介護の詩|特別運行列車1番線|老人ホーム生活の高齢者の様子|詩境
老人ホームへの入居には、実は本人様には迷いがあるのに、家族の意向が強くて入居を決めてしまう場合があります。その場合、本人様の受容できない心と不安が、”混乱”⇒”拒否”⇒”怒り”⇒”抑鬱”となって、本人に襲い掛かります。現場では対応に苦労します。そのような事例を口語自由詩にして表現しました。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
老人ホームへの入居には、実は本人様には迷いがあるのに、家族の意向が強くて入居を決めてしまう場合があります。その場合、本人様の受容できない心と不安が、”混乱”⇒”拒否”⇒”怒り”⇒”抑鬱”となって、本人に襲い掛かります。現場では対応に苦労します。そのような事例を口語自由詩にして表現しました。
百人一首には月を詠んだ歌が11首もあります。10首に1首は月の歌なのです。多いですね。では、どのような月が詠まれているのでしょうか。千年の時を経て今日まで伝わっている「月」ですから「名月」と呼んでもいいのかもしれません。鑑賞しやすく分かりやすくするために英訳を載せました。意訳も載せました。日本の名月をご鑑賞下さいませ。
老人ホームには、ニーズに合わせた、いろいろな特徴を持った施設があります。選ぶときには、各々の施設の何がどのように異なるのかを、きちんと調べることが求められます。その意識、及び準備のきかっけになればいいなと思い、老人ホーム内での一番面を垣間見るような形で、自由詩にまとめました。
鴨長明が晩年に過ごし、方丈記を綴った住処が「方丈庵」です。その様子を、実際に「方丈記」を読みながら”見取り図を描いて再現”したいと思います。晩年に選んだ住処ですから、鴨長明の無常観は極まっていると思います。いったいどのような住処にその身を投じたのでしょうか。
介護の仕事に対して「大変でしょう」「体力いるよね」という言い方をよくされます。どんな仕事でもその大変さはそれぞれにあります。介護の仕事で大変があるとしたら、それは排泄介助のような介助そのものではなく、その人の心にいかに寄り添い、その人の尊厳をどのように守っていくのか...ということだと思います。
方丈記には歴史に残る大きな出来事がいくつも書かれています。それらは歴史資料としても価値があるそうです。この記事は、その中のひとつ、1185年に京都を襲った「元暦の大地震」を取り上げました。第二十一段、第二十二段、第二十三段です。それらの原文と現代語訳、そして解説を付けました。天災による無常を考えてみたいと思います。
鴨長明が書き残した日本古典三大随筆のひとつ、無常をテーマにした「方丈記」。前半は度重なる人災・天災を記述して(史実としての価値有)無常を語り、後半では鴨長明個人の事情を記述して無常を展開していきます。ここに記した第二十四段、第二十五段は、その”つなぎ”です。前半の大きな事象の俯瞰から、人々の生活へと言及していきます。
生きていると、ふと人生の無常に襲われることがあります。その時私達は「無常な人生」をどのように生きていけばよいのでしょうか。それを探るために「行く河の水は絶えずして~」の冒頭で有名な方丈記を再読してヒントを得たいと思います。方丈記は「無常」をテーマに書かれているからです。この記事では第一段から第三段までをとりあげました。
私が最初に勤めたのは「住宅型」ではなく、要介護度の高い方がご入居されている老人ホームでした。そこには、終末期、入浴できない状態になってしまったご入居者様もいらっしゃいました。入浴できない場合は、身体を清潔に保つ方法として「清拭(せいしき)」をおこないます。身体を拭くのです。その時の経験を言葉にしました。
先日は、歩行器を使ってトボトボ歩くお婆ちゃんが「順送りだから、しかたがないか...」と口にされていました。私は、久しぶりに耳にする「順送り」という言葉に昔を思い出し、感慨深くなりました。同時に、どうせ死んでいくのなら、順番なんか関係ないのに...とも思いました。この作品は、その時の、私の心の動きを言葉にしたものです。