔から、太平洋の波がこの辺りを超えることは無いことから「不変のもの」を表すものとして用いられています。実際、2011年東日本大震災のときでも、末の松山は波をかぶらなかったそうです。
契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり
〔あなた様が約束してくださったこと、命のように大切にして待ちに待っていたのですが、あれは嘘だったのですね。私の望みは叶わずに、秋は虚しく過ぎていくだけです。〕
※これは、分かりにくい歌です。:作者は、位の高い人に頼み事をしていたけれども、それを反古にされたので「あはれ今年の秋もいぬめり」という感情を抱いた、という話です。
※させもが露:「させも」は「させも草」=ヨモギのこと。平安時代には薬草として使われていたそうです。「露」は”恵みの露”というような意味で、相手が頼み事を快諾してくれたことを指します(でも、反故にされてしまいます。その気持ちがこの歌です)
ながからむ 心も知らず 黒髪の みだれてけさは ものをこそ思へ
〔ずっと愛して下さるって、本当ですか? 今朝別れた後、私は、あなたの愛が確かなものなのかどうか不安で不安で、悩んでいるのです。私は今、私のこの黒髪が乱れているように、心は乱れて、物思いにふけるばかりです。わたしの気持ち、分かってくれますか?〕
ながらへば またこのごろや しのばれむ うしと見し世ぞ 今は恋しき
〔この先も長く生きていたら、きっと今日のことが懐かしく思い出されるんだろうなぁ。だって、辛いと思っていた頃のことが、今は恋しく思いだされるんだからさ。〕
※「だから、頑張って生きていこうね」っていうことを云いたいのでしょうか。私はそう感じました。・・感じたように味わう。それが詩歌を味わう楽しさです。
嘆きつつ 独りぬる夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る
〔あなたが来ない夜、独り寂しく寝て過ごす朝までの時間が、どんなに長くどんなに寂しいものであるのか、あなたに分かりますか? 分からないでしょうね。嗚呼、寂しい!〕
嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな
〔月が私に「嘆け」と言って、私をもの思いに更けさせるのだろうか。いいや違う。私は私の苦しみを月のせいにしているだけだ。月のせいに見せかけようとして、月を見て涙を流しているだけなんだ〕
※この歌は「月前恋」という題で読まれた恋歌だそうです。なので「苦しみ」は「恋の苦しみ」なのです。この五七五七七だけでは、よくわかりませんね。
難波潟 短き葦の ふしのまも あはでこの世を すぐしてよとや
〔難波潟に生えている葦の節は短いですよね。そんな少しの間だけでも、あなたに逢えたらよかったのに、逢えないなんて辛いです。嗚呼、これからもずっと逢わないまま生きていけと、あなたは仰るのですか? そんな、ひどい・・・〕
難波江の あしのかりねの 一夜ゆゑ みをつくしてや 恋わたるべき
〔難波潟に生えている葦の刈り根の一節のような、ほんの短いたった一夜の仮寝は、それはそれで素敵な逢瀬でした。ただ、その一夜のために、これから先もずっと命をかけてあなたに恋をし続けることになるのでしょうか・・、私には分かりません〕
※現代語で云えば「ワンナイトラブが結婚につながっていくのですか? さあ、今はわかりません」という感じでしょうか。「恋わたるべき」の「べき」は推量の助動詞なので、そこは大切にして意訳してみました。
花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに
〔あんなに美しく咲き誇っていた花なのに、色褪せてしまったなぁ。嗚呼、私の人生も同じことなのね。もの思いにふけっている間に、こんなにも衰えてしまったわ。嗚呼、虚しいこの人生・・〕
※小野小町のあまりにも有名な歌ですね。
※掛詞:「ふる」は「降る」と「経(ふ)る」、「ながめ」は「長雨」と「眺め」、各々掛詞が使われています。
花さそふ あらしの庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり
〔嵐のような風が吹いて、ほら庭の桜は雪が舞うように散りながら、花弁は降っていくよ。あんなに綺麗に咲いていたのにね。でもね、よく考えてみれば、老いていくわが身こそが、古りゆくものなんだよね〕
※「降りゆく」花弁と、「古りゆく」わが身。これを同じ視座で捉えています。
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
〔ほら、香具山を見てごらん。白い着物が干してあるよ。もう春じゃあない、夏が来たんだね。香具山には、夏に白い着物を干すことになっているからね。太陽の光、風にたなびいて輝く白い生地、緑の香具山・・夏だねぇ。〕
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそ惜しけれ
〔えっ? 私はただ、貴方にちょっと手枕を借りただけですよ。春の夜の短い夢のような、ちょっとした戯れですよ。なのに、私と貴方との浮名が立つんですか? 好きでもないのに、そんなの口惜しいですよ〕
人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
〔あなたの私へのお気持ちは、今は、さあ、どうなのか私には分かりません。けれども、私の故郷では、花が昔と同じように咲いて昔と同じように香って、私を出迎えて、私を楽しませてくれるんですよ。〕
※言外に「故郷の花は信用できるけれども、人の心は信用できない」って言っているようですね。
人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は
〔人様を思う気持ちは、時には愛したり、時には憎んだり、いろいろですよね。いろいろだけれど、私はね、世の中をつまらないものだと思っているんです。だからね、ただただ、あれこれと思い悩んでいるわけですよ。愛したり憎んだり、いったい世の中って、何なんでしょうね。〕
山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば
〔山里は冬がとくに寂しいですね。人は訪れなくなり、草もみんな枯れてしまうと思へば、なおさらですね。〕
山がはに 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり
〔山の中に流れている川を見てごらんなさい。綺麗な色がひと塊になっているところがありますよね。風がかけた「しがらみ」なのかな?って思ってよく見たら、流れようとして流れずに溜まっている、沢山の紅葉なんですね。〕
※しがらみ:「しがらみ(柵)」水流をせきとめるため、杭を打ち横に竹などを絡みつけたもの。
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞなくなる
〔辛い世の中から逃れる道はないと分かった今、私は思い詰めて山の奥へと入っていった。そうすれば世間から逃れられると思ったのだ。なのに、山の奥では、鹿が寂しく鳴いていた。鹿も悲しい、私も悲しい。世間から逃れる術は無いようだ。〕
世の中は 常にもがもな 渚こぐ 海士の小舟の 綱手かなしも
〔世の中はどんどん移り変わっていくけれども、平穏無事で変わらないのがいい。見てごらんよ。海では漁師が小舟の引綱を引いて漁に出ていくよ。日常の風景の穏やかさは、なんて安心を覚えることだろう。〕
夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ
〔だめだめ、夜の明けないうちに鳥の鳴き声を真似してみても。函谷関の扉は開いたかもしれませんが、私は逢坂の関を開けませんよ。いいですか、私は騙せません。私は貴方に逢うつもりは無いのです。わかった?〕
※これは清少納言の、藤原行成とのやりとりの中で生まれた歌です
藤原行成は、中国の「孟嘗君が函谷関という関所で、鳥の鳴き声を真似ることで朝だと思わせて関所を開けさせた」故事を話に出して、清少納言に言い寄ろうとするのですが、清少納言もその故事を知っていて、この歌を返したという話です。
夜もすがら もの思ふころは 明けやらで ねやのひまさへ つれなかりけり
〔あの人はつれなくて、恋はなかなか思うようになりません。夜通し、あの人のことを思って毎日過ごしていると、夜はなかなか明けてくれないし、寝室の隙間にさえも光は差し込んで来ず、冷たく感じられるんですよ。嗚呼、やんなっちゃいます。〕
わが庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり
〔私の住処は、皆さんご存じのとおり、都から東南の方角にある粗末な庵。ただそれだけで、世間の人は私のことを、世間から逃れて暮らす宇治山だって云うんですよね。世間の人っていうのは、見えているところだけで判断するものなんですね。〕
わが袖は 汐干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし
〔私の恋は悲恋。泣いてばかりの毎日。私の袖は、引き潮のときでも見えない沖にある石のように、誰にも知られないまま、乾く時は無いんですよ。〕
※この気持ち、誰かにわかってほしいですね。私には、そう聞こえてきます。
忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな
〔私を愛していると云ってくれた貴方。私のことを忘れてしまっても、私は平気です。でも、一度は愛を誓った貴方なのですから、私を裏切った貴方は、罰を受けて命を落としてしまうかもしれませんね。私はね、それが惜しまれるのです。私は、それをあなたに伝えたいのです。〕
※一度は誓いあった二人。でも男が離れていく。女は、男には神罰が下るでしょう、残念なことです・・と皮肉と憎悪を込めて歌っています。逆もあるだろうし、人って実は怖いところがある、恋愛って実は怖いところがある・・のですね。
忘れじの 行末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな
〔いつまでも忘れないよって、言ってくれるのは嬉しいけれども、先々まで本当に愛し続けてくれることに確証はありません。なので、そう言ってくださった今日を限りにして、いっそのこと死んでしまいたいのです。〕
※私はこの歌を詠んで「恋愛は心中によって成就する」というようなことを書いていた恋愛論(亀井勝一郎著)を思い出しました。愛し合っている時に命を絶てば、別れることは永遠に無いという意味において、愛は永遠になるのという考えです。いつの時代の恋愛にも、同じ悩みがあって、そして恋愛の悩みは尽きないものなのですね。
** 参 考 **
★上の句の、最初の五文字が全く同じ歌もあります。以下に解説いたしました。
百人一首/上の句の最初の五文字が同じ/暗記に役立つ紛らわしい歌の一覧
以下に、百人一首に関する記事を載せております。その目次です。