介護の詩/人生は順送り/老人ホームでの息遣いと命の灯60/詩境


【車止めで一息】

人生は順送り

老人ホームで暮らしている、お婆ちゃん、お爺ちゃんのこと、気になりませんか?

私は今、介護士として老人ホームで働いています。

施設は「住宅型介護付き有料老人ホーム」です。

自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方が住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。

介護/老人ホーム

私はそこで働きながら、人が老いていく様子のその中に、様々な「発見と再発見」を得る機会をいただいております。

そして私は、それらの「発見と再発見」を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。

なぜなら、「ああ、老人ホームではこんなことが起きているんだ・・」と知ることで、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀が深まると思ったからです。

そしてさらに、それらは、おせっかいかもしれませんが、老後の生き方を考えるヒントになるかもしれないのです。

伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。

詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。

口語自由詩

車止めで一息 60

人生は順送り

・・・・・

骨になった。

お爺ちゃんが骨になった。

父は僕の後ろから僕の両肩に手を添えて、

「みんなこうなるんだよ、よく見ておきなさい」と言った。

小学生だった僕は、

骨から立ち上がる熱気を感じながら、

驚きと恐怖でそばへ近寄れなかった。

・・・・・

その記憶は遠くなっても、

いつだって僕の心を支配している。

人は皆、骨になる。

いやだ、いやだ。

僕もいつか骨になる。

いやだ、いやだ。

大切な家族もみんなみんな骨になる。

いやだ、いやだ。

・・・・・

父は言った。

「お爺ちゃんの次は父さんだよ」

「それが順送りというものだ」

・・・・・

貴女様は、

歩行器の左のハンドルと右のハンドルのそれぞれを、

青黒い血管がにょろりと浮き出た左の手と右の手でギュッと握っている。

貴女様の、

ハンドルを握ったその身体は、

リハパンで膨らんだお尻を後ろに突き出すようにして、

前のめりになって両腕を伸ばしている。

貴女様の、

頭は垂れたまま。

貴女様は、

時おり上目使いで前を見て、

歩行器を遠くへ押しやるようにしながら、

右の脚と左の脚をゆっくりゆっくり交互に出して、

身体をやっとの思いで前へ前へと運んでいる。

のっそり ぼちぼち ぼちぼち のっそり・・・

ぼちぼち のっそり のっそり ぼちぼち・・・

目指すところはダイニングルーム、飯の膳。

そして貴女様はいつも、

決まり文句のように口を開く。

「あ~あ、なんでこんなことになっちゃったんだろう・・」

「こんなはずじゃあなかったのになぁ・・」

「順送りだから、しかたがないか・・」

順送り。

その言葉を聞いて思い出すのは遠い記憶。

火葬場で祖父が骨になったときのこと。

父の言葉。

・・・・・

私には返す言葉が見つからない、いいや無い。

貴女様を勇気づける言葉が無い。

・・・・・

でも、心の中では思う。

・・〇〇様、順送り、そうですよね。

・・貴女様は、あともう少しで骨になりますよね。

・・そして、僕もその後を追って骨になります。

・・みんないつかは骨になるんです。

・・誰もが必ず骨になるんです。

・・みんな順送りなんです。

ああ・・

どうせ骨になってしまうのに、

どうして、今日もご飯を食べるのか・・・

・・・・・

その答えを、

貴女様は教えてくれた。

・・・・・

「ああ、美味しい!」

そして、笑顔。

画像はイメージです/出典:photoAC)

あきら

「順送り」という言葉。

私の手元にある辞書を引くと「(名詞)順を追って次へ次へと送ること」と書いてあります。(参照/「明鏡国語辞典 第二版」発行:大修館書店)

この言葉を人生に使うと、

「祖父母が死に、両親が死に、そして自分が死ぬ。みんな順送りさ」とか、

「親の苦労を、いづれおまえも味わうようになるさ。世の中は順送りだからな」というような意味で使われます。

一方で、世の中には、事件や事故/病気などによって、順送りを違えた他界もあります。子供が親よりも先に死ぬ、とても悲しいことです。

そんなことを思えば、順送りに死んでいくことは普通のことであるという意味において、幸せなことなのです。

だからでしょうか、「人生は順送りだから」というのは「みんな順を追って、同じように死んでいくのだから、どうじたばたしても同じこと。諦めなさい」という慰めの言葉として使われるようです。

私自身が、生きることに悩み、鬱になりながらもなんとか働いていた時のことです。

歩行器を使ってトボトボ歩くお婆ちゃんが「順送りだから、しかたがないか…」と口にされていました。

私は、「順送り」といいう言葉に昔のことを思い出し、感慨深くなりました。同時に、どうせ死んでいくのなら、順番なんか関係ない、いつ死んだって同じさ…とも思いました。

この作品は、その時の、私の心の動きを言葉にしたものです。

【参考】

介護の詩/車止めで一息/老人ホームでの息遣いと命の灯

読んでくださり、ありがとうございます。